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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/03/22

東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文



七宝繋文の次はなんといっても亀甲繋文だが、七宝繋文ほど広い面積を占める截金文様としては使われず、亀甲繋文自体が少ない。

1 月天 条帛・裳裏側
中央の縦の亀甲繋文は条帛の裏側の縁飾りに使われている。亀甲の枠自体は赤い顔料で描かれ、中に渦巻のような文様があるが、これは截金ではなさそうだ。
左腹の脇に衣の裏がめくれていて、そこにも亀甲繋文がある。やはり何かの文様が黒っぽい顔料で施されているようだが、これも截金ではなかった。
2 日天 条帛
表の縁飾りが亀甲繋文となっている。1辺ずつ切り箔を置いていってつくられた繋ぎ文で、中に文様はない。
6 帝釈天 裳裏 
左右の腹の脇に裏返った衣に亀甲繋文が見られる。
よく見るとこれも截金ではなかった。
『日本の美術373截金と彩色』は、仏画において地文を截金でなく色線で表し、主文を彩色で表す方法がある。この彩色のみによる表現法は絵画本来のものであるが、次第に截金や金泥が使用され荘厳さを増す。「地文彩色・主文彩色」は「地文截金・主文彩色」が盛行する12世紀以前の11世紀の仏画にみられるという。

天台高僧像うち竜樹像 裳文様 平安時代(11世紀) 兵庫県一乗寺 奈良国立博物館寄託
一見亀甲繋文だが、よく見ると六角形になっているものは少ない。
それでも亀甲繋文でいいのかな。
不動明王二童子像(青不動) 裳文様 平安時代(11世紀) 京都青蓮院
こちらも彩色による亀甲繋文。中に7ツ目があって亀甲の枠も二重になっており、完璧な亀甲繋文だ。
亀甲繋文は、仏像の荘厳にはもう少し前から使われている。

持国天像 袴地文 平安時代、、承和6年(839) 京都東寺講堂 
同書は、四天王立像のうち持国天像の袴に地文を截金、主文を彩色とする文様表現がみられるが、これは東大寺戒壇堂四天王立像のそれを踏襲したもので、ここにも奈良との結びつきがみられる。袴の文様の地文は、紫地に縦一文字入り亀甲繋ぎ文の截金、主文は白地に大振りな四弁唐花文を緑系と赤系の暈繝で彩色し、赤で括っているという。
すでに仏像の荘厳として確立した文様であったようだ。
日本では亀甲繋文は何時頃使われるようになったのだろう。
亀甲繋文と聞いてまず思い浮かぶのは藤ノ木古墳出土の馬具だ。いきなり歴史時代を通り過ぎてしまった。

前輪透彫部分 古墳時代後期(6世紀後半) 藤ノ木古墳出土
日本では最初期の亀甲繋文になるのではないだろうか。
亀甲繋文はいつ頃できたものか。かなり古かったはずだが、少し遡ってみると、

亀甲繋文 2世紀 
シリア、パルミラ3兄弟の墓内部壁画 パルミラ王国時代(2世紀後半)
「世界美術大全集東洋編16西アジア」は、壁面には漆喰を塗り、その上にさまざまな図柄を描いている。天井部分はわが国の美術にも見られる亀甲繋文と七宝繋文で充填したという。
赤い線が亀甲繋文だとすると、その中に緑色の亀甲があり、更に内側に金色?の円文がある。
シルクロードを通って中国経由で日本にもたらされた文様かというと、そうともいえない。
シルクロードを開いたといわれる漢の武帝の父、景帝の墓域から出土した磚にも亀甲繋文はあった。

亀甲繋文 前153-126年
玄武磚 前漢時代 景帝の陽陵出土 漢陽陵博物館蔵 
亀の脚は短く、甲羅には大きな亀甲が並んでいる。面積的に、亀甲繋文は縦に重ねることができず、横一列になっているだけだろう。
しかし、もっと古いものがメソポタミアにあった。

亀甲繋文 前11世紀
イシン第2王朝(バビロン第四王朝)期 バビロニアのクドゥッル 黒色石灰岩 高61㎝ 大英博蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、このクドゥッルは、イシン第2王朝の6代目の王マルドゥク・ナディン・アヘ(在位1098-1081)の治世年間に起こった土地の譲渡を記録したもである。  ・・略・・
碑面の上方には、この碑文のなかにその名を言及されている12の神々のシンボルが並べられている。碑面の中央に姿を見せているのは、ときの王マルドゥク・ナディン・アヘである。  ・・略・・  王が盛装をして公式の場面に現れる折の姿であろう。衣装の表面の細かな文様は実際には刺繍か、あるいはアップリケの手法で施されたものと考えられる
という。

神々の象徴の中に亀がある(上矢印)。そして、王の盛装の衣装に亀甲繋文(下矢印)があった。しっかりと亀甲繋となっていて、中に花文が表されている。
それより遡るものがエジプトにあった。

亀甲繋文 前13世紀
エジプト第19王朝、ラメセスⅡ世期 ネフェルタリ王妃墓壁画 供物を捧げる王妃の場面のイシス女神 テーベ(ルクソール)西岸
イシス女神の衣服の文様に使われている。 
前13世紀の亀甲繋文なら、不完全ながらメソポタミアにもあった。

亀甲繋文 前13世紀
台付鉢 アッシュール出土 口径13.2㎝ ベルリン国立博物館蔵
赤、白、青、黄、緑の連続六角文の台付鉢という。
これが内型と外型にガラス片を敷きつめて熔着する、モザイクガラスで作られた容器だ。それぞれのモザイク片の中心は同じ色のガラスらしい。
輪郭に5色使って、六角形、つまり亀甲を作った、亀甲繋文の容器ともいえる。
ところどころ亀甲が変形しているが、ほぼ隙間なく作られている。
だが、七宝繋文同様、亀甲繋文も最も古いものはインダス文明の頃にすでに完成されていた。

ビーズ装身具 イラン、ケルマーン州シャハダード出土 紅玉髄 インダス文明(前3千年紀) イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展』は、紅玉髄(カーネリアン)の平型方形ビーズ20珠。それぞれの珠には、小円を加えた亀甲様の幾何学文様が丁寧に施されている。原石の産地はインド亜大陸(ラージャスターン?)で、実験によれば、施文法はある種の植物から作られる薬液によって腐蝕させたものであり、インダス文明に特有の技法とされているという。
赤い色が鮮やかで、風化していないので、現代からすると4000-5000年も前に作られたものとは思えない。  


つづく

関連項目
東寺旧蔵十二天図10 截金9円文
東寺旧蔵十二天図9 截金8石畳文
東寺旧蔵十二天図8 截金7菱繋文または斜格子文
東寺旧蔵十二天図7 截金6網文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図3 截金2変わり七宝繋文
東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
亀甲繋文と七宝繋文の最古はインダス文明?
エジプトに螺旋状髪飾りを探したら亀甲繋文や七宝繋文が
亀甲繋ぎ文の最古?
亀甲繋文はどこから
金銅製履にも亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より
馬具の透彫に亀甲繋文-藤ノ木古墳の全貌展より
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は

※参考文献
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館
「大英博物館 古代エジプト展図録」 1999年 朝日新聞社・NHK
「世界の文様2 オリエント」 1992年 小学館
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館

「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝展図録」 2006年 朝日新聞社
「世界ガラス美術全集1 古代・中世」 由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂
「漢陽陵博物館図録」 2007年 文物出版社
「金の輝き、ガラスの煌めき-藤ノ木古墳の全貌-展図録」 2007年 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館