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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/03/05

えっ、これが麒麟?


ついに麒麟を発見した。それは南朝の皇帝陵参道の麒麟とも、日本ではお馴染みのビールのラベルにある麒麟とも、まったく異なるものだった。

28 鍍金麒麟 銅製 高8.6㎝長6.7㎝ 後漢(1-2世紀) 河南省偃師市冦店李家村窖蔵出土 鄭州市河南省博物館蔵
『世界美術大全集東洋編2秦・漢』は、窖蔵から蓋つきの鍍金銅製酒樽が出土し、中から小さな動物像の群れが発見された。 ・略・ 麒麟2個 ・略・
麒麟は全体に羊のような形で、頭上に1本角が立つ。全身に鍍金が施され、目などの細かい文様が沈線で表されている。
麒麟の形は後漢時代から現れる。洗(せん)などの内底に突線で表された例が知られているが、やはり頭上に角が1本ある羊のような形をしている
という。

このように、麒麟は獅子と似ても似つかないものだったのだ。なぜ六朝では獅子のような麒麟が皇帝好みだったのだろう?しかしこれで、石造の鎮墓獣は後漢からあった27の「銀象嵌有翼神獣」(戦国時代)には西方からもたらされた有翼の獅子が中原で中国風に消化された形となり、それよりも後の時代に羊のような麒麟が現れたという風にまとめることができた。と思っていたら、とんでもなかった。

29 辟邪 玉 高5.4㎝長7.0㎝ 前漢後期(前1世紀) 陝西省咸陽市新荘漢元帝渭陵(前33年頃)付近出土 咸陽博物館蔵
同書は、頭に二つの角、体には大きな翼をもった想像上の動物、麒麟あるいは桃抜をかたどった玉像である。高さ8cmの鍍金鼎の中に入った状態で発見された。古代中国では、二角のものを「辟邪」、一角のものを「天禄」と呼んだという見方もあり、  ・・略・・  ここにあげた玉像は二角の例だが、二角のものとしては、今のところこれが中国最古の例である。付近からはこれと一対になる一角のものも出土している。以後、後漢から六朝時代にかけて、帝陵や豪族墓の墓道に石獣を並べて置くことが流行し、「辟邪」「天禄」など麒麟形の造形が急速な広がりを見せていったという。

同じ本の中で見解が違い、混乱してしまった。28よりも前の時代に麒麟形とされる像があったとすると、一角の羊のようなものはどう捉えればよいのだろう。
ともあれ、この像は27よりも更に小さなものだが確かにその流れをくみ、またあごひげがついていて、地上の鎮墓獣はの造形に繋がるものであることは確かだ。30 辟邪一対 金・緑松石・瑪瑙 高4cm 後漢(25-220年) 河北省定州市陵頭村中山穆王劉暢墓出土 定州市博物館蔵
『中国 美の十字路展図録』は、2体一対の神獣を細金の高度な技術を駆使して作り上げる。金の薄い板に金粒や金糸を貼ったものを筒状に丸めて首や胴を作り、眼や体の各部に緑松石や瑪瑙が象嵌されている。長い尾を地に垂らし、全体に虎を原型とした神獣は、ともに前足を前に出して頭をあげ、口を開いて威嚇するかような姿勢をとる。頭の後ろをよく見ると一角と二角に作り分けられており、当時、辟邪と呼ばれた魔よけの動物であるという。

図録では、原型は虎らしく獅子でも麒麟でもない。
しかし、拡大して見るとはっきりわかるのだが、この像は有翼である。27の高濱秀氏の解説で、有翼の神獣は獅子として西方から伝わったので、姿勢が中国の神獣である虎だとしても、外来の獅子の要素が入ったものだ。31 神獣文帯鉤 鉄芯に貼金 長9.4㎝高6.4㎝ 4-5世紀 内蒙古自治区フフホト市土黙特左旗討合気村出土 内蒙古自治区博物館蔵
馬蹄形の帯鉤上に打出しで神獣文と雲文を立体的に表した金板が貼られている。有翼の神獣は山羊型角を2本生やし、漢代に発達した辟邪の姿を表しているが、その翼は中原の抽象化されたものよりも匈奴の具象的な翼表現に近く、脚間を縫って回り込む尻尾も匈奴の影響を見せているという。

せっかく見つけた有翼で角のある辟邪だが、匈奴の影響ということで、麒麟とも獅子とも判断できないのが残念。 顎の下にあるものはあごひげか雲文かもはっきりとはわからない。これらのことから、私は以下のように分類してみた。
麒麟は27のように「全体に羊のような形で1本角」のもの。石造鎮墓獣は、西方から伝わった有翼獅子と、中国古来の虎が集合したもの。
南朝の鎮墓獣は、そのような鎮墓獣に、皇帝陵であることを誇示するために麒麟という名をつけるようになったもの。その違いはあごひげと舌。そして、角の有無。

また新しいことがわかれば続編を作ります。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館
「中国 美の十字路展図録」 2005年 大広