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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/10/05

柿蔕形装飾と釘隠し

 
夢ばかりなる日さんより、「釘隠し」の写真と文が送られてきた。
釘隠しの実物です。多分室町時代のお寺の解体修理の時出たものと思います。弁の突出部に稜線がある事。弁と弁の間に亥の目「ハート形の彫り込み」が有る事等、類似点が見られます。漢代の文様がそれ以前に遡れるのか。漢から日本へどう変化していったのか。面白そうですね。実は今高麗時代の鏡の鈕の周囲に六弁が有るのではないかと調べています。又亥の目は仏前の机や卓「ショク」の足の間の彫刻に見られるもので、その形で時代を表すそうです。
柿蔕形装飾に似ているということだったのだが、なるほど葉の間の穴や稜線がよく似ている。違いは柿蔕形装飾は4弁、釘隠しが6弁くらいのものだ。何時の時代にか、日本に伝わったものと言えるように思う。4弁がどのようにして6弁になったのか、など高麗時代の鏡から何かわかると良いですね。
また、亥の目というのが、仏前の机や卓の足の間の彫刻にあるというのも、葉の間の穴の図様からきたかもしれないというのは面白い指摘ですね。

話はそれるが、他の陶製明器の倉楼の屋根にも似たような形のものが屋根の端にあるのだが、それは軒丸瓦が3つ組み合わされていて、その先にも1つ軒丸瓦が出ている。屋根の上にも1対同様のものがあるのは上の写真の望楼と同じである。これだけで結論付けるのは気が早いのかも知れないが、鬼瓦や鴟尾のような魔除けの元になったのかも知れない。
話を柿蔕形装飾に戻すが、夢ばかりなる日さんの指摘から、建築物以外にも同様な図様があるかも知れないと思うようになった。
 すると、この望楼より以前、前漢末~後漢に製作された「羽文盦(あん)」(泉屋博古館蔵の)が見つかった。少し小さいので、亥の目ができるほどではないが、途中の膨らんだ葉(萼?)が4枚表されたものがあった。『泉屋博古 中国古銅器編』には四葉文という言葉が使ってある。この4枚の葉の中心部に環状つまみがあったらしいことが解説文にある。 この四葉文と『中国古代の暮らしと夢』展で柿蔕形装飾として吉祥の意味を持つものとされているものは繋がるものなのだろうか。

※参考文献
「中国古代の暮らしと夢展図録」2005-2006
「世界の大遺跡9古代中国の遺産」1988年 講談社
「泉屋博古 中国古銅器編」2002年 泉屋博古館