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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/10/08

国宝法隆寺金堂展には四天王像を見に行った

法隆寺の金堂内部は(12月までは修理工事中で見られない)あまりにも暗いので、ほとんど仏像はわからない。本尊の釈迦三尊像はまだしも、四方の隅に置かれた四天王像となるともっと見えない。いくら懐中電灯が用意されていても、じっくり見るには光が弱すぎる。 
しかし、こんなことをいってはなんだが、土壇にひび割れが見つかったおかげで、奈良博で「国宝法隆寺金堂展」が開催されることになり、短い期間だが四天王像が4体展観されたのだった。  間近で1体ずつ360度どの方向からでも見ることができた。截金をできるだけ探し出したいと思っていたが、暗いながらも彩色が意外とよく残っていることが印象に残った。
『国宝法隆寺金堂展図録』は、像の表面は漆下地に白土地を施したうえに彩色する。赤(朱)・橙(丹)・緑(緑青)・青(群青)の4色を基本としているという。しかし、暗い中でわかるのは赤や橙の色だった。ズボンの部分は緑や青も使われているかなと見えなくもなかった。  截金は日本最初期のものだと思うが、ほとんど直線のものだった。多聞天像の背中にも截金が残っていたが、それは鎧の小札(こざね)の一番内側にあった。
しかし、今回の発見は截金だけでなく、この四天王らしくない法隆寺の四天王像も鎧を纏っていることだった。各所に金箔を文様に切り抜いて貼り付ける切り箔や、細い線に切って衣文の峰等に沿わせる切金技法も用いられている。日本で切箔の技法が確認できる最古の作品は同じ法隆寺の玉虫の厨子だが、本四天王像ではその技法に数段の進展が認められ、この点にも両者の時代差が感じられるという。玉虫の厨子は大宝蔵院で見学できるが、暗くてほとんどわからなかった。
ぐりぐりねじったベルトの下に金箔が面で残っている。どんな文様だったのだろう。 美術展でもお寺の拝観でも、ますます目に老いを感じるようになってきた。


          法隆寺金堂四天王像の先祖は


関連項目

白鳳展8 當麻寺四天王像は脱活乾漆

※参考文献
「国宝法隆寺金堂展図録」 2008年 朝日新聞社