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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/09/19

スーサの出土品1 釘頭状壁面装飾はエラム


スーサの博物館にはチョガ・ザンビールのジッグラトの釘頭状突起付壁面装飾が1点展示されていた。また、各地の博物館にも同じようなタイルが収蔵されている。
それについてはこちら

ウンタシュ・ナピリシャの銘の入った釘頭状突起付タイル エラム中王国時代、前14世紀後半 彩釉レンガ
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、方形パネルに釘頭状部分がついたもので、中にホゾを入れて壁面に深く挿し込む。類例がアッシリアにあり、ジガティと呼ばれているという。
『メソポタミア文明展図録』は、最も荘厳な場所である「王の門」とジッグラト頂上の神殿は、煌めく装飾で表面を覆われていた。装飾は煉瓦のほか、中央に突起があり隅に花弁のモチーフのある釉薬のかかったタイルが使われた。このシリカ質の彩釉煉瓦の輝きは、表面を覆った青緑色釉薬の効果だった。タイルと一体となった中央の突起は、穴の空いた板を壁に固定する釘の形を模倣している。そこには、建設した王の名がエラム語で刻まれるか、水玉模様が描かれた。この釉薬を用いた建築装飾はエラム人による技術革新であり、偉大な後世に、とりわけ前6世紀ネブカドネザルⅡ世治下の都市バビロンで再現されたという。

そして、壺状の壁面装飾物もあった。

壺型釘頭状突起 エラム中王国時代(前1300-1000年頃) スーサ出土
この釘頭状突起は水玉文様が浮き出ている。
説明板は、このような壁面装飾品は、スーサでは前5千年紀後半から後の時代まで続いていたという。

壁面装飾用突起 土器 スーサ第Ⅰ期(前4300-4000年) スーサ出土
確かに、突起型壁面装飾は、スーサでは前5千年紀にもあった。スーサの宮殿独特の壁面装飾は、形を変えながら続いていたのだった。
このような焼成土製突起は、アクロポリスの外壁を装飾するために用いられたという。

また、同じような壁面装飾板が、メソポタミアにもあった。

彩釉タイル 新アッシリア、トゥクルティ・ニヌルタ2世期(在位前894-890年) アッシュール出土
『知の発見双書43メソポタミア文明』は、王宮の壁は、彩釉タイルでも飾られていた。タイルの模様は様式的で幾何学的だったが、そのなかにも芸術家の自由な発想が窺える。発見されたタイルをもとにアンドレが描いた水彩画という。
チョガ・ザンビールのものは各辺は直線だったが、四隅が尖って各辺が凹面となっている。

壁面装飾板 新アッシリア、前875-865年頃 彩釉テラコッタ 幅28.0厚15.0㎝ イラク、ニムルド、イシュタル・キドムリ神殿出土 大英博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16』は、中央が丸く突き出しており、その上に同心円とV字形連続文を組み合わせた文様が彩釉で表現されている。突起の基部には、楔形文字でアッシュルナツィルパル2世の銘文が刻まれている。その周囲にはパルメットと石榴を交互に配した文様が表現され、外縁部には黒と白の正方形が交互に繰り返されるパターンが表現されている。この装飾板は四隅を持って引っ張ったような形状を呈するが、これは、当時の装飾に使われた織物が壁面に掛けられた際に生じる反り返しを模したものだと考えられているという。
このような形は織物の反り返しを表現したものだったとは。
この種の装飾板は、新アッシリア時代の宮殿や神殿の内装に使われ、人の背丈よりもやや高い位置の壁面に設置されていたという。装飾板は留め釘を使って軸に固定するようにして壁面に嵌め込まれ、1列に並べられたり、正方形や円形状に配されていたらしい。また、装飾板を設置するかわれに、その図柄が漆喰の壁面にじかに描かれることもあったという。
略して壁画にもなったというもの面白い。

『メソポタミア文明展図録』のいう前6世紀ネブカドネザルⅡ世治下の都市バビロンのものは見つけられなかった。



関連項目
スーサ3 博物館
チョガ・ザンビールの出土品
スーサ2 エラム時代の宮殿まで

※参考文献
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館 
「四大文明 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK  
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館
「知の発見双書43 メソポタミア文明」 ジャン・ボッテロ/マリ-ジョゼフ・ステーヴ 矢島文夫監修 1994年 創元社