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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/09/16

二仏並坐像を探したら北魏時代のものがあった



仏国寺の大雄殿前には、釈迦塔(左)と多宝塔(右)があり、それは、法華経巻第4見塔品第11に、多宝如来が釈迦の法華経説会の場に宝塔を湧出させ、釈迦所説の真実を証明し、塔中の半座を分けて釈迦を招き坐らせた(『仏教美術用語集』より)という二仏並坐を表したものであるという。 二仏並坐を表した双塔というのは統一新羅だけでなく、中国でも日本でも知らないが、二仏並坐像というのはなじみのある仏像である。今回の旅行でも、1組だけだが国立大邱博物館で見た。

二仏並坐像 金銅 統一新羅(668-935) 高さ6.3㎝幅9.6㎝ 青松大典寺蔵
小さな像で、しかも二仏並坐像にしては、離れて坐っているのが気になった。
右の塔が多宝塔なら像も多宝如来だろう。 釈迦多宝二仏併坐像 金銅 北魏、太和13年(489) 高さ23.5㎝ 根津美術館蔵 重文
『週刊朝日百科』は、右肩を肌脱ぐ着衣法は長上に対するものであるから、右手を上げている像が過去仏多宝如来を紹介する釈迦、両手を組む像が多宝であろう。  ・・略・・  堂々たる作風の中国金銅仏中屈指の名品といえようという。右が多宝如来かと思ったら釈迦如来だった。
北魏は建国して平城(現大同)に都を置くが、493年中原の洛陽に遷都する。それ以降を北魏後期とするので、この作品は北魏前期の仏教美術なのだが、それは釈迦如来が偏袒右肩というインド風の服装、多宝如来が通肩というガンダーラ風の服装をしていることからもそれがうかがえる。  釈迦多宝二仏併坐像 金銅 北魏、熙平3年(518) パリ、ギメ東洋美術館蔵
秀骨清像と呼ばれる細身の容姿、褒衣博帯に双領下垂式の大衣を着て、その裾を左腕にかける。着衣の裾はヒレ状と北魏後期様式の典型のような作品である。どちらも同じ服装なので、どちらが釈迦如来かわからない。  二仏並坐像 石造三尊仏坐像背面 北魏(6世紀)高さ54.5㎝ 個人蔵
左の涼州式偏袒右肩の如来は『週刊朝日百科』の説明から釈迦、右の双領下垂式の如来は多宝如来ということになる。左右どちらかに決まっていないようだ。 二仏並坐像はすでに北魏前期からあるが、統一新羅の塔や像とは時間のへだたりがあるなあ。

※参考文献
「国立大邱博物館図録」 2002年 通川文化社
「週刊朝日百科世界の美術92 南北朝時代」 1979年 朝日新聞社
「仏教美術用語集」 中野玄三編著 1983年 淡交社