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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/01/18

敦煌莫高窟16 最古の涅槃図は北周 



隋以前では北周時代(557-581)の涅槃図があった。

涅槃図 428窟 西壁中層北から2番目 
『敦煌莫高窟1』は、敦煌の早期窟では唯一の涅槃経変。釈迦が沙羅双樹の下で涅槃に入った情景を表す。釈迦は右脇を下にして臥し、会衆は悲嘆に暮れる。足に触れ、慟哭するのは遅れてやって来た大迦葉。沙羅双樹は白い花を咲かせているという。
日本では迦葉を「大迦葉」と呼ぶが、それは中国の影響だったのだ。
釈迦には火焔文の頭光・身光だけでなく、挙身光までもある。身光と挙身光は色を違えて圏状に表され、ますます仏像のようだ。 
両腕は体に沿って伸ばしていて、ぎこちない印象を受ける。
構図という点では、頭部側(左側面)、足下側(右側面)のどちら側から見たのでもなく、寝台の正面が広く、背面が狭くなっていて、線遠近法が用いられているように見える。
世界的にみて、この時代にはまだ前面よりも奥の方が幅広く表される逆遠近法だったのに、唐時代の阿弥陀経変や観無量寿経変などは前面が広く、奥が狭く表される、線遠近法が用いられているのは驚きだったが、その前兆が北周時代の仏画に現れている。
観無量寿経変などの遠近感についてはこちら
窟内内景
同書は、敦煌の早期では最大の中心柱窟、幅10.8m、奥行13.75m。北魏の254・257・248窟などとほぼ同じ形である。主室は人字披平天井という。
人字披頂についてはこちら
この中心柱の背後の西壁に、涅槃図がある。
428窟は中心柱窟で、10年前に見学した時は、何よりもラテルネンデッケに興味があったので、ラテルネンデッケが並ぶ平天井と中心柱の木芯塑像を眺めながら右繞したため、周壁に描かれていたものにまで目を向ける余裕がなかった。
それで今回は中心柱側ではなく、周壁の壁画、それもこの涅槃図をしっかり見ようと決めていた。ところが中心柱のある窟では、通路にガラスの仕切りが置いてあって、奥に行けないようになっていた。西壁は中心柱の奥にあるため、全く見ることができなかった。
北隣の427窟は隋時代の中心柱窟で、ここも仕切りがあったため、中心柱を回ることはできなかった。中心柱窟は隋代を最後に廃れてしまう。
西千仏洞でも涅槃図は見た。

涅槃図 西千仏洞第8窟 西壁後部 北周
『中国石窟安西楡林窟』は、両端に大きな沙羅双樹がり、中央に釈迦が右肘をついて臥す。火焔文舟形身光の上方に哀しむ信徒たちがいる。釈迦の前には一人の世俗の服を着た信徒が描かれる。これは釈迦最後の弟子で年老いた修行者のスバドラの可能性があるという。
釈迦と足もとの迦葉の間にあるのは何だろうと見ると、巨大な釈迦の足が下を向いて描かれているのだった。
斜めから写してあるため、足下、頭のどちらから見た構図なのかよくわからないが、頭側の寝床の辺が見えているようなので、頭部側から見た構図なのだろう。
敦煌では、北周時代にも涅槃図逆遠近法とみなすほどに奥側が広く表されることはない。このような構図は、どこから将来されたのだろう。
この火焔光背は、ひょっとすると、キジル石窟にあったような、涅槃図と荼毘の場面を同時に描くところから生まれたのではないだろうか。そしてそれが、荼毘とも釈迦の涅槃とも関係なく、火焔文として独立して、光背の縁を飾るようになっていったのかも。
光背の火焔文についてはこちら
キジル石窟の涅槃図ついては次回。

他の石窟で涅槃図を確認できたのは天水麦積山だけだった。

涅槃図 天水麦積山石窟第26窟窟頂正坡右側 北周(557-581)
『中国石窟天水麦積山』は、典型的な北周の帳形窟。壁面方形、四角尖頂、正壁に龕一つ。
窟頂に涅槃経変が描かれる。正坡は幅3.45m。左側面に釈迦が臨終前に林の中で弟子に説法する場面。
右側面に釈迦が沙羅双樹の間で七宝の床で涅槃に入る場面が描かれる。釈迦の四周で弟子たちが哀しみ続ける。一弟子が釈迦の足に触れている。これは釈迦が涅槃の後に摩訶迦葉に出した足の場面であるという。
はっきりと頭部側(左側面)から見た構図とわかる。
敦煌莫高窟では隋代でも左側面側から見た構図になっている。唐代に足下側(右側面)から見た構図になるらしいのだが、涅槃図が見つからないので確認できない。

北周時代の涅槃図は、正面向きのようで、枕もとの養母、前面には悲しんで転げ回る金剛力士も、焼身自殺するスバドラも表されない。
時代が下がるにつれ、涅槃図には登場人物が増えていくのは日本だけではないようだ。

つづく

関連項目
クシャーン朝、ガンダーラの涅槃図浮彫
敦煌莫高窟17 大涅槃像が2体
中国の涅槃像には頭が右のものがある
キジル石窟は後壁に涅槃図がある
敦煌莫高窟15 涅槃図は隋代が多い
日本の仏涅槃図
敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代から
煌莫高窟10 285窟の忍冬文

※参考文献
「中国石窟 敦煌莫高窟1」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「中国石窟 安西楡林窟」 敦煌研究院 1997年 文物出版社
「中国石窟 天水麦積山」 天水麦積山石窟芸術研究所 1998年 文物出版社