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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/03/19

東寺旧蔵十二天図3 截金2変わり七宝繋文



十二天の着衣の截金文様で、一番多いのが七宝繋文だった。それも、上下左右の隣接する円が交差して作り出すのが七宝繋文だが、十二天では変わり七宝繋文、それも三重のものが最も多い。何故だろう。
十二天図を並べた番号順にみていくと、

 1 月天 裳部分
円の弧が3本の截金で表され、九ツ目菱入り変わり(三重)七宝繋文となっている。
中央の截金はほぼ直線、その両側がやや曲線となっているが、まだ円形には見えないものが多い。
 3 風天 条帛裏または表
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
下中央から左に向かう条帛の七宝繋文は拉げている。
同 左腕鎧内側着衣
十字形かと思ったら、それぞれの端に3つずつ切り箔が散らしてある。何という文様だろう。
とりあえず、十字入り変わり(三重)七宝繋文とだけしておく。
截金で着衣の衣褶を表しているものが多いなか、ここでは墨線で肥痩のある筆遣いで表しているのが、くっきりとしている。 
 4 水天 裳
「米」形入り変わり七宝繋文。
同 
しかし、拡大すると弧の截金は3本ではなく4本だった。截金の本数が増える度に、弧が少しずつ膨らんできているようだ。
これくらい拡大できると、截金が交点で途切れることなく、、浅いS字を描きながらくねくねと置かれていったことがわかるものもある。
「米」形入り変わり(四重)七宝繋文だった。主文を截金で円形に囲んでいる。
 5 羅刹天 右腕鎧内側着衣
こちらも弧が4本の截金となっている。
「米」形入り変わり(四重)七宝繋文だ。
 6 閻魔天 裳
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
主文が彩色というよりも、銀の切り箔で菊のような花の文様を作っているように見える。
 同
白黒写真の方が帰って文様がよくわかる。
 9 伊舎那天 裳
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
中央の文様は、正確には「米」ではないが、名称がわからないので。
10 毘沙門天 裳
図版が小さいためはっきりとわからないが、九ツ目菱入り変わり(三重)七宝繋文らしい。
11 梵天 条帛部分
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
今まで見てきた七宝繋文は、重なる部分が斜め方向だったが、ここでは文字通り上下左右の円と重なり合っている。
同 裳部分
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
12 地天 裳部分
「米」形入り変わり(三重)七宝繋文。
七宝繋文が銀色に見える箇所が多いが、金色の部分もある。場所によって銀の截金と金の截金を使い分けたというよりは、合わせ箔の表面の金の部分が剥落して、銀の截金が現れたのだろう。それにしても、黒ずむことなく、銀の色がよく残っている。
つづく

関連項目
東寺旧蔵十二天図10 截金9円文
東寺旧蔵十二天図9 截金8石畳文
東寺旧蔵十二天図8 截金7菱繋文または斜格子文
東寺旧蔵十二天図7 截金6網文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文
東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
亀甲繋文と七宝繋文の最古はインダス文明?
エジプトに螺旋状髪飾りを探したら亀甲繋文や七宝繋文が
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は

※参考文献
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥高 1997年 至文堂
「日本の美術33 密教画」 石田尚豊 1969年 至文堂
「国宝大事典 1絵画」 濱田隆編 1985年 講談社