お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/08/28

首飾りに円筒印章は?2

 
エシュヌンナの貴人座像 前2千年紀初頭 イラン、スーサ出土 閃緑岩 高89㎝ ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編西アジア』は、メソポタミアの東隣エラムの地の中心地スーサからは、数多くのメソポタミア美術の遺品が発見された。これらはどれも前12世紀に、戦利品としてエラム王の手により持ち込まれたものである。そのなかにはテル・アスマル(現エシュヌンナ)から運ばれてきた彫像が何点か含まれていて、いずれも前2千年紀初頭の作品であることが判明している。これらは共通する一定の作風を見せていることから、古バビロニア時代前半の彫刻の概要を知るための貴重な手がかりとなっている。
人物のプロポーションや衣服から出ている右肩・右腕の表現などにとくに大きな誇張は見られない。豪華な縁飾りをつけた丈の長い衣服の輪郭線、胸の前に垂れ下がっている装身具の取り扱い、あるいは衣服の皺を強調した刻線ではなく面の凹凸をつけることによって巧みに表現している点など、自然の感触を重視した作風が見られる
という。
王妃の装身具以外は首の付け根にぴったりとした首飾りだったが、こちらはだいぶ長目だ。楕円形と小円形を交互に組み合わせているが、円筒印章ではなさそうだ。残念なことに顎鬚のおかげで中央にどのようなものが下がっていたのかわからない。ヒゲで隠すほど貴重な円筒印章だったのかも。 首飾りのビーズ玉 前2千年紀初頭 テロー出土 瑪瑙、紅玉髄、水晶、ラピスラズリ 長左:約16.5㎝ 右:約11㎝ ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、この2つの首飾りは、鐶で小さなレンズ状の宝石を吊り下げている。きわめて高純度の水晶を加工した玉もある。これらの宝飾品の一つはテローの墓から見つかったという。
紐を通す穴を外側に彫りだした球形が他の時代にない。首飾りとしては短すぎるので、同じくテローで出土したウルク後期の首飾りのように、間隔を開けていたのかも。
それにしても、右側の首飾りは、中央にくるものがハエとは、いくら高価なラピスラズリ製でもね。しかし、装身具にハエの象った物はどこかで見かけたような。 首飾りのビーズ玉 前2千年紀初頭 瑪瑙、紅玉髄、ラピスラズリ、金 長約19㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
同展図録は、発掘現場から出土するビーズ玉は、たいてい紅玉髄、瑪瑙、金でできており、ラピスラズリは比較的珍しい。
この小さな首飾りの中心は、大きな長方形のビーズで強調される。また金のビーズ玉は、古典的様式に従ってビーズの軸と平行に、あるいは軸と直角に畝模様が入っているが、直角方向の例は少なくこの時代に特有かと思われる。これら金のビーズ玉はおそらく粘土の芯をもっていると思われる
という。
この大きな長方形のビーズなら、文様を彫ると円筒印章になっただろう。  水壺を持つ女神像 古バビロニア時代(前20-19世紀) シリア、マリ(テル・ハリリ)出土 白石 高140㎝ アレッポ国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、この彫像は、胴体がジムリリム王の宮殿の奧に位置する中庭から、また頭部がその隣の広い部屋から、それぞれ別に発見された。
女神は角飾りを帽子につけ、大きなイヤリングと腕輪とを飾り、ビーズを連ねた飾りを幾重にも首に巻いている。スカートは襞を5段重ねた華やかなもので、マリの女神の姿に共通する衣装であり、この時代の宮廷の女性の服装を反映していることはたしかであろう
という。
当時の宮廷の女性は首が隠れるほどぴったりした首飾りを何連も巻いていたようだが、丸い形から、上の首飾りの金のビーズ玉かも。 ハンムラピ法典碑 バビロン第1王朝時代(前18世紀) イラン、スーサ出土 玄武岩 高225㎝ ルーヴル美術館蔵
同書は、この細長い石碑も他の多くの作品と同様に、前12世紀のエラム王シュトルク・ナッフンテによりバビロニアから戦利品としてスーサに運ばれたものである。
石碑の頂部の浮彫りには、右側に玉座に腰掛けた神の姿が、左側にはこれに礼拝を捧げる王の姿が表されている。神は神性を表す角飾りをつけた帽子をかぶり、右手に環と短い棒(または紐)を持っている
という。
有名なハムラビ法典碑だが、エシュヌンナの貴人座像ほどには丁寧な表現ではない。地方性というのだろうか。
王も神もそれぞれ異なった首飾りをつけているようだが、長い顎髭に隠れているために、中心にどんな玉をつけているのか、わからない。 フレスコ画 犠牲を捧げる人々 前18世紀 マリ出土 ルーヴル美術館蔵
同書は、マリ王宮の中庭からは多くの壁画断片が土に埋もれたまま出土した。
右側に見られるひときわ大きな人物は、王またはひじょうに身分の高い神官と思われるが、彼はこれから犠牲として捧げる牡牛を引く人々の先頭を歩いている
という。
牡牛を引く人々は今までみてきた貴石や金の玉と全く異なる輪っかを首に下げている。首飾りにも身分の差があったのかも。 前2千年紀前半でも首飾りに円筒印章は見つからなかった。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK) 

2009/08/25

首飾りに円筒印章は? 1

 
『オリエントの印章』は、円筒印章は紀元前3000年頃になると、芯の部分をくり貫き、ネックレスやブレスレットにしたり、ピンで衣服に留めたりできるようにしたという。残された像に円筒印章を首にかけたり、腕に巻いたりしているものがあるだろうか。

首飾りのビーズ玉 ウルク後期(前3500-3100年頃) テロー出土 水晶と石英 長約40㎝ ルーヴル美術館蔵 
『メソポタミア文明展図録』は、水晶を滴やアーモンドの形にカットしたこれらのビーズ玉は、高価な装身具となって、それを身に着けた男女の威信を高めるのに役立った。これらの石は社会階層の頂点を占めたエリートの存在を物語っている。ビーズ玉は散乱して見つかったので、首飾りへの取りつけは近代のことであるが、スーサで見つかった同じ型の首飾りを見ると、滴状の大きなビーズ玉が、通し孔で連ねられたファイアンスまたは頁岩でできた小さなビーズ玉の列と組み合わされていたという。
図版ではもっと黄色がかっているため、石の小さな穴に残った砂が金のようだ。透明であるとことが珍重されたのだろうか。
取り付けが近代のものとはいえ、ビーズ玉の真ん中ではなく、先端に孔があけられていて、現代の作家の作品であると言われれば、そうかと思うようなビーズ玉群である。
しかし、当時の技術では、真ん中よりも端に孔をあけた方が簡単だっただろう。 王妃のアクセサリー ウル第1王朝時代(前2600-2500年頃) イラク、ウル王墓出土 金、銀、玉髄、ラピスラズリ 大英博蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、王妃プアビの墓から発見されたまばゆいばかりの金銀宝石細工は、その発見状況から、多くは頭部を飾っていたものと思われる。金の板を薄く伸ばして紐状にしたり、リング、木の葉の形などに加工したものを、ラピスラズリや紅玉髄のビーズとつなぎ合わせ、  ・・略・・  貴金属加工の優れた技術と、斬新な意匠が時代を超えて人々の目を釘づけにするという。 
この中に円筒印章はありそうにないなあ。 首飾りのビーズ玉 左:前2600-2500年頃 メソポタミア出土 金 長約33㎝ 右:前2600-2500年頃 テロー出土 金、紅玉髄、ラピスラズリ 共にルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、双円錐形のビーズ玉はこの時代に特有であり、あらゆるサイズが存在する。これらの玉は繋げて首飾りに用いられた。
もう一方はさまざまな形の金、紅玉髄、ラピスラズリの玉で出来ている。その配列は全く推定の域を出ないが、多種多様な高価な材料のきらびやかな組み合わせは特に尊重された
という。
ソロバン玉の方はともかく、右の細長いものなら円筒印章になりそうだ。 男性立像(背面) イラク、アッシュル出土 閃緑岩 高137㎝ アッカド王朝時代(前2300-2250年頃) ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵 
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アッシュルのアヌ・アダド神殿の東北に位置するジッグラト(聖塔)の東隅付近から発見された。
人物は長く鬚を伸ばしている。ネックレスをつけ、こしに幅のあるベルトまたは帯で固定したスカートをはき、また左肩にも布を掛けている。衣服の裾には縁飾りがついている。これがアッカド期の貴人の典型的な服装であったのだろう
という。
貴人男性は首飾りをつける習慣があったらしい。真ん丸の同じ形の玉を繋いでいるが、前面の図版は正面に鬚が下がっているので、中央にはどんな玉があったのか残念ながらわからない。
背面の中央の玉の下には浅浮彫で細長いものがあるが、これが円筒印章ということはないだろうなあ。 ビーズ装身具 前3千年紀後期 シースターン州シャフレ・ソフテ出土 ラピスラズリ、瑪瑙、金ほか イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、ラピスラズリの管玉、瑪瑙製の菱形玉など多種多様のビーズが連なった装身具。瑪瑙の縞模様が複雑な色彩効果をさらに高めている。黄金製のビーズが加わる作品もある。それぞれの珠は大きさに若干の違いがあり、絶妙のアクセントを醸し出しているという。
円筒印章のような形の石と金製のビーズが交互に配列されてできた首飾りのようだ。しかし、浮彫のあるものはなさそうだ。
もし円筒印章がこのように首飾りの紐に繋がれていたなら、わざわざ外さなくても、土の上を転がすことができそうだ。色付きビーズの首飾りを着けた女性の小像 前2000年頃 テロー出土 アラバスター、紅玉髄、トルコ石、金メッキした銅 高2.8㎝長40.4㎝ ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、断片ではあるが、このごく小さな像が貴重な資料であるのは、通常ばらばらで見つかる首飾りの構成要素の配列を、きわめて正確に知ることができるからである。
彫り手は首の周囲に一連の小さな窪みをつけ、そこには紅玉髄、ラピスラズリ、トルコ石、金メッキ-酸化して今は緑色-した銅の粒をビーズ玉として嵌めこみ、3段首飾りを構成している。互い違いに色の変わるビーズ玉は、中央の大メダルの両側に左右対称に振り分けられた。背中の襟の開きの中、金メッキした粒の上に緑色の石の大メダルが見えるが、おそらく首飾りと平衡を保つためであろう。
当時めったに使われなかったトルコ石があることも注目に値する
という。
中央に大きな石が嵌め込まれているので、これが背面であると思わなかった。
この首飾りに円筒印章らしきものはついていないが、前面中央になかったとは言えない。 前2000年までには円筒印章を身につけている像も、装身具も見つけられなかった。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」(2006年 朝日新聞社)
「大英博物館双書④古代を解き明かす オリエントの印章」(ドミニク・コロン著 學藝書林)

2009/08/21

トークンとクレイペック

 
印影のある粘土球の中にはトークンが入っている。

トークンの入った球形封泥(ブッラ) 軽く焼いた粘土 ウルク後期初期(前3300年頃) 直径6.5㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、無傷で見つかったこのブッラは、粘土製の7個のトークンを封入する容器として使われた。この種の記録物はウルク後期以来契約者の取引を記憶する手段として用いられた。トークンのサイズと形は数を表し、また取引の帳簿に載せる物産をも意味した。疑わしい場合、運ばれた品物と契約した品目が一致するのを確かめるには、ブッラを割ってその中身を目録に記すだけでよかった。いったんブッラが密封されると、まだ柔らかい粘土表面に所有者と役所の円筒印章を転がした。印影は完全ではないが、翼を広げた3羽の猛禽を表しているという。
形や大きさによって、品物の種類や数を表した小さな粘土をトークン(token)と呼ぶらしい。しかし私は長い間、トークンは下写真のようなものだと思いこんでいた。

クレイペック 前2141-2122年頃 径60㎜長113㎜ テルロ出土 ルーヴル美術館蔵
『オリエントのやきもの』は、メソポタミアの王は、その在位中に建設した公共建築物に自分の名を残すのがしきたりになっていた。また、シュメール時代や古代バビロニア時代では、土釘などに短い碑文を刻むのが普通だった。このタイプの土釘は、建物のれんがの間に所有の印として差し込まれたもので、家を新しく入手する時に釘を槌で叩き込むというしきたりの延長として使用されたという。
トークンは文字の出現以前のもので、楔形文字で名前や碑文を刻んだものはクレイペック(クレイペグ clay peg、粘土釘)というようだ。 円錐形モザイク各種 ウルク(前3200年頃) 左端の3点は石製ほかは粘土製 右端の1点:岡山市オリエント美術館蔵 ほか11点:古代オリエント博物館蔵
『タイルの源流』は、クレイペック(粘土釘)、ストーンペック(石釘)はチグリス川、ユーフラテス川の両川の氾濫がひとつの契機になって生まれたものなのです。すなわち建造物を洪水から守り、崩れないようにするために考え出されたものがクレイペック、ストーンペックという工法じゃないかと私は考えています。つまり、洪水の被害から守るためには、建造物の壁面に立方体の粘土釘や石釘を叩き込めば補強できることを度重なる洪水の経験から発見し、それがクレイペック、ストーンペックという工法に発展したのではないかと思われるのです。これがそうした補強材からしだいに装飾的側面を強め、モザイクのような紋様へとさらに発展するという。
文字がなくても粘土釘はクレイペックだった。

『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、神殿を中心に都市的集落が発達し、歴史時代へ入る直前の段階のウルク期(前4千年紀)では、南メソポタミアのウルクやウル、北メソポタミアのテル・ブラクなどで、壁画や円柱が円錐形のモザイクを挿し込んで装飾された。代表的な例は、ウルクの神域、エアンナの主要部、建築様式としても特異な、通称「円柱広間」にある。直径が2.62mもある独立した4本の柱と、隣接して半円柱が立ち並ぶ壁面のすべての面が何万という陶製の円錐鋲で埋めつくされた。円錐鋲の長さはだいたい10㎝、頭部の直径は2㎝足らず。鋲頭は黒と赤と淡黄に色分けされ、分厚い泥の上塗りに、一定の図案にしたがって差しこまれた。鋲は色石も利用された。ジグザグ形と菱形が図柄の基本だったという。
バクダッド美術館にはそれが移設展示されているのだろうか、そう見える図版があった。

クレイペックによるモザイク 前3700-2850年頃 バグダッド美術館蔵(撮影山本正之氏)
その復元図と思われるものは、

エアンナ地区への入口にあった粘土製コーンを使ったモザイクで装飾された列柱の復元図 前4千年紀末
『メソポタミア文明展図録』は、石膏の層で覆い、そこに色石の釘や粘土の釘を並べて埋めた。これらの釘は色のついた平らな頭だけを出して、幾何学的なモチーフ、すなわちジグザグ、三角形、菱形、斜めの帯など、筵の織物にも似た模様を形成したという。
ムシロや籠を幅の広い植物の皮で編んで、このような文様を作っている光景が目に浮かぶ。土器の文様にでもありそうな文様だ。 INAXの「世界のタイル博物館」では、常設展の「装飾する魂」で約5万本のクレイペグを手作りし、壁空間が再現されているらしい。是非見てみたいが、遠いなあ。

※ 古い文献や美術館の展示での説明ではクレイペックでしたが、最近ではクレイペグとなっているようです。

※参考サイト
世界のタイル博物館(INAX TILE MUSEUM)常設展「装飾する魂」

※参考文献
「ヴィジュアル版 世界古代文明誌」(ジョン・ヘイウッド 1998年 原書房)
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン」(2001年 岡山市オリエント美術館)
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)
「タイルの源流を探って オリエントのやきもの」(山本正之監修 1991年 INNAX BOOKLET Vol.10 NO.4)

2009/08/18

組紐文の起源は蛇?

 
二重・三重・四重の平行線ではなく、まだらの組紐文があった。

幾何学文の石製容器 前3千年紀 マリ出土 閃緑岩 高26.2㎝ ダマスカス博物館蔵
『シリア国立博物館』は、神への奉納物は永遠に耐えうるような堅固な容器に納めなければならない、とセム系の人びとは考えたのであろうか。マリ遺跡からは奉納用の石製容器が、青銅器時代後期のものでは、溶岩で作った奉納台や奉納用容器が発見されている。
容器の表面にほどこされた浮彫りはわりあいに深い。材質も柔らかいためであろう。縁飾りとしてしばしばみられる絡縄様の意匠を主文としている。壺の形をしているのもめずらしい
という。
こんなところに絡縄文様帯が主文となったものがあった。ギーラーン出土の金杯(前1千年紀前半)の組紐文の主文は、少ないとはいえ、連綿と受け継がれてきたものかも。
このまだらの帯は、見ようによっては蛇かも知れない。メソポタミアやシリアのヘビに斑点のあるものがいるのかどうかわからないが、ひょっとして組紐文の起源はヘビだったのかも。 そうそう、蛇と言えばこの壺。

蛇文の壺 初期王朝時代1期(前2800-2600年) イラク、カファジェ出土 凍石 高11.5㎝直径17.7㎝ 大英博蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、シュメール初期王朝時代1期(前29-27世紀)には、神話から題材を得たと思われる不思議な場面が展開する浮彫り装飾が施された凍石製の容器が、各地で作られた。この作品もその一つであるという。
確かにヘビの体に斑点があった。 ところで、ウル第1王朝時代(前2600-2500年頃)の黄金の短刀には、一重の組紐文がある。マリ出土の石製容器が前3千年紀(前3000-2000年頃)と年代に幅があるため、どちらが古いのかわからない。

印影のある粘土球 蛇とロゼット文様 前4千年紀 イラン、スーサ出土 球形6.8㎝ ルーヴル美術館蔵
同書は、円筒印章が出現するや、広い範囲の曲面にも手早く捺印できる機能性が歓迎され、多くの地域で短期間のうちにスタンプ印章に取って代わった。たとえば、当時の商取引で納品書の役目を果たしていた粘土球の封印に円筒印章はうってつけだったという。 
このロゼット(円花)文を囲んで交差する線がヘビらしい。
このように円筒印章を回転し続けると、長い胴体を何度も交差させるヘビになるなあ。頭部はどこにあるのだろう。
不思議なのは、ロゼット文の花弁の形や数が、それぞれに異なって見えることだ。中央の列の一番下は5弁花文に見えるし、その上は8弁花文、更に上は7弁花文に見える。円筒印章にはヘビの胴体だけが彫られ、繰り返してできた丸い空間にはいろんなスタンプ印章で花文をつけたのだろうか。 組紐文の起源は絡縄文になったヘビだろうか。ひょっとして長い首を交差させて向かい合う怪獣というモチーフの起源も、このような交差する2体の蛇を表したものかも。

※参考文献
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 (増田精一・杉村棟編 1979年 講談社)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)

2009/08/14

組紐文の起源はシリア

 
粒金細工の起源をもとめてメソポタミアあたりをふらふらしていた頃、金帯(前8-6世紀)に粒金細工の三角形を2列並べ、その三角形の上下に組紐文があった。また、ブレスレット(カッシート、前13世紀)に粒金細工の菱形の上下に組紐文があっり、もっと時代の下がった文様と思っていた組紐文が、メソポタミア起源で、割合古いものであることを知った。
しかし、円筒印章を調べていると、この文様はシリアが起源であると、それぞれの本に記されていた。しかも、もっと古い時代からある文様だった。

石製容器断片 前2300年 シリア、マリ出土 高19.6㎝ シリア国立ダマスカス博物館蔵
『シリア国立博物館』は、絡縄帯の浮彫りの石製容器の表面をいくつかに仕切り、木の芽を喰む山羊、羊の群、つぎに、果樹でも移植しているのであろうか、膝をついて作業している人物など田園の光景を浮彫りにしているという。
組紐文は「絡縄帯」という表現もあるのか。こちらは二重ではなく、四重になっている。円筒印章と印影 シリア 前2千年紀前半 出土地不明 緑色碧玉 2.0X1.0㎝ ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、シリアの印章に特徴的な組紐文様に仕切られた画面にさまざまなエジプト風のモティーフが散らばる。組紐文様の隣に並ぶ鳥もエジプト文字の1字、ホルスの鷹を表すように見えるが、この場合は画面のデザインの一部として使われている。
前18-17世紀ごろのシリアの円筒印章のなかに、高さ2㎝内外の特異な作品群があり、20数点が知られているが、その一つである。この時代の円筒印章の大半が赤鉄鉱製であるのに対し、すべて緑色碧玉(ジャスパー)製であり、意匠にも共通点が多いところから、同一工房の可能性が高い。大半の画面には有角動物や鳥などの行列、組紐文様、エジプト的なモティーフが現れる。同時代のバビロニアの図像や楔形文字の銘文をもつ印章6点も含まれる。印章の出土地がキプロス島、クレタ島、カルタゴなどにも及んでいることから、問題の工房はエジプトに近い港町、たとえばビュブロスなどにあったのではないかと推定する学者もいる
という。
組紐文は三重になっているが、毛糸をまとめたように両端が輪になっている。組紐文には画面を仕切るという役割があったらしい。 円筒印章の複製印影 前18世紀 赤鉄鉱 2.3X1.0㎝ オクスフォード、アシュモレアン博物館蔵
『オリエントの印章』は、T・E・ローレンスがアレッポで購入した円筒印章。中心となる場面は2本の縄編み模様のあいだに配置され、玉座に腰掛ける水神の前に女神の手を引いて連れて行くウスム。付随的な部分は3つ編み模様の帯によって上下2段に仕切られ、上にはグリフィンに襲われる野生のヤギ、下には様式的に描かれた木の両脇に横たわる2匹の野生のヤギが描かれているという。
アラビアのロレンスは考古学者でもあったのだった。
組紐文が画面の上下に配されているが、神が登場する場面であることを示しているのだろうか。その右側では、三つ編みの組紐文が別々の場面を仕切っている。 円筒印章の複製印影 前1400-1350年頃 トルコ、テル・アチャナ出土 ファイアンス 2.7X1.25㎝ 大英博蔵
『オリエントの印章』は、うずくまるレイヨウが2匹、垂直に描かれ、その上と下に異なる渦巻き模様が走っているという。
魚の開きのように見えた文様も渦巻きの一種だった。あれ、ドミニク・コロン氏は組紐文ではなく渦巻き文と見なしているようだ。渦巻きに囲まれた動物は、神への捧げ物であることを示しているのだろうか。 高杯 ギーラーン出土 金製 前1千年紀前半 高8.9㎝ 中近東文化センター蔵
『古代イラン秘宝展』は、主なモチーフとなっている組み紐文は古代オリエントで頻繁に使用された文様であり、マルリーク出土品にも類例が見られる。ただ、組み紐文のみが主要なモチーフとされているものは存在しない。また脚部を有する小金杯は比較的珍しいという。
組紐文は前1千年紀前半にもなると器の主文となったのだろうか。それとも例外的に誰かの好みで作られたものだろうか。
脚部の縁飾りが三角形を並べた鋸歯文になっている。一見粒金細工に見えるところもあるが、じっくり見ると小さな穴が並んでいる箇所の方が多い。組紐文は端飾りとして生まれ、やがて場面の仕切りとしての意味が出てきたようだ。
ギーラーン出土の小さな金杯も、大きな端飾りなのかも知れない。

※参考文献
「世界の文様2 オリエントの文様」 (1992年 小学館)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「大英博物館双書④古代を解き明かす オリエントの印章」(ドミニク・コロン著 學藝書林)
「古代イラン秘宝展-山岳に華開いた金属器文化-」(2002年 岡山市オリエント美術館) 

2009/08/11

円筒印章に四弁花文?十字文?

 
円筒印章に気になる文様があった。

円筒印章と印影 花文様 前3000年頃 メソポタミア出土 石彫 古代オリエント博物館蔵
加工し易い石だったのか、かなり深く彫ってあるので、印影にははっきりした四弁花文が表されている。
円筒印章と印影 前3千年紀前半 加熱凍石 5.0X1.1㎝ 大英博蔵
『オリエントの印章』は、オーステン・ヘンリー・レイヤードが1845年から1851年にかけて、メソポタミア地方でおこなった発掘で見つかった円筒印章。細長い形状、印材、十字形のデザインは、前3千年紀初めの数百年にわたってみられる、いわゆる「ニネヴェ第5層」様式に特有のものであるという。
上の円筒印章とよく似ているが、こちらは花文様ではなく、十字形と考えられているようだが、私には四弁花文に見える。  印影を描いた図 印章はウル出土 前3千年紀初頭 高約3.5㎝ 捺印物は大英博蔵
『オリエントの印章』は、ほとんど同一の図柄がイラン東部でアフガニスタンとの国境に近いシャワル・イ・ソホタ出土の印章のかけら(テヘラン・イラン・バスタム博物館蔵)にも見られる。ウルとシャワル・イ・ソホタのあいだは直線距離で1300㎞あり、商人の活動範囲の広さを物語っているという。
こちらは十字形を菱形に近い六角形で囲んだ幾何学文である。
1つの図柄の円筒印章は、1人の商人あるいは1つの商団が使用したということなら、かなりの範囲を移動したんやなあ。  円筒印章と印影 初期地不明 初期王朝時代(前2900-2700年頃) 方解石 6.1X1.9㎝ 大英博蔵 
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、十字形、ロゼット、同心円、ジグザグ形などからなる幾何学文の円筒印章。このほかにも三角形、楕円、アーチ形、波状線、平行線、格子文等々が組み合わされ、隙間なく画面を覆う幾何学文印章は、いわゆる「豊かな三日月地帯」の山裾一帯に広範囲に分布するので、「山麓様式」などと総称されることもあるという。
これはどう見ても十字形である。その右には八弁花文がロゼット文として表され、また下には六弁花文も表されているので、花を幾何学的に表現したのではなさそうだ。
高い山で日の出を待つ時、まず縦に光の帯が伸びてくる。ひょっとして、メソポタミアの平たい大地に日が昇る時、このように四方に光が広がっているように見えるのかも。 四弁花文から十字文のデザインが生まれたのだろうか。よくわからないが、その逆ではないと思う。花弁が4枚の花は実際にあるのだから。

※参考文献
「世界の文様2 オリエントの文様」 (1992年 小学館)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「大英博物館双書 古代を解き明かす4 オリエントの印章」(ドミニク・コロン 1998年 學藝書林)

2009/08/07

円筒印章に取り付けられているもの

 
円筒印章は、芯に穴をあけて、首飾りや腕輪、ブローチとして持ち運ぶものもあったようだが、他にはつまみのようなものが付けられていたり、上部に紐を通す穴のあるもの、また、持ち運んだり、回転させたりする道具が取り付けられているものをときどき目にする。

動物小像付き円筒印章と印影 羊を飼育する男とイナンナ女神の標柱 前3200-3000年頃 ウルク遺跡付近で入手 大理石 5.4X4.5㎝ ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、男が両手に植物の枝を握り、2頭の羊が左右からロゼット状の花に口を寄せる。イナンナ女神の葦の標柱(リングポスト)が向き合って画面を区切り、左端には「ワルカの壺」によく似た形の1対の祭器と子羊が描かれている。手前にあるのは供物台か。
神殿の最高責任者がイナンナ女神の聖域で羊を飼育する図と解釈できる。リズミカルな構図、のびやかで写実的な表現のなかにシンボリズムが融和している、秀逸な作品といえよう。
ヘアバンド、顎髭、上半身裸体にキルトをつけた男性像は、エジプト先王朝期の象牙製ナイフ(ルーヴル美術館蔵)の浮彫りに登場し、注目される。ウルク文明の影響がエジプトにまで及んでいた可能性を示唆する例といえよう。
印章の上部には金属製の動物小像が嵌め込まれている。円筒軸にブロンズ製のシャフトが通り、ブロンズの羊の小像がつく。若い動物のうずくまる姿を見事にとらえた親指ほどの像は、失蝋法で鋳造されたメソポタミア最古の作例
という。
いったい何のために片側だけ動物小像がついているのだろう。このつまみを持って粘土の上で回転させても、均等に模様がつかないのではないだろうか。両側に付いていたとしても、形状が回転させるのに適していない気がする。手の平で転がしていたのかなあ。
羊の中央に小さな穴が空いているようにも見える。細い紐を通していたのかも。 スタンプ円筒印章と印影(底面は未彫刻) エラム中王国時代(前14-12世紀?) 出土地不明 緑色碧玉 1.9(2.3)X1.0㎝ 大英博蔵 
同書は、ハープ奏者を伴う儀式図。出土地は不明ながら瑪瑙や紅玉髄といった半貴石に彫られた一群の印章が現存する。異説はあるものの、一般にはエラム中王国時代の印章とされる。彫刻は細かく丁寧で、人物はみな似ている。従者を伴う女性を描く場合もあるので、宮廷用の工房の作品であったかも知れないという。
ハープ奏者の背後にはちょっと不思議な生命の樹が表されている。
こちらは削り出しで紐を通す穴を作っているので、持ち運ぶことを念頭に置いて作られたものだろう。
やっぱりこれも手の平で転がしていたのでは。 黄金製キャップに嵌め込まれた円筒印章 前1千年紀前半 シリア、ネイラブ出土 紅玉髄 2.8X1.2㎝ ルーヴル美術館蔵
印章面は聖餐図、キャップ底面は羊図。シリア、パレスティナからアナトリアにかけて、前1千年紀はすでにスタンプ印章主流の時代だった。だが円筒印章は楔形文字文化圏に接する地域で生き残り、スタンプ円筒印章の需要も少なくなかった。円筒印章の上下にかぶせる金属製キャップの流行は、こうした状況を反映するものと思われる。下方のキャップ底面に図文が陰刻され、円筒印章をスタンプ併用に変える利便性をもっていた。畝目文様のキャップは好まれたらしく、石や青銅の円筒の上下にこのデザインを模刻したスタンプ円筒印章がいくつも見つかっている。印章は線描技法を主体という。
体に光背のようなものがある神がテーブルの前に坐る。聖餐なので、テーブルの上には神の食事が置かれているのだろう。その上には有翼日輪が彫られている。神の背後にあるのは、蔓状のものがからんで妙だが、やはり生命の樹(ナツメヤシ)だろう。
こちらもつまみを持って回転させるのは難しそうだ。手の平で回転させると、粘土には金属の畝目文様も上下に現れただろう。 円筒印章 前4世紀 出土地不明 紅玉髄 印章可視部の高2.3㎝ ヴィクトリア・アンドアルバート美術館蔵
黄金の鎖付きキャップに嵌め込まれ、婦人と鷺の図が彫られる。アケメネス朝時代の印材としては玉髄が多く、瑪瑙も好まれた。円筒印章は比較的小さなサイズのものが多かった。
前4世紀には、円筒印章の命脈は絶えつつあった。円筒形の紅玉髄には一部分しか彫刻はない。画像部分を粘土に押し付けて捺印することがあったとしても、石全体を回転させる本来の機能はもはや求められていない。円筒印章は3000年の長い時間を生き抜いた果てに、その性格を変えてスタンプ印章に近づき、あるいは美しいお守りとして愛蔵されるようになった
という。
鷺が魔除けとしての意味合いがあったのだろうか。 円筒印章にはいろんなものが彫り出されたり、取り付けられているが、紐を通す穴以外には実用的ではなく、装飾的なものだたようだ。
円筒印章も役目を終えたら護符になってしまったのか。
『オリエントの印章』は、印章には財産を守る役目もあったので、持ち主にとってはお守りや魔除けのような御利益ももつようになった。実用本位の印章もあったが、宝飾品としての価値をもつものも出てきた。後者はめずらしい石や準宝石を素材とし、金の台が付いていることもある。ローマ時代には宝石の印材が好まれるようになり、彫宝品(ジェム)という名で知られる印章が作られたという。
印章を魔除けとしてアクセサリのように身につけていたのか。それが護符だけの役目となり、別の場所で、ずっと後の時代になると装身具になってしまったらしい。

関連項目

生命の樹を遡る

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「大英博物館双書 古代を解き明かす4 オリエントの印章」(ドミニク・コロン 1998年 學藝書林)

2009/08/04

円筒印章の転がし方


円筒印章はいろんな特別展や美術館で見てきた。必ず現代において粘土に転がした印影と共に展示され、どちらかというと、印章よりも印影の方をじっくりと見ていた。時には水平な面に印影が出ているのではなく、ごろんごろんに盛り上がったり凹んだりして、よほど転がすのが難しいのかと思うような印影もある。おそらく工作用の粘土が硬くて回しにくかったのだろう。

円筒印章と印影 石製 メソポタミア出土 前3000年頃 東京、古代オリエント博物館蔵 
このように平たい面に長々と転がしてあるのを見ると(下図はその部分)、円筒印章はコロコロと転がせると文様が連続していて便利だなあと思ったものだ。 円筒印章の印影のある壺断片 焼成土 トルコ出土 前15-14世紀 イスタンブール考古学博物館蔵
サボテンのような生命の樹と樹の間で1回転する円筒印章なので、かなりの直径があったのではないだろうか。そしてこの壺自体もかなり大きなものだったのでは。円筒印章いやその印影を見ていて、手の平で転がしたのだろうと思っていた。ところが、円筒印章に軸をつけて転がしている図を見かけた。
『ニュートンムックメソポタミア文明』は、刻印するときには生の粘土板の上で印章をころがしましたと、軸については説明がなかった。
『オリエントの印章』は、紀元前3000年頃になると、芯の部分をくり貫き、ネックレスやブレスレットにしたり、ピンで衣服に留めたりできるようにしたものが多くなるという。
円筒印章を転がすためでなく、持ち運ぶために芯を刳り貫くという面倒なことをしたのだろうか。 『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、弓錐(ゆみぎり、ドリルの柄に弓の弦を巻き付け、弓を前後に動かしてドリルを回転させる工具)によって印材に丸いくぼみをつけるという。手動式ドリルがあれば、芯部を刳り貫くこともできただろう。
円筒印章を粘土に転がす時には軸をつけ、持ち運ぶ時には首飾りや腕輪、ブローチにしてアクセサリにもなる。一石二鳥だったのだ。

関連項目

生命の樹を遡る

※参考文献
「世界の文様2 オリエントの文様」 (1992年 小学館)
「ニュートンムック古代遺跡シリーズ メソポタミア文明」(1996年 教育社)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「大英博物館双書④古代を解き明かす オリエントの印章」(ドミニク・コロン著 學藝書林)