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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/03/01

応徳涅槃図の截金



金剛峯寺蔵の応徳涅槃図や京博蔵釈迦金棺出現図を実際に見たのはかなり昔のことなので、もう細かいところは忘れてしまった。
昨秋大和文華館で開催された「清雅なる仏画-白描図像が生み出す美の世界-」展で涅槃図を久しぶりに見たことが、涅槃図にもう一度目を向けるきっかけとなった。
何度も図版を目にするにつれて、果たしてここは截金で荘厳されていたのだろうかなどと疑問が出てきた。しかし、記憶を辿ろうとしても、もう忘却の彼方である。
それでも、古い書籍の図版で、少しは截金による装飾が見えて来た。

涅槃図 応徳3年(1086) 和歌山金剛峯寺
『日本の美術268涅槃図』は、第一形式。日本に現存する涅槃図の最古の作品。釈迦は光背をつけず、両手を体側につけ、仰向けに横たわる。唐画をもとにしたのであろうが、その優美な姿は和様化の極地を示し、それに荘重な風韻が加わる。会衆の総数39、動物はシシ1頭のみ。沙羅双樹は4双8本。画面全体に清澄な趣が漂うという。
あれ、釈迦の体は金色ではないか。それとも、そう見えるだけかな。
截金が使われているとすれば、何と言っても釈迦が身に着けた衣だ。
図版では白っぽくしか見えないが、昔、私はこの部分に、どのような截金文様を見ていたのだろう。
釈迦の体は金色というよりも黄色っぽい。
『絵は語る2仏涅槃図』は、透き通るような黄白色の肉身、それになにより截金の荘厳をまとった白い着衣が、絵の中心のありかを雄弁に物語る。そして、肉身の黄白色も実は金色に輝く体軀を表現しているのである。つまり、ここには金箔や金泥などの「金」素材そのもの(金彩)を用いた金色の表現と、色のみによって金色を表わす表現が見られるのであるという。
そして、この図版ではどんな文様かわからないが、截金が用いられていることも確認できた。
もう少し拡大すと、寝台にも青い色で一面に細かな文様が丁寧に描かれている。このような箇所にさえ文様を描くほどの丁寧な作品なのだから、きっと截金でも極上の装飾が施されていたに違いない。
釈迦の着衣には、右肩にある大きな丸文と、何かが地文様として截金で表されていることがなんとかわかる。
こういう時に頼りになるのは『日本の美術』シリーズだ。
『日本の美術』は至文堂から毎月発行されていた。1966年という、私がまだ子供の頃からあった小さな薄い美術雑誌で、主に東博・京博・奈良博の国立博物館3館の学芸員が執筆していた。白黒写真が多いなど、残念なこともあったが、美術史を勉強する上で非常に参考になったシリーズだったのに、書店でバックナンバーをあまり見かけなくなってきたなと思っていたら、いつの間にかなくなってしまった。2011年10月以降休刊とのこと。

『日本の美術373截金と彩色』にはっきりとわかる図版があった。
同書は、仏像の文様表現である「地文截金、主文截金」のいわゆる総截金の最古の遺例は11世紀中頃の法界寺薬師如来立像であるが、地文に曲線を帯びた七宝繋ぎ文や主文に丸文が突然に完成した文様で登場しているので実際はもう少し遡る頃から用いられていたと思われる。いずれの時期に仏像の素地総截金が仏画に採り入れられたと考えられるが、その最古の遺例は高野山金剛峯寺の仏涅槃図で応徳3年(1086)である。総截金は画面の中心となる宝台の上に横たわる釈迦の袈裟に押されている。地文に九ツ目菱入り変わり(三重)七宝繋ぎ文、主文に菊花丸文を置き、衣文に截金を置く。白い袈裟の衣文に沿って施された桃色のほのかな色隈と総截金の輝きが夢幻的な美しさを醸し出しているという。
以前に截金でとりあげた東大寺戒壇堂四天王立像に残る截金文様は、奈良時代の「地文截金、主文彩色」についての記事です。

釈迦の着衣も、地文は中央に点を9つ配した七宝繋文で、上下左右の円が重なった二重の枠ではなく、三重になっている。同書は九ツ目菱入り変わり(三重)七宝繋ぎ文と呼んでいる。
主文は二重の円で囲まれた小花文散らしと見たが、菊花丸文という名があるらしい。

そのような装束の織文様だけでなく、身に着けた時にできる折り目、衣文あるいは衣褶線と呼ばれるものも文様の線よりも太めの截金で表されている。
そして、ここまで拡大された図版の有り難いことは、その太い黒線までもがわかることだ。これは下絵の墨線だろうか。截金と黒線が微妙にずれている部分もある。
きっと、絵師が彩色の後の仕上げとして墨で描いた衣褶線と、截金師が置いていった截金の線とが少しずれたのだろうか。
釈迦以外の人物は截金が用いられていないというが、それは着衣のこと。菩薩の頭光は截金に違いない。金泥と截金は、輝きで違いがわかるものだ。
ちなみに寝台隅の金具や、菩薩の瓔珞などは金泥で描かれてる。
そして、釈迦の死を嘆き悲しむ人物の持つ棒も部分的に截金が使われているように見える。
右上に飛来する摩耶夫人の着衣には截金が使われていたのではないかとじっくり見たが、截金を貼り付けたものではなく、描かれたものだった。

つづく

関連項目
現存最古の仏画の截金は平等院鳳凰堂扉絵九品往生図
釈迦金棺出現図の截金
涅槃図に飛来する摩耶夫人
日本の仏涅槃図
截金の起源は中国ではなかった
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は
唐の截金2 敦煌莫高窟第328窟の菩薩像
唐の截金1 西安大安国寺出土の仏像
東大寺戒壇堂四天王立像に残る截金文様

※参考文献
「日本絵画館3 平安Ⅱ」 白畑よし・濱田隆編 1970年 講談社
「国宝大事典 1絵画」 濱田隆編 1985年 講談社
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥隆 1997年 至文堂
「絵は語る2 仏涅槃図」 泉武夫 1994 平凡社