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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/02/26

犀を原型とした鎮墓獣は


鎮墓獣は一角獣?で『中国 美の十字路展』図録の一角獣の説明文を引用した中に「後漢になると陝西勉県や山東諸城などでも一角獣が登場する。しかしそれらは犀を原型としたもの」という箇所があった。あれこれ本を開いていると思い当たるものがあったのだが、あらためてみると、後漢のものはなく、南朝のものばかりだった。それなりに面白いので、見ていくと、

15 陶製の犀 南朝(229から589年) 河南省洛陽澗西県出土 洛陽市博物館蔵
『図説中国文明史5魏晋南北朝』は、この種の犀に似た陶製の神獣の多くは、墓室内の祭壇の前や甬道(墓室をつなぐ通路)に置かれ、頭は墓の入口に向けられている。おそらくは墓を守る神獣だったのだろう。「窮奇」ともいう。頭部に伸びた1本の角以外に、背中にも4本の角があり、体つきは犀に似ているというが、犀と限定していない。
北魏の鎮墓獣では、8(鎮墓獣は一角獣?の番号です。以下同様)には5つ、9には3つ背筋に穴があり、たてがみのようなものがはめ込まれていたらしいが、この犀は4つの角になっている。確かにサイは顔中央に角があるが、この神獣のように頭部にあるわけではない。サイに近いが、やはり一角獣の流れにあるように思う。 16 陶製の犀 西晋時代(265-316年) 江蘇省南京砂石山出土 南京博物院蔵
角は3つになっている。背中の5つの房のようなものはなんだろうか。前足の付け根に翼があり、神獣であることがわかる。17 鎮墓獣 灰陶加彩 西晋時代(265-316年) 出土地不明 個人蔵
『中国古代の暮らしと夢展』図録は、鎮墓獣は墓を邪鬼から守る想像上の獣であるるが、この形のものを犀獣と呼ぶこともある。古代中国では、死者の肉体が邪鬼に損なわれると仙人として再生できないと考えられたため、邪鬼を追い払って墓を守るの神獣が副葬された。鎮墓獣の副葬は戦国時代後半期の楚国(長江流域)で始まり、漢代には中原(黄河流域)に広がった。西晋頃から盛んとなり、北朝、隋を経て唐代に大流行した。本作品は、頭に3本の角をもち、尾を高くもちあげた姿の鎮墓獣で、河南地域の西晋墓からの出土例が多い。素焼きの灰陶の上に、白色の絵具で彩色しているという。

こちらは前足の付け根に翼がない。18 錯金銀雲紋銅犀尊 青銅 前漢(前206-後8年)陝西省興平県豆馬村出土 中国歴史博物館蔵
『世界四大文明 中国文明展』図録は、動物を象った尊は、殷(商)周時代の長江流域で多く出土しているが、漢代の出土は稀である。犀の背には蓋があり、口の右側には管状の注ぎ口がある。腹のひだと背中の蓋を、鞍と腹帯に見立てている。全身に金銀の象嵌で雲流文が施され、両目には黒光りするガラス玉がはめ込まれている。アジアに生息する二角犀は、スマトラ犀であろう。繊維質の犀の角は薬用に、皮は鎧に利用されたという。
これは鎮墓獣ではなく、「尊」つまり酒器なので、上の3点の鎮墓獣と比較するのもあまり意味はないが、角の位置は正確だ。このように見ていると、15-17の鎮墓獣は、体はサイやウシのような重量級の動物に似ているが、時代を考えると、10や11のような、後漢(後23-225年)の一角獣から、7から9の北魏の頭部の角が退化した鎮墓獣、この2つの時代を埋める資料になるのではないだろうか。

※参考文献
「図説中国文明史5魏晋南北朝」 羅宗真 2005年 創元社
「中国古代の暮らしと夢展図録」 2005年 発行は様々な美術館
「世界四大文明 中国文明展図録」 2000年 NHK