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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/07/03

観世音寺の灯籠


太宰府政庁(7世紀後半大和朝廷は大宰府政庁を設置。古代日本の外交や防衛の拠点として栄えた)跡の東に観世音寺はある。
天智天皇が発願し、完成したのが聖武天皇の時(746年)。761年には東大寺・下野薬師寺と共に戒壇が分置されるくらい重要視されたのは、この地が大陸とのつながりという要衝であったことと無関係ではないだろう。
しかし、平安時代を通して栄えたこの寺も、中世になり律令制が崩れると太宰府と共に衰退の一途をたどる。その上に度重なる火災や天災で、建物と共に失われた文化財は多かったようだ。
宝物館で威容を誇る仏像群は平安後期あるいはそれ以降のもの、創建当初のものと言えば梵鐘、諸堂の礎石に天平の石臼、磚などらしい。
現代の講堂(1688年の再建)の前には立派な灯籠がある。しかし、観世音寺のパンフレットにはこの灯籠について何の記述もない。石造美術好きの私としては残念なことだ。

いったい何時頃のものなのだろうか?全体的に見ても古そうである。難を言えば、中台の角張り方が、他の部分より時代が下がることを思わせる。
をじっくり見ると、竿よりも古びて見える。丸い竿の下の反花が四角というのが、元は別々に作られたものを後世組み合わせたことを示すのではないだろうか?

それよりも、四葉(よんよう)の蓮華というのが珍しいように思う。台座として四葉蓮華は他に例を知らない。
軒丸瓦には奈良時代のものがわずかに残っているようだ。四葉蓮華文鐙瓦(真備町吉備寺蔵、岡山県立博物館ホームページに画像)や福島県の泉廃寺跡出土瓦、高崎市の綿貫遺跡出土複弁四葉軒丸瓦など。
以前あった埼玉大学総合研究機構埋蔵文化財資料室のホームページに「古代朝鮮の甍 楽浪・高句麗・新羅の瓦」が詳しく公開されている。その中に「四葉忍冬文軒丸瓦」の画像があるが、蓮華文ではない。
この程度で結論付けることはできないが、蓮弁の数が少ないものは古いもののような気がする。

ところが、後日四葉蓮華の反花をもつ燈籠は江戸時代のものと判明した。それについては、こちら