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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/10/06

動物頭の鹿角は中国の開明に?


北方ユーラシアでは、鹿の巻角は前5世紀には鳥の頭部になってしまった。中国周辺、あるいは中国でも角が他の動物の頭部になったようなものがあった。

有角獣形頭飾 金 高11.5㎝ 匈奴(前4世紀)  神木県納林高兎出土 西安、陝西省博物館蔵
『世界美術大全集東洋編1』は、四葉の上に怪獣が立っている姿を表している。その動物は一見すると枝角を持つ鹿に見えるが、口は鳥の嘴のような形で、枝角の先はそれぞれグリフォンの頭になっいる。尾もグリフォンの頭の形をしている。これは帽子あるいは冠の上につける装飾であったと考えられている。このような怪獣は、アルタイの初期遊牧民文化にも見ることができるという。
『図説中国文明史3』は、戦国時代の匈奴の貴族が使った金の装飾品。鷲のくちばし、獣の身体で、頭上には鹿の角がある。獣の身体は凸雲紋で飾られ、頸部は鬃紋(そうもん、たてがみ)で飾られている。立体彫刻、透し彫り、浮き彫りが1つの器物上に集められ、匈奴の見事な工芸水準をよく表しているという。
匈奴も巻いた鹿角に動物の頭がつけていた。今までと異なるのはその角が背中に沿っていないことだ。 金動物文飾板 前4-3世紀 内モンゴル自治区杭錦旗阿魯柴登出土 3.3X5.0㎝ ホフホト市内モンゴル自治区博物館蔵
『世界美術大全集東洋編1』は、帯を構成する飾板であったと考えられる。虎のような獣が前肢と後肢を前に出し、伏せるような姿をとる。頭の上からは枝角が背中に沿って伸びており、それぞれの端には鳥頭あるいはグリフォンの頭が表される。虎の尾にも鳥の頭がある。この怪獣は虎のような猛獣を基礎として作ったものである。しかしこのような動物も、ノヴォシビルスク地方で発見例があるという。
肉食獣にも枝角がついてしまった。鳥というよりは耳の丸いグリフォンの頭部に見える。 鏡の装飾品 内蒙古伊克昭盟ジュンガル旗西溝畔遺跡 匈奴墓出土 戦国時代(前403-221年)?
『騎馬遊牧民の黄金文化』は、銅鏡の背面から発見された装飾品で、獣身鳥頭で鹿の角を持つグリフィン様の紋様が施されている。帯飾りは裏側に漢字が記されていた。字体の検討から、発掘報告では、戦国時代の秦で作られた可能性を指摘している。
戦国晩期には、すでに中国とオルドス地域との交流があったことを示す
という。
巻角が動物の頭ではなく渦巻きになっているのは、戦国秦が作ったからだろうか。 帯飾り 前漢(前206-後8年) 江蘇州徐州市宛胊侯劉執墓出土 
『騎馬遊牧民の黄金文化』は、前漢に入ると、オルドスの黄金製品に見られるモチーフを持った飾り板は、中国の南方でも見られるようになるという。
騎馬遊牧民の動物の頭の角は、中国南方では訳が分からなくなり、動物の本体が消滅して、鳥の頭部だけが地模様のようにびっしりと並んでしまったのか。 時代はかなり下がるが、鳥やグリフォンの頭部ではなく、人頭がついたものが出現する。

開明獣 敦煌莫高窟第249窟窟頂部 西魏(後535-556年)
『敦煌莫高窟1』は、簡体字の中国語なので、わからない文字もあるが、字面で判断すると、中国の古代神話に登場する天獣「開明」は、窟頂の東・南・北に3対ある。北の開明は13の首、南の開明は11の首、東の開明は9の首がある。
山海経には、開明獣は「人面の9つの首がある」
と書いてあるようだ。
しかし、下図では、左面の開明の人頭は9、右面の開明の人頭は11ある。図版が左右反転しているのかも。窟頂部全体はこちら
敦煌莫高窟第285窟(西魏)にも開明が描かれている。その窟頂部はこちら コストロムスカヤ1号墳出土の鹿形飾板を見て以来、北方ユーラシアの鹿角が巻いて繋がっているのを見る度に、頭に浮かぶのは敦煌莫高窟で見つけた人頭がたくさん並んだ怪獣だった。その怪獣が開明と呼ばれることを知って、もっとすごい名前を想像していたので意外だった。
中国の神話が作られた時代に、周辺の騎馬遊牧民は、枝角がくりくりと巻いた鹿をさかんに表現していた。それが中国ではたくさんの首がついたように解釈され、やがて人頭がたくさんある開明獣になったのでは。

※参考文献
「興亡の世界史02 スキタイと匈奴 遊牧の文明」(林俊雄 2007年 講談社)
「季刊文化遺産12 騎馬遊牧民の黄金文化」(2001年 財団法人島根県並河萬里写真財団)
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」(2000年 小学館)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「図説中国文明史3 春秋戦国」(稲畑耕一郎監修 劉煒編著 2007年 創元社)