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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/02/20

鎮墓獣は一角獣?


武人俑ばかり探していたので、うっかりと見過ごしていたが、北魏時代にも鎮墓獣俑があった。遡っていくと、あれ?と思うようなものに辿り着いた。文中の1から6の数字は武人が鎮墓獣に?の画像の番号です。

7 鎮墓獣俑 灰陶加彩 北魏、建義元年(528) 河南省洛陽市元邵墓出土 洛陽市博物館蔵 
『世界美術大全集東洋編3三国・南北朝』は、人面と獣面のものが一対となった、蹲踞した鎮墓獣が見られるようになったことも新しい。おそらく墓門付近に置かれた鎮墓武人俑が、目や口を大きく開いた恐ろしい形相であるという。
3のように、唐時代にはあちこちから出る羽状突起は、この時代には羽状とは見えず、背筋に並んでいる。元々2本だったのか、何本か並んでいたのかはわからない。
容貌は1・2に近いが、尖った頭頂部は頭の形なのか、帽子なのかもわからない。8 鎮墓獣俑 褐緑釉加彩  北魏、太和8(484)年 山西省大同市司馬金龍墓出土 大同市博物館蔵
頭頂部には角の痕跡があり、また頭部から背中にかけて長方形の穴が5つ開かれ、本来そこにたてがみが差し込まれていたと思われる。墓中に埋納された鎮墓獣俑の早期の例としては、木胎漆器ではあるが戦国時代の楚墓より出土する、鹿の角をもち、舌を出したものが有名である。しかし、後漢時代以降は、一角獣や有翼獣といった形式の鎮墓獣俑が主流となった。また漢代や西晋時代の陶俑で施釉されたものも少なくない。それゆえ司馬金龍墓出土の鎮墓獣俑は、後漢以降の伝統を継承したことが知られる。ただし蹲踞の姿勢をとり、しかも人面である点は、これまでにほとんど見られなかった新しい形式である。 ・略・ また鎮墓武人俑らしきものも大破した状態で見つかっているという。
また、反対側には小札のような鱗がびっしり描かれているのだそうだ。私には墓を守っているというよりも、瞑想でもしているように見える。顔は鼻が高く、柔然人と思えない。
7の尖った頭頂部が、半世紀ほど前には角の痕跡であることがはっきりとわかる表現だった。また、背筋にあったのがたてがみであり、数も5本ということがはっきりした。
それにしても「木胎漆器で戦国時代の楚墓より出土する、鹿の角をもち舌を出したもの」というのはどんなものだろう。そんなに有名なものなのに、私は知らない。9 鎮墓獣 加彩陶 北魏、太和元年(477) 山西省大同市燕北師院宋紹祖墓出土 大同市考古研究所蔵 
『中国 美の十字路展』図録は、1体は犬型の獣面鎮墓獣、1体は馬型の人面鎮墓獣である。
獣面鎮墓獣は背中に四つの切り込みがある。鬣(たてがみ)のようなものが挿入されていたのだろうか。足が欠損しているものの、本来は蹲踞して墓室の入口付近におかれていた。
人面鎮墓獣は深目高鼻の形相で、視線を前方下に投じる。体には後漢の一角獣にもみられるウロコのような装飾がある。鬣には三つの切り込みがあり、角や槍のような突起物を挿入していたのだろう。とくに先端部の切り込みは前方にむけて穿たれており、ここに長い角が挿入されていたとすれば、その姿は漢代一角獣からの伝統を想起させるものである
という。
ウロコ状のものは一角獣だったのだ。人面鎮墓獣の額の黒い瘤のようなものが、8の頭部に共通するものかと思っていたが、瘤の後方にある切り込みに長い角があっただろうということだ。10 一角獣 加彩木 後漢(25-220年) 甘粛省武威市嘴子出土 甘粛省博物館蔵
角を前方に突き出して目を大きく見開き、外敵を威嚇するようである。主に朱と墨とで模様を描く。体躯は一見すると犬のようでもあるが、頭に描かれた波打つ縞模様は鬣のようであり、足先は蹄状につくる。肩のあたりは翼を表現する。このような創造上の動物は枚挙にいとまなく ・略・ しかし、それらが立体造形物として墓に納められることは殆どなかった。数ある神獣のなかでも、とくに本例のような一角獣が、墓や死後の世界と密接に関わる存在であったことがうかがえるという。
9の人面鎮墓獣の尾もこのような幅が広くて上に振り上げたようなものだったのだろうか?11 一角獣 銅 後漢 甘粛省酒泉市下河清18号墓出土 甘粛省博物館蔵
頭を下に向け、頭頂に生えた長く、鋭く尖った1本の角を前に突き出している。4本の足で踏ん張り、全身の力を一角に集中させているかのようである。地下の墓の前室に、頭を入口に向けて置かれていた。このような一角獣は、甘粛の河西地方の後漢墓から多く出土し ・略・ 体に鱗文を施して大きな尾を振り上げ、敵に対する猛烈な威嚇を示していた。当時、墓を悪霊から守るためにさまざまな鎮墓獣が編み出されたが、角はとりわけ悪霊を突く力があると信じられ、戦国時代の楚の墓では鹿の角を使った鎮墓獣が多く作られ、後漢になると陝西勉県や山東諸城などでも一角獣が登場する。しかしそれらは犀を原型としたものであり、これほど角が長く精悍な一角獣は河西地方独特といえるという。
一角だが、枝分かれしていて、戦国時代の鹿の角の名残のようだ。10・11が頭をできるだけ下げているのは、角を正面に向けるためであることがわかるが、9になると角で威嚇するような表情ではなくなり、8に至ってはその角さえも痕跡でしかなくなってしまう。
※参考文献
「中国 美の十字路展図録」 2005年 大広
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館