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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/12/30

第63回正倉院展5 臈纈染

御袈裟箱袋は臈纈染だった。同展図録は、スタンプ捺しの方法によるという。臈纈染は型捺しと手描きの2種類が考えられる。

大歌茶臈纈絁半臂 おおうたちゃろうけちあしぎぬのはんぴ 南倉 丈99幅71
半臂とは、その名の通り短い袖がついた上衣で、裾には襴と称するスカート状の裂がつく華やかな衣。
襴は茶地に花卉文を臈纈染した絁が用いられている。
右襟の裏の記名により、大仏開眼会で演じられた大歌で着用されたという。
この作品は展示ケースに水平におかれていたので、大勢の観覧者の後ろでしか見られなかったため、見にくいことこの上なかった。
親切にも、壁面上方に大きな写真パネルがあったので、それを眺めるに留まった。花卉文が手描きか型染めかを実物で確認したかったのに。
地面に近いところら出ている葉を花卉文ごとに見ると、それぞれ異なって見えるので、手描きだろう。
不思議なのは、地面から生えた植物がすべて上下同じ方向に描かれているのに、それを衣服の上下に使わず、横方向に縫い合わせていることだ。そのようなことに頓着しなかったのが、天平人だったのだろうか。
華鬘残欠 けまんざんけつ 南倉 長約190幅約85
絁製の華鬘である。華鬘はインドにおいて貴人に捧げられた花輪に起源があるとされ、仏教に取り入れられ、堂内の長押等に懸ける荘厳具となった。
本品の構造は中央の田字形に、アケビ属らしい蔓茎を芯とした二条の輪形の帯の根元を挿し込み、田字形の上方に吊り帯を作り、田字形の下方と左右の輪形の三箇所に剣先形の帯を二条ずつ下げている。銘より、これらは佐保山陵で行われた聖武天皇の葬儀で用いられた花華鬘であったことがわかる。花華鬘は長さ5m近い長大なものであったことになるという。
長い柱のようなものから吊り下げて用いられたのだろうか。
田字形と輪形の帯は赤と青の絁に臈纈染の羅を貼り、吊帯は夾纈染の絁、剣先形帯は絁に夾纈染の羅を貼っているという。
表裏で異なる文様や配色の布を用いると、このように結び目が映える。
特に、羅は目が粗いので、染められると文様が柔らかく現れている。この羅は、赤や青の表側の縁にまで及び、パイピングのような効果を出している。
一方、絁の方は目が細かいので、小さな文様もはっきりと染まる。菱形の四弁花文は手描きなのか型押しなのか。手描きのように少しずつ文様が違って見えるが、型に蠟を浸けて捺すと、その時々で分量が異なり、一つずつ違って見えたかも。
本品のように帯を結び合わせて作られた華鬘は、敦煌莫高窟第285窟及び第294窟(ともに中国・西魏)の壁画に天蓋の飾りとして描かれているのを見ることができるという。
天蓋に吊り下げられているものは辟邪だと思っていたが、華鬘の部品だったのか。
第285窟についてはこちら
紅臈纈絁等雑貼 べにろうけちあしぎぬとうざっちょう 南倉 長149.5幅56.8厚1.8
臈纈とは、奈良時代に盛んに行われた染め技法の一つである。文様を染め抜くために、熱して溶かした蠟を版型につけ、裂に捺して防染したもの。
文様は、主文と副文が交互に配されており、主文には翼を広げて片足を上げた鳳凰の姿とそれを丸く囲む葡萄唐草が表され、また副文には葡萄の房のような飾りがついた花文が華やかに表現されている。このような西方からの葡萄唐草の文様と、中国に固有の瑞祥動物である鳳凰の組み合わせは、8世紀の中国における東西文化の融合を表しているといわれているという。
連珠円文に鳳凰を入れずに、葡萄唐草を巡らしている。連珠円文は染色ではなく、織物の文様なのだろうか。
奈良時代の臈纈染はやっぱり型捺しだった。手描きは後の時代の技法のようだ。
※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)