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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/01/26

パルティアン・ショットは北方遊牧騎馬民族のもの?


騎馬像をいろいろ見ていると、鐙のあるなしだけでなく、乗り方にも気になってくる。それは後漢(後100年頃)の画像石にも表されているパルティアンショットだ。

34 狩猟文夾纈絹 唐(8世紀) トルファン、アスターナ出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
獲物に向かって矢を射るというよりも、襲いかかる獅子から逃れるために振り返って矢を放とうとしているように見える。
35 四騎獅子狩文錦 7世紀後半 法隆寺蔵
『正倉院裂と飛鳥天平の染織』は、馬上の人物は半月をいただく宝冠を着け、頬髭豊かな雄偉な顔立ちをしており、乗馬もまた有翼で瑞祥性を帯びている。ササン朝ペルシャの銀器浮彫などにみえる帝王狩猟図の伝統を忠実に伝えている。主文中の馬腹に「山」「吉」の織文字があるところから中国製と考えられている。という。 36 狩せき(けものへんに昔)図 敦煌莫高窟249窟 西魏(535-557年)
『中国石窟 敦煌莫高窟1』は略字の中国語で書いてあるので解説はほとんどわからないのだが、「反身張弓、箭射猛虎」が左下隅のパルティアンショットで虎を狙っている図のことだとわかる。文字を見ていると、反弾琵琶のように、実際にはできないことのように思ってしまう。
37 狩猟図 魏晋時代(220-386年) 甘粛省嘉峪関出土
嘉峪関は河西回廊にあり、騎馬民族が古来より住んできたところなので、 パルティアンショットのような離れ業も難なくこなせたのかも知れない。
38 シャープール2世狩猟文杯 銀鍍金 ササン朝ペルシア(4世紀) ロシア、ウャトゥカ地方で偶然による発見 エルミタージュ美術館蔵
ササン朝ペルシアには王が騎乗よりライオンや虎などに矢を放ったり、直接刀で斬りつけるという図が数多くある。それらに共通するのは標的の動物と同じ種類の動物が馬の下で横たわっている。
39 騎馬狩猟図 2-3世紀 パキスタン、ガンダーラ出土
パルティアンショットだと思っていたが、よく見ると騎乗の人物は皆後ろ向きに乗り、ライオンやグリフィンと戦っている。そんなことできるのだろうか?
40 雑技図 画像磚 後漢(1-3世紀) 河南省出土 同省新野県漢画磚博物館蔵
「斜索戯車の雑技を表し、右半分が欠けている。 ・略・ ほかに馬に乗って後ろ向きに弓矢を放つパルティアンショットの曲芸も描かれる」という解説から、中国では戦いや狩猟の技ではなく、曲芸になっている。 この図は文頭で紹介した「16 墓門上部の彩色画像石」 と同じ時代のものである。
41 猪狩猟文帯飾り板 スキタイ・シベリア(前4-3世紀) ピョートル・コレクション エルミタージュ美術館蔵
私はパルティアンショットというのは、名前がわかるまでは北方遊牧騎馬民族の狩りの方法だと思っていた。ところが、どの本からも探し出すことができなかった。狩猟文そのものがほとんどなく、やっと見つけたのが、下図だった。解説には「かなり多くの象嵌が施されているが、これはスキタイではなくもやはつぎのサルマタイ時代の美術の特徴で」としている。
北方遊牧騎馬民族はパルティアンショットはしなかったようだ。
42 安息式射法? 壺絵 スキタイ・シベリア(前4-3世紀)
パルティアンショットは紀元後に行われた射法なのだろうか。

『ウマ駆ける古代アジア』は、騎射しながら進行方向と逆、うしろ向きに矢を射るのを安息式射法(英語パルティアンショット)といっている。安息(アルサケス朝ペルシア、パルティア)の名が冠されているが、これがスキュタイ系諸文化の軍事力の強さの特徴とされてきた。これはプルタルコスなどの西洋古典古代の記録に、対戦相手のアルサケス朝軍が退却(ローマ人からみたら恥ずべき行為)をしながらも、適を攻撃できる戦法をとる、という賞讃とも皮肉ともとれる記述があるのでこの名がある。
それでは安息式射法とは、何か。従来は下図のように、前向きにまたがりながら、上半身を180度ひねって後方を射ることと解されてきた。もちろんこれでも進行方向とは逆の方を射ることはできよう。しかしわざわざ特別な名をつけるほどのむつかしい技術であろうか。
最近、むしろ後方向きに馬に騎ることこそが、特筆に値する技術であるとの説が出た
という。

パルティアンショットよりも「39 騎馬狩猟図」のような乗り方の方が難しいというのは確かだろう。
しかし、パルティアンショットが北方遊牧騎馬民族によって行われてきたことが明らかとなったし、それはアルサケス朝パルティアの建国よりずっと以前のことだということもわかった。
43 騎士狩猟文ファレラ 銀鍍金 前4世紀中葉 レトニツァ遺宝 ブルガリア、ソフィア考古学研究所博物館蔵
パルティアンショットではないが、狙っている動物と同じものが馬の下に横たわっている。これは複数の動物を殺したことを示すのではなく、異時同図法による表現で、1頭の獣を狙っている場面と仕留めた場面を表しているのだろうか。ササン朝ペルシアでは「38 シャープール2世狩猟文杯」のように狩猟図はすべて同様の表現をしている。その起源はバルカン半島の騎馬民族だろうか。

※参考文献
「中国美術全集6 工芸編 染織刺繍」 1996年 京都書院
「正倉院裂と飛鳥天平の染織」 1984年 紫紅社
「中国石窟 敦煌莫高窟1」 1982年 文物出版社
「中国文明史5 魏晋南北朝」 羅宗真 2005年 創元社
「世界美術大全集東洋編2 秦漢」 1998年 小学館
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「季刊文化遺産12 騎馬遊牧民の黄金文化」 2001年 島根県並河萬里写真財団
「ウマ駆ける古代アジア」 川又正智 1994年 講談社選書メチエ11
「ロシアの秘宝 ユーラシアの輝き展図録」 1993年 京都文化博物館・京都新聞社