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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/08/14

虎は最初から虎神だった



四神のうち、虎だけが現実に存在する動物だ。中国ではいつ頃から虎が登場するのだろうか。

龍虎尊 銅 殷、二里岡期(前16-14世紀) 安徽省阜南県朱砦出土 高50.5㎝ 口径45.0㎝ 北京市中国歴史博物館(現中国国家博物館)蔵
一目で虎とわかる動物が、尊の肩下左右に見られる。
『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』は、腹部には三方に大型の饕餮文があり、 ・・略・・ 饕餮文のあいだには、肘と膝を強く折り曲げた人物がおり、その頭には口の上ぐらいまで虎のような顔つきの動物がかぶりついて、まさに頭を飲み込もうとしている。虎は浮彫で高く表され、C字状の角が飛び出している。胴体は左右に分かれて広がり、前後の足の爪もリアルに表現されている。ここでは飲み込まれた頭部の表現は不明ながら、悪霊を虎形神が調伏する姿を描いたものと思われるという。
耳に見えたものはC字状の角だろうか。
しかも、ただの虎ではなく、虎形神という。饕餮と共に魔除けや辟邪だったのだ。
『三星堆展』で龍虎尊を見た時は、解説文をよく読まず、横向きの虎が左右から顔を合わせると正面向きの虎になり、その胴体が下に表されている、つまり「正面向きの立ち上がった虎」だと思ったのだった。
そして、ミュージアム・グッズにこの頭と胴体のキーホルダーがあったので、面白いので買ったが、使っているうちに体の方がちぎれてなくなってしまった。
二里岡期の龍虎尊の図柄もきっとそういうものだろうと思ったが、とんでもなかった。そこで、改めて『三星堆展図録』を開いて見ると、 

龍虎尊 四川省広漢市三星堆出土 殷後期(前14世紀末-前11世紀頃) 青銅   残高44.5㎝口径29.0㎝
『三星堆展図録』は、腹部に3組の食人虎を表現する。虎は、丸い目、大きな耳をもつ頭が肩の下にあり、ここから左右に浮き彫り風の身体が分かれ、尾は下に垂れ下がった先が少し巻いている。虎の身体には羽根状の縞模様があり、左右それぞれ前足と後足を表現している。虎の頭の下には、肘と膝を曲げた人物の身体があり、虎が歯をむきだして人を頭ごとのみこむ場面を表現している。この人物の左右には鳥形の文様がある。
虎が人間の頭からくわえる図像は殷代の青銅器にしばしばみるところである。多くの場合、人間は髪をざんばらにふりみだした裸の「鬼」、すなわち死者の怨霊の姿であらわされている。虎はそれを退治する役割をもっていたのであろうという。
やっぱり虎には怨霊を退治する「神」で、私の考えていた「正面向きの立ち上がった虎」では全くなかった。
安徽省出土の龍虎尊の図柄とよく似ているので、中原から長江流域の四川盆地へと伝わったのだろう。
虎卣 西周前期(前11-前10世紀) 通高35.7㎝口縁径10.4X9.0㎝重量5.09㎏ 泉屋博古館蔵
『泉屋博古 中国古銅器編』は、虎が後足と尻尾で立ち上がり前足で人を抱える様子を表した器。虎の背中には大きな饕餮面があり、その鼻が象鼻形にのびて虎の尻尾となる。側面にも様々な饕餮や龍が配され、神虎にふさわしい風格を具えている。虎が人を抱きかかえた図像の解釈には、神虎が邪鬼を食べる辟邪の思想を表すという見方や、虎が人を守護するという見方があり、いずれも決定的証拠に乏しいという。
時代は下がっても虎は「神虎」だった。やっぱり魔除け、あるいは守護神だった。
ところが、西周時代も後半になると、虎は主役ではなくなってしまったようだ。それは饕餮文が窃曲文になっていくのと時を同じくしているようだ。
窃曲文につしいてはこちら

逨盉(らいか)部分 銅 高48長52 陝西省宝鶏市眉県楊家村出土 西周時代・前8世紀 宝鶏青銅器博物館蔵
『中国国宝展図録』は、長い注ぎ口と把手があり、3本ないし4本の足がつく容器を盉という。中国の古典の記述から、香り草の煮汁と酒を混ぜて調合し、杯に注ぐ器と考えられる。
本作は体部が小太鼓を立てたような形で、身の円形の側面の中央にはとぐろを巻く長い龍が表され、注ぎ口は首の長い獣を、蓋は鳥をかたどるなどの特徴があり、独特の雰囲気をもっているという。
胴部の把手は龍のようでもある。容器と鳥形蓋の繋ぎ具が虎と、少なくとも4種類の動物が表されていてどれが主役かわからないが、虎はすでに神ではなくなってしまった。
蟠螭文壺 「黄夫人」銘 銅 春秋前-中期(前7世紀) 河南省光山県黄君孟夫婦墓出土 通高30.7㎝口径10.3X12.0㎝ 河南省、信陽市文物管理委員会蔵
『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』は、肩部両側に獣形の耳がつくという。
長い胴部の縞文様から虎を表しているのだろう。
耳を獣形にするというのは、古くから行われていることで、やっぱり魔除けなどの意味があったのだろうが、殷の時代に神であった虎は、脇役になってしまった。
しかし、その後四神のうちの白虎として復活する。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館
「三星堆 中国5000年の謎 驚異の仮面王国展図録」 1998年 朝日新聞社
「中国国宝展図録」 2004年 朝日新聞社
「泉屋博古 中国古銅器編」 2002年 泉屋博古館