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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/11/27

第64回正倉院展7 疎らな魚々子

今回出陳されていた魚々子地の作品は、どちらも魚々子が疎らだった。
『第64回正倉院展目録』は、古代における魚々子の技術については中野正樹氏の論考があり、それによれば中国・唐では魚々子を一つ一つ丹念に打ち、一列に整然と隙間なく粒を並べる点に特徴があるのに対し、朝鮮半島の統一新羅やわが国の奈良時代では、粒が疎らで隙間が多く見られ、一つ一つが丹念に打たれていないという。

第64回正倉院展で見た銀壺は大きな作品に緻密に魚々子が打ってあり、唐製とされている。
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百済の作品にも統一新羅と同様の疎らな魚々子の打ち方を見ることができ、古代の朝鮮半島に共通する特徴であったと考えることができるという。
その百済製作の作品とされているのが、瑠璃坏台脚裾だ。

瑠璃坏 るりのつき 中倉
瑠璃坏の台脚裾に表されていたのはどうもマカラではないかと考えている。
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 『第64回正倉院展目録』は、この魚々子は、粒と粒とが接しない疎らな打ち方に特徴がある。古代の朝鮮半島に共通する特徴であったと考えるとし、韓国・弥勒寺西九重石塔発見の金銅製舎利外壺との共通点からこれを、7世紀中頃の百済において製作されたという。
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金銅小盤 こんどうのしょうばん 南倉
長径14.2短径11.3高4.0
同展図録は、菱形十二曲の脚付き皿で、法会の時に供物を盛る供養具とみられる。銅製鍛造の盤に、厚さ3㎜の銅板切抜きによる華足がとりつけられ、全面に鍍金が施される。盤の内面には花文、草花文、唐草文を毛彫し魚々子地とする という。
本作品では魚々子かどうかさえ判別できないほどまばらだ。
内面の側部は魚々子で草花文の輪郭だけが打ってあり、何らかの理由で毛彫が一部分にしかなされていない。これらの形跡から、表面の文様は、華足を付けた盤に文様の下図を描き、間地に魚々子を打ってから、文様を毛彫するという順番で仕上げられたと考えられるという。  

未完成な作品だが、魚々子地についてはこれで作業を完了しているらしい。
正倉院には他にも疎らな魚々子の作品がある。

佐波里蓋 さはりのふた 南倉
径16.3高1.9
『第56回正倉院展目録』は、佐波理製の鋺(かなまり)の蓋で、身は失われている。鋳造後轆轤挽きして整形されている。
佐波里は銅に錫、鉛を加えた合金。黄金色を呈し、たたくと美しい音色がすることから響銅ともいう。佐波里の名称は、『和名類聚称』によれば新羅語の転化というが、ペルシャ語に起源があるとする説もある。飲食器仏具に使用される場合が多い。
やや甲盛があり、側壁はやや内側へすぼまる形状で、蓋上面中央に環状の紐をつくりつける。上面は鈕の部分と、その外側を突帯によってさらに2区画に分け、鈕の内側の部分に四弁の宝相華文、外側の2区画に唐草文様を配している。地の部分にはやや粗雑ながら魚々子が施されるなど装飾性が見られるという。
魚々子は円になっていないものの方が多い。魚々子は丸鏨(魚々子鏨)で打つことによって丸い形が穿たれるが、技術が未熟だったのだろうか。それとも、丸鏨がまだなかったので、毛彫用の鏨で丸く彫ろうとしたのだろうか。
ゆったりと器を飾る唐草文様とは同時期に作られたものと思われないほど技術の差がある。
金銅磬形 正倉院宝物
『日本の美術358唐草紋』は、銅板を切り抜いた磬形板の表裏に唐草紋を線刻し、地に魚々子を打ち、全面に鍍金をしている。盤の下につけらけたものであろうという。
『日本の美術437飾金具』は、魚々子地に躍動感あふれる唐草を毛彫にしたもので、相当工人の素性に関心が持たれるという。
画像が鮮明でないためわかりにくいが、上の2作品と比べると魚々子は密に打たれている。輪郭線に沿って打たれている箇所も見受けられる。
ただ、唐草文様は、佐波里蓋に比べると、茎から出た小さな葉などはかなり省略されており、佐波里蓋よりも時代が下がるのではないかと思われる。
投壺 正倉院宝物
『日本の美術358唐草紋』は、投壺は中国から伝わった儀礼としての遊戯。「つぼうち」という。表面には全面に魚々子地に線刻紋様を表す。頸部下段と胴部中央に花唐草紋の帯があるという。
本作品は金銅磬形よりも魚々子が疎らだが、胴部の花唐草文は佐波里蓋に近い表現となっていて、制作時期が近いことがわかる。
金銅六曲花形坏 こんどうろっきょくはながたのさかずき 南倉
高4.1口径8.3
『第37回正倉院展目録』は、銅鍛造鍍金の小振りの花形のさかずき。弁間に猪目を透す六花形の鋺に別造の高台を鑞付けし、各弁端表から底裏にまで装飾をほどこして鍍金した華麗な品である。
施文は魚々子地に線刻で、竽、琵琶、横笛、笙、琴、鼓を奏する6躯の奏楽天人を表すが、間地を魚々子地一色とはせずに、所々に花文を散らし、いかにも浄土に舞う奏楽天人にふさわしい趣きをみせているという。
鋳造ではなく鍛造のためか、六曲の稜が不揃いで、しかもいびつである。残念ながら、奏楽天人はその稜のところに表されているためわかりにくい。
魚々子の方は疎らに打たれている。
正倉院宝物で魚々子地のあるものは、明らかに唐からの請来品の精巧な作りのもの、百済からの疎らな請来品、日本製だが疎らなものと密になっているものと、4種類あるように思う。


第64回正倉院展6 密陀彩絵箱の怪魚はマカラ?

                                                     →第64回正倉院展8 螺鈿紫檀琵琶に迦陵頻伽

関連項目
第65回正倉院展6 続疎らな魚々子
第64回正倉院展5 今年は怪獣が多い
第64回正倉院展1 瑠璃坏の輪っか
第62回正倉院展4 大きな銀壺にパルティアンショット
日本に金銀山水八卦背八角鏡より古い魚々子地があった
魚々子の起源は金粒細工か
中国の魚々子と正倉院蔵金銀八角鏡の魚々子

※参考文献
「第64回正倉院展目録」 奈良国立博物館 2012年 財団法人仏教美術協会
「第56回正倉院展目録」 奈良国立博物館 2004年 奈良国立博物館
「第37回正倉院展目録」 奈良国立博物館 1985年 奈良国立博物館
「日本の美術330 飛天と神仙」 林温 1993年 至文堂
「日本の美術358 唐草紋」 山本忠尚 1996年 至文堂
「日本の美術437 飾金具」 久保智康 2002年 至文堂