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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/11/14

正倉院展の楽しみはヤツガシラ探し

ヤツガシラは日本では一度だけ見た。庭に一瞬留まって、すぐに飛び去ってしまった。
西域旅行ではあちこちで見かけたが、いつも群れることはなく、1羽で飛んでいた。そしてすぐには飛び去らないまでも、あちこち動き回るので、なかなか写真には収まらない鳥だった。

ヤツガシラ ブッポウソウ目ヤツガシラ科
『日本の野鳥』は、頭に先の黒い大きな冠羽のある、上半身が黄褐色の鳥、ユーラシア大陸とアフリカの熱帯から温帯で広く繁殖する。日本には稀に旅鳥として春秋に渡来し、春の記録が多いという。
写真は、トルファン郊外、火焔山の谷の一つにあるトユク石窟へと向かう木道の補強材に留まっているのを撮ったが、ピントを合わせきれなかった。正倉院の宝物には小鳥や鴨類が多く文様として描かれているが、ヤツガシラもよく登場するので、正倉院展に行くと、今年はどんなものにヤツガシラが描かれているのかを探すのが、正倉院展での楽しみの一つだ。
2008年の第60回正倉院展でも2作品で見つけた。 

金銀絵漆皮箱(きんぎんえのしっぴばこ、獣皮製の箱) 2008年(第60回正倉院展)
同展図録は、漆皮箱は牛や鹿などの獣の皮に漆を塗ってつくる箱で、型に皮をあてて成形し漆を塗って固める。これは奈良時代に盛行した箱を製作する技法のひとつ  ・・略・・  漆の上には金泥と銀泥を用いて文様を描き、最後に全体に油膜をひいて仕上げられている。側面は唐花文に蝶や鳥を配すという。
身側面には冠のように羽を広げて飛ぶ2羽のヤツガシラが描かれている。上の写真では冠羽を閉じているが、漆皮箱では2羽のヤツガシラが冠羽を広げて飛んでいる。ヤツガシラは飛んでいる時に冠羽を広げていたかどうか、記憶にないなあ。
彩絵水鳥形(さいえのみずどりがた) 長2.6㎝厚0.2㎝ 2008年(第60回正倉院展)
ヒノキの薄板を飛翔する鳥の形に裁断し、彩色・装飾を施したもので、一対の形で伝わる。鳥名については、従来は水鳥とされてきたが、近年の研究でヤツガシラと同定された。表面は背に緑、腹に白、嘴に赤色を塗り、冠羽・翼・尾羽に実際の鳥の羽毛を貼り付けており、黒・灰・青・淡青の横縞模様を呈することから、日本産のカケスの初列雨覆(しょれつあまおおい)と呼ばれる風切羽の根元外側の羽毛と同定されている。さらに羽毛の上には金箔の四角い小片を蒔くなど、小品ながら極めて手の込んだ細工が施されているという。
単眼鏡で見て、やっと羽毛が整然と並んでいるのがわかった。それくらい細かい細工だった。 紅牙撥鏤棊子(こうげばちるのきし、染象牙の碁石) 径1.5-1.7㎝厚0.7-0.8㎝ 2005年(第57回正倉院展)
同展図録は、象牙で造った碁石を紅色に染め、これに線刻をくわえて白く文様を彫りあらわす撥鏤技法を用いている。花枝をくわえて飛ぶ鳥を表現するが、羽冠を戴く鳥(ヤツガシラと鑑される)を表し、翼の一部や花心等に緑色をさすという。
花喰鳥(はなくいどり)にもヤツガシラが選ばれている。 粉地銀絵花形几(ふんじぎんえのはながたき、献物几)  2005年(第57回正倉院展)
サクラとみられる材を用いて製作されたものである。天板は4枚の材を矧いで猪目形に刳りのある長花形にかたどり、表裏ともに光沢のある白色顔料を塗り、側面に銀泥で花卉・飛鳥・蝶を散らし描きするという。
左のヤツガシラの向こうには、ヤツガシラと同じ体の小鳥も描かれていた。右の2羽のヤツガシラは尾が長いが、写真の通り、ヤツガシラの尾はこのように長くない。実際にはヤツガシラを見たことのない人が描いたのだろうか。 紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)  1985年(第37回正倉院展)
同展図録は、象牙を紅く染めて撥鏤で模様をあらわした儀式用のものさしで、寸法の目盛りはなく、実用に供されたものではない。表裏両面と側面に美しい撥鏤の模様がみられる。中国の唐では、毎年2月2日に鏤牙尺と木画尺を朝廷に調達する行事があったが、この紅牙撥鏤尺もそうした儀式に用いられたと思われるという。
ここにも花喰鳥のヤツガシラが登場する。クチバシが長いので、ものをくわえた図を描くのが容易だったからだろうか。 碧地金銀絵箱(みどりじきんぎんえのはこ)  1985年(第37回正倉院展)
ヒノキ製、長方形印籠蓋造り、床脚つきの箱。外面を碧色の顔料で塗り、蓋表と4側面に金銀泥で文様を描く。蓋表の文様は、中央に団花文を置き、中に花座にのり、花枝をくわえた対向の双鳥を配し、その周囲に花喰鳥、花卉、蝶をあしらい、4隅に団花の一部をのぞかすという。
こちらも花喰鳥として描かれていて、他の作品のヤツガシラよりも表現が細密である。このような手本となる作品をまねて、簡略化したり、尾が長くなったりしながら、いろんな作品に描かれるようになったのだろうか。冠羽が文字通り冠をかぶったように見えて、天皇にふさわしい鳥とされたのかも。 それとも、現代では稀に来る鳥だが、奈良時代にはそこかしこで見かけることができたのだろうか。

※参考文献
「第三十七回正倉院展図録」(1985年 奈良国立博物館)
「第五十七回正倉院展図録」(2005年 奈良国立博物館)
「第六十回正倉院展図録」(2008年 財団法人仏教美術協会)
「日本の野鳥」(1985年 山と渓谷社)