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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/06/06

新羅時代の半跏思惟像


国立慶州博物館の館内で石造の菩薩半跏思惟像があった。頭部がないのが残念だが、今まで見てきた石仏よりは古様と思える姿だった。

1 半跏思惟像 新羅(7世紀) 慶州西岳洞松花山 125.0㎝ 国立慶州博物館蔵
同時代の弥勒三尊仏三体仏と比べると、細身である。また、襞には妙なところもあるが、 北魏後半以来の襞の表現の流れを汲んでいることがわかる作風だ。左手が膝の上に残っている2 思惟半跏像 新羅(7世紀中葉)  慶尚北道
1と比べるとこなれた作行きだが、衣文が煩雑になっている。左足が欠けているが、左手がその上に乗っているのだろうが、出たお腹を押さえているようにも見える。 3 金銅半跏思惟像 新羅(7世紀) 14.1㎝ 国立慶州博物館蔵
慶州博物館の金銅仏のところに展示してあり、こちらの方を先に見ていた。左膝の位置がよくわからないが、下がり気味の右脚に左手をのせている。体は細身である。衣文もわけもわからずに作ったような感じだが、素朴でええなあ。4 思惟半跏像 銅造鍍金 新羅(7世紀)  通高17.1㎝ ソウル、国立中央博物館蔵
『世界美術大全集東洋編10』で姜氏は、高句麗と百済で思惟半跏像が流行したが、新羅も例外ではなかった。三国時代の新羅では慶州のみならず全域に思惟半跏像が分布しており、また統一新羅初期すなわち7世紀後半にも思惟半跏像が造像されていることがわかる。思惟半跏像が礼拝対象として制作されたことは確実だが、正確な尊名を知ることはできない。この像は、高句麗や百済の思惟半跏像に比べて変形・図式化されている。右側の膝を下から力強く押し上げねばならない衣端も平凡で、天衣の衣襞も図式化・単純化されている。身体のモデリングも弱く、上体は偏平で、腕もパイプのようで、身体細部の変化もなく、全体的に古拙さが感じられる。顔と上半身を大きく倒した姿勢、図式化した様式など、新羅的特徴をもっともよく示している作例であるという。うたた寝しているようで面白い。3の方が胴が細いが、こちらの方が腕は細い。5 思惟半跏像 銅造鍍金 百済(7世紀) 通高93.5㎝ ソウル、国立中央博物館蔵
姜氏は、弾力のあるモデリング、子どものようなかわいい手、平らな胸、細い腰をした少年の姿、微妙な動きを見せる手と足の指など、古代仏教彫刻でもっとも生命感にあふれた仏像であろう。厚い裙衣は像全体に安定感を与え、衣褶は緻密でありながら自然で、微風にも動きだしてしまいそうな生動感がある。6世紀後半に造られた金銅造の思惟半跏像とともに韓国を代表する仏像であるという。広隆寺の半跏思惟像とよく比べられる像やけど、3も宝冠が似ている。 6 思惟半跏像 銅造鍍金 高句麗(6世紀後半) 通高83.2㎝ ソウル、国立中央博物館蔵
姜氏は、金銅造思惟半跏像は三国時代に広く流行したが、この像は、宝冠に日輪と三日月が結合した特異な形式を示している。正面から見ると、弾力性のある身体の曲線が大きく強調され、正面では腰部を細くするものの、過大な頭部と下半身を弾力性をもって連結させている。天衣は両肩と台座下部で鋭利に反転しており、身体の流れに沿ってしなやかに密着している。
また、両膝の褶(ひだ)と背面の椅子覆いは、それぞれS字形とU字形によって変化を出している。悠然としながらも力のこもった身体の動勢と、褶において反復するS字形とU字形のモティーフの調和が、この像の様式の大きな特徴といえよう。制作地に関しては、百済、新羅などさまざまな説があるが、身体と天衣の力に満ちた勢いは、高句麗古墳壁画、とくに四神図に見られる激しい動勢と類似し、筆者は高句麗仏と考えている
という。

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さて、1の半跏思惟像は5・6のどっちに似ていたのだろう。

※参考文献
「国立慶州博物館図録」 1996年 世光印刷公社
「世界美術大全集10 高句麗・百済・新羅・高麗」 1998年 小学館