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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/10/04

イスタンブール考古学博物館で思い出した5 ムシュフシュの変遷

私のお気に入りのムシュフシュはグデアの坏と呼ばれるものに表されていて、爪が両側に出た力強い足で立っている。
ベレー帽は当時はなかったと思うが、ベレー帽を被っているように見える。
展開図を見ると、ベレー帽なら頭頂の突起は一つかなとも思う。
グデアの坏では中央の蛇が主人で、ムシュフシュはその随獣である。
『メソポタミアの神々』は、王の個人神の中で固有の名前と図像が残っている珍しい例が、グデア(在位前2143-2124年)の個人神ニンギシュジダである。
ニンギシュジダは「豊穣・復活の神」であり、「冥界の神」として龍蛇の姿をした「蛇神」の1柱という。
グデアの円筒印章印影図 前2143-2124年(異説もあるが、同書に従う)
流水の壺を持つエンキ神にグデアの個人神ニンギシュジダがグデアを紹介する場面。
角の付いた冠が神であることを示している。両肩から角の付いた冠を被った蛇が飛び出していて、これがニンギシュジダの前身であるという。
この図ではムシュフシュは四つ足を地面につけている。ムシュフシュの頭の上にあるものは、ニンギシュジダの前身の肩の蛇同様に角の付いた冠だろう。
古代バビロニア時代のムシュフシュ(円筒印章印影図) 前18世紀前半
同書は、バビロン第1王朝の第6代王ハンムラビは強敵だったエシュヌンナやマリを征服して大帝国を築くと、都市バビロンの守護神マルドゥクを他の都市の神々の上に据えて「神々の王」とし、バビロニア全域の宗教を統一した。
『エヌマ・エリシュ』では、マルドゥクはエアとダムキナの子で、深淵で生まれた。図は深淵に浮かぶマルドゥクで、胸に天命の書板をつけ、足元には随獣ムシュフシュが横たわっているという。
グデアの個人神ニンギシュジダとマルドゥク神がどのような関係にあるのかわからないが、その随獣ムシュフシュがマルドゥクの随獣になっている。
角冠を被るというよりは、大きな角が生えているような表現だ。
聖獣ムシュフシュの背に乗るアッシュル神 アッシュル出土 センナケリブの治世期 前705-681年
ここではムシュフシュはアッシュル神を載せている。
同書は、バビロニアのマルドゥク神とは異なり、アッシリアの国家神アッシュルは「都市の守護神」ではなく、都市アッシュルが神格化された、いわばアッシリアの大地そのものであった。
バビロニア王ナボニドスの碑文によれば、アッシリア王センナケリブのバビロニア侵攻に対する神罰は、次のように記されている。
アッカドの地に対して、センナケリブは良からぬ意図を抱き、バビロンの聖所をめちゃくちゃに打ち壊し、土台から根こそぎひっくり返し、またマルドゥクをアッシュル市に連れ去ったが、彼のこのような行為は、神々のお怒りに従っただけのことなのであった。
尊きマルドゥク神は、バビロニアに対して激怒したので、20年間もアッシュル市に留まったのである。しかし、ついに機が熟し、マルドゥク神は再び、自分の聖所エサギラ神殿とバビロンの町とを思い起こされ、そこで主は、センナケリブが実の息子に殺害されるようにと、仕向けられた
という。

これがムシュフシュ?有翼ライオンとどのように見分けられるのだろう。
マルドゥク神がアッシュル市からバビロンに戻るとき、随獣ムシュフシュを置いていってしまい、ムシュフシュはアッシュル神の随獣となったのだろうか。
手にペンを持ち、ムシュフシュの上に立つナブ神 新アッシリア時代 前10世紀-609年
同書は、ナブは最初はマルドゥク神の家臣であったが、カッシート時代にマルドゥクと配偶女神ツァルパニトゥム(ベルトゥ)の間の子となる。
ナブは書記の神、運命の聖なる書記である。書記の神であるから「天命の書板」に人間の運命を記した。
ナブの象徴は垂直あるいは水平の楔形(たぶん筆記用具)で、時として粘土板の上に置いている。また、父マルドゥクと聖獣ムシュフシュを共有している。
ナブはマルドゥクと並んでバビロニアの最高神となり、バビロニアにおいても前1千年紀の前半からはマルドゥクよりもナブが重要になるという。
ムシュフシュはアッシュル神の随獣となったわけではないようだ。
頭上のものはもう冠ではなく、細長い角と耳になっている。あれ、翼がなくなってしまった。
新バビロニアの都バビロンのイシュタル門や行列道路を飾る彩釉レンガにもライオンや牡牛のほかにムシュフシュが行進する。
それについてはこちら
最高神ナブの随獣なので、高い位置に並んでいるのだろうか。
やっぱりムシュフシュはグデアの坏が面白い。

※参考文献
「古代メソポタミアの神々」(岡田明子・小林登志子 2000年集英社)