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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/06/20

木X仏像展 四天王寺の仏像


大阪市立美術館は天王寺公園の中にある。「天王寺」という地名は、もちろん聖徳太子の創建した四天王寺に由来する。
『木X仏像展図録』は、厩戸皇子は白膠木(ぬるで)を切り取って急いで四天王像を作り、頂髪に置き誓願して、「今もし敵に勝たせていただけるなら、必ず護世四王のために寺塔を建立しよう」と仰せられた。
『日本書紀』用明天皇2年(587)の条にある、有名な物部合戦に関する記述である。日本仏教の祖として宗派を越えて崇敬される聖徳太子の仏教に関わる最初期のエピソードが、この自らウルシ科ヌルデで四天王像を作り頭に載せて戦勝を祈願したという、四天王寺開創にまつわる出来事であった。
大阪・四天王寺は飛鳥時代の創建以来幾度も災害や戦火に見舞われながら、その都度復興を果たし今日に至っているという。

天王寺という地にある美術館で催された特別展に、その四天王寺に伝来している仏像が展観されていた。とはいえ、聖徳太子の造った四天王像ではなく、平安前期の仏像だった。

阿弥陀三尊像
同展図録は、高く半球形の肉髻が印象的な中尊如来坐像と、片脚をあげる楽しげな脇侍菩薩立像からなる三尊像。少なくとも近世以降は阿弥陀三尊像として礼拝されてきたが、如来像し菩薩立像は作風や樹種が異なり、三軀共に平安時代の制作ながら本来は一具(セット)ではなかったと考えられている。
本三尊像は昭和9年(1934)に、西門と鳥居の間に所在した念仏の堂宇である引聲堂の厨子から発見されたという。
四天王寺のホームページによると、その年は室戸台風で五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被りましたという。忘れ去られていた厨子が、被災の際に出現したのだろう。

阿弥陀如来坐像 平安時代(9世紀) 木造 50.0㎝ 大阪・四天王寺蔵
同展図録は、張りのある体格、クッキリと立体的に表現される衣文や台座蓮肉側面の緻密な刻線が大きな特徴である。構造は頭頂部から大きな台座蓮肉までをカヤの一材から彫出する一木造で、両膝前は別の堅材による。なお頭頂には、小さな円孔があり埋木されている。いわゆる平安時代初期一木造の優品として知られ、両手先が後補なため本来の印相は不詳だが薬師如来として造立された可能性も指摘されているという。
図版だけ見ていると、50㎝の小像とは思えない重厚感がある。膝を横に張り出さず、折った足先を深く内側に組んでいる点が、京都・高山寺本薬師如来坐像(奈良時代後期、8世紀後半)に似るが、衣文はずっと浅く短い。
しかし左肩から入る衣文の際に膨らみをつくる点は他では見られない。
顔貌が独特で、一番似ているのは、奈良・室生寺本釈迦如来坐像(平安時代、9世紀)かな。
背中側も省略することなく衣褶に膨らみをつくり、浅い翻波式衣文もあって、平安前期らしい像である。左肩から下がる大衣の衣端に渦巻があるが、室生寺本は結跏扶坐した足元の衣端に渦巻を2つ刻んでいる。
また、斜めに走る衣褶は深く、先が刀状の形で深く終わる。また、右肩につくられた2本の茶杓状衣文の際にも膨らみを残す彫り方をしている。

両脇侍像について同展図録は、脇侍の菩薩立像は、独特のポーズが珍しく、両像とも体をねじって片脚立ちをし曲げた方の足裏をみせ、頭をややかしげている。両像共に肩から底部までヒノキの一材から彫出する一木造であるが、両像共に肩から先の両腕が後補なため本来どのようよなすがたであったかは不詳である。このような軽快なポーズの菩薩像は京都・宇治平等院鳳凰堂の国宝・木造供養菩薩像の舞踊像などにもみられ、本像も同様の供養菩薩の群像として造立されたうちの2軀とも考えられているという。

右脇侍像(合掌像) 平安時代(10世紀) 木造 56.2㎝ 四天王寺蔵
同展図録は、合掌像の衣文は、角のとれた穏やかな表現であるという。
確かに衣文に鋭さはない。顔も体も丸くつくられている。
左脇侍像 平安時代(10世紀) 木造 58.5㎝ 四天王寺蔵
同展図録は、衣文はエッジが立ち中尊にやや近い表現とするという。
こちらも顔も体も丸くつくられているが、顔貌は合掌像とは全く違う。複数の仏師が分担して群像を制作したのだろう。

その後あべのハルカスへ初めて足を踏み入れた。
ガラス作家の田上惠美子氏は、ここでも作品の展示を複数回されていたが、やっと来ることができたというのに、残念なことに、氏の作品展は開催されていなかった。
展望台から眺めていると、緑に囲まれた一角に大阪市立美術館が。
東には慶沢園、西には動物園。南側はいろいろと変遷があったが、現在はてんしばという芝生の広場と食事できるお店が数店できている。
日本一混雑してるという御堂筋線で来る時は、動物園前駅と天王寺駅のどちらが近いのかといつも迷いながら、天王寺駅で下車している。美術館の受付の方に尋ねると、若干天王寺駅の方が近いとのこと。覚えておこう。
その後東方に目を遣ると、古くはないが広いお寺があった。
その中に回廊に囲まれたところがあり、門・五重塔・金堂(修復の養生がある)・講堂と縦に並んでいる。四天王寺式伽藍配置・・・? これって四天王寺やん。昔は四天王寺址が天王寺公園になっているのだと思っていたが、あるときテレビで四天王寺を見て、まだ存続していることを知ったが、どこにあるのかわからなかった。
四天王寺のホームページを見ると、空襲で灰燼に帰した後、昭和38年に再建されたとのこと。新しいのは仕方のないことだ。
同ページによると、お太子さまをしのんで毎年4月22日に催される聖霊会舞楽大法要では、重要無形民俗文化財の天王寺舞楽が披露されるという。来年行けるかな?それは大阪市立美術館の特別展次第でもある。

   木X仏像展 東博蔵木造菩薩立像

関連項目
木X仏像展 法隆寺四天王像に似た小像

参考サイト
四天王寺のホームページ


参考文献
「木X仏像展図録」 編集大阪市立美術館 2017年 大阪市立美術館・産経新聞社