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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/05/01

石山寺の多宝塔は日本最古


滋賀県の石山寺は山寺で、石段をかなり登ったところに毘沙門堂や蓮如堂があって、その段からやっと多宝塔が岩の上に見える。本堂は左の端にある。
この岩は硅灰石という石灰岩が花崗岩の熱変成をうけたもので、「石山」寺の名の由来になっているそうだ。  多宝塔にたどりつくには、更に本堂から硅灰石を回り込み、正面にある石段をあがっていく。 石段を登り詰めると多宝塔初層の扉が開いていて、人がのぞき込んでいる。薄暗い内部には大日如来が見えた。
『週刊古寺をゆく27石山寺と湖東三山』は、近年の調査で、頭部内から「アン(梵字で書かれている)阿弥陀仏」の銘が発見されて、安阿弥(アンナミ)時代の快慶の作であることが判明した。多宝塔は1194年(建久5)に建立されたが、この像もそのときに制作されたと考えられているという。  扉は正面だけが開いているので、写真のような角度からは見えない。『日本の美術77塔』は、初層平面は方三間で、ちょっと見ると二重塔のようでもあるが、よく見ると上層平面が円形をなし、そのため初層屋根との連接に漆喰の饅頭形を作っている。しかし下層に基壇を造らず板縁をめぐらし、心柱を二階に留めていることは藤原時代以降の五重三重塔と同じである。遺品は鎌倉時代以上に上がるものはなく、藤原時代末ごろから発生した塔型とすべきであろう。
石山寺多宝塔は建久5年の建立で現存木造多宝塔の最古の遺構である。もっとも河内金剛寺の多宝塔が文献的には古いが、慶長時代の修補が多く、遺構的には、石山寺のが最古といえる。
屋根は檜皮葺で、軒出は上層下層ともに深く、勾配は、緩やかにして低い饅頭形をおき、下層軒組には間斗束(けんとづか)を置き、その廻縁には勾欄を作るなどゆきとどいた造形である
という。
この塔が優美とという印象を与えるのは、全体のバランスが良いだけでなく、檜皮で葺かれた屋根の柔らかな曲線かも。  それにしても、正方形の平面から饅頭形という半球に近い形へとどのように移行していったのかと、スキンチ・アーチ(ブハラのサーマーン廟参照)や、ペンデンティヴ(イスタンブールのアヤ・ソフィア聖堂のドームから4本の柱へと移行する部分が有名)などに関心のある私としては興味のある箇所だが、断面図を見ると、屋根の上側だけのものらしい。
饅頭形を作ったために、欄干も円形にカーブさせたりしている。 しかし、多宝塔という名称は多宝如来から来たのではないのか?
現神戸大学名誉教授の田淵俊樹氏の講座を以前聴講した時のノートには、根本大塔が真言宗における新しい建築(五間多宝塔)であるが、三間多宝塔が最も多い。根本塔は、世界の中心に存在する大日をお祀りする建物だが、法華経に出てくる多宝如来のいる塔と習合して、このような多宝塔になったと書いている。

多宝如来のいる塔についてはこちら

※参考文献
「日本建築史図集」(日本建築学会編 1980年 彰刻社)
「週刊古寺をゆく27 石山寺と湖東三山」(2001年 小学館) 
「日本の美術77 塔」(石田茂作編 1972年 至文堂)