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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/04/30

ボストン美術館展2 普賢延命菩薩像 



馬頭観音菩薩像の截金を見ようと出掛けたボストン美術館展だったが、一番気に入った仏画は普賢延命菩薩像だった。

普賢延命菩薩像 絹本着色 縦141.7横88.3 平安時代(12世紀中頃) 1911年寄贈 フェノロサ・ウェルドコレクション
同展図録は、巧緻な洗練の中に生々しさが滲み出す平安仏画の傑作である。普賢延命は密教において、この菩薩を本尊とする寿命増益法という儀式-修法-を行うことによって人の体の中にあって命の障害となる病を消し、生命力が増すことができるという菩薩。
菩薩の衣や光背は、薄茶、白みをおびたやわらかな緑を下地として、銀箔、巧緻な金箔、白を主体とした絵具による文様表現がたくみになされ、菩薩の膝の部分に顕著に見られるような、内側からやわらかく光るように見える白の隈-照隈-の効果とあいまって全体を作り上げるという。
緑の羽衣には截金があるのかないのか、よくわからなかった。
膝頭を覆う着衣の亀甲繋文は金色ではない。金箔が剝がれたとしてもこんな色にはならないだろう。木の葉状の切り箔を6枚繋いで亀甲の形にした截金の亀甲繋文は、東寺旧蔵十二天図の日天の条帛に見られ、やはり中に文様はない。
ただし、『日本の美術373截金と彩色』が菱繋ぎ変り輪違い文として、線でつながり、中に文様のある亀甲繋文とは区別しているので、これからは菱繋ぎ変り輪違い文と呼ぶことにしよう。
亀甲繋文についてはこちら
裳には「米」形入り変わり(三重)七宝繋文、こちらは截金。
七宝繋文については、こちら
変わり七宝繋文についてはこちら
着衣では、ほかには截金の地文はなさそうだ。

ところが、何重かの光背には切り箔による文様がある。金箔では、内側から菱繋ぎ変り輪違い文、菱繋文・四ツ目菱繋文と並んでいる。
菱繋ぎ輪違い文についてはこちら
それだけではない。外側の黒っぽい光背は、比較的大きな銀の切り箔で菊花唐草文を構成している。
『日本の美術373截金と彩色』は、截金の自由文として諸尊の頭光・身光の外周を団花唐草文・菊花唐草文でめぐらすものがあげられる。団花・菊花唐草文は花・葉を銀箔あるいは金箔の点綴文(楔形、長菱)であらわし、茎は表さないものと截金で表すものがある。この早い遺例は平等院鳳凰堂壁画南扉の下品上生図の阿弥陀如来光背があるという。
そうだった。鳳凰堂の下品上生図の阿弥陀頭光には、優雅な茎の截金線もある菊花唐草文があり、菊花唐草文の内側には、四ツ目菱繋文様もあるし、身光には菱繋文がかろうじて残っている。
金の切り箔による文様の構成というのは、11世紀半ば、天喜元年(1053)にすでに見られる截金の手法だった。11世紀末とされる京都国立博物館蔵釈迦金棺出現図にも、釈迦の着衣に金の切り箔による菊花唐草文が見られる。
このような切り箔による文様表現は後にも受け継がれていき、主に光背を荘厳するようになったということだろうか。

ここまで拡大すると、冠飾からさがった垂飾の黒っぽい線とは別に、羽衣に截金の線が複数見える。衣文線に截金を置いていたらしい。
光背の全体を見ると、菊花唐草文の身光と頭光が、作成した当時は銀の輝きを見せたのだろうが、今では黒く変色して、それが水墨画のような落ち着いた雰囲気を醸し出している。
同書は、銀截金を白あるいは淡紫の下地に置くのは、黄あるいは金泥の下地に截金を置くのと同じ効果を求めたものであるが、感覚あるいはイメージとしては太陽と月の光りの明るさと小暗さを想起させるものである。12世紀後半、世紀末に輝かしい金に対して控え目な奥ゆかしい銀が荘厳美に加えられてきたことは興味深いことであるという。
同書が出版された1997年当時、この作品は12世紀後半とされていた。
『ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展図録』は、衣には照隈と切金文様を施すなど、典型的な平安時代後期の仏画の特色をあらわすが、四囲に配置された四天王の描写には、誇張と強い描線があらわれ、制作年代が鎌倉時代に近づいていることを物語っているという。
1983年、日本でボストン美術館展が開催された当時も12世紀後半と考えられていたようだが、現在では12世紀中頃とされている。


非常によく似た仏画がある。

普賢延命菩薩像 国宝 絹本着色 縦139.0横67.0 平安時代後期、仁平三年(1153年) 京都・松尾寺蔵
『王朝の仏画と儀礼展図録』は、菩薩の身体は朱線でかたどるが、まぶたの上下に濃い墨線を用いて表情を引き締めている。着衣の彩色は中間色を主体とするやわらかいもので、截金文様と彩色文様が見事に調和している。菩薩の光背に銀の切箔が採用されているのは12世紀前半の仏画としては目新しい特色であるという。
展覧会が開催された当時には分からなかったのかも知れないが、この作品には仁平三年という銘があり、12世紀中頃の制作であることがはっきりしていて、ボストン美術館所蔵の普賢延命菩薩像と同時期のものだが、こちらの方が全体に柔らかな印象を受ける。
着衣にしても。全てが截金ということもなく、裳裾に四ツ目菱変わり(三重)七宝繋文の截金文様がある程度で、他は彩色になっていて、ところどころに截金の衣文線が残っている。
光背は、中央に小さな菱形で作った金箔か合わせ箔の四弁花文、外側へ菱繋文が2列、一番外側には茎の表されない菊花唐草文という構成になっている。
ボストン美術館本もこの系統の仏画だったようだ。
普賢菩薩像 国宝 絹本着色 縦102.4横52.1 平安時代後期(12世紀) 鳥取・豊乗寺蔵
『王朝の仏画と儀礼展図録』は、菩薩の肉身は黄白色地に朱の暈(くま)をかけ、朱線で描き起こす。着衣は丹具地に曲線卍繋ぎ・立涌ほかの截金文様で覆っているため、全身が金色に包まれているような印象をもたらす。さらに光背には銀泥のぼかしに切箔・截金文様を加え、九重蓮台にも彩色を併用しながら箔を駆使するなど、金銀の輝きをこれでもかというほど試している。鎌倉時代には皆金色という尊像表現が形成されるが、その原初的形態を示すといえよう。こうした作風から12世紀も後半の製作と判断されるという。
着衣には、条帛や腰衣に渦文入り立涌文・網文、裳に卍繋文、裳裾に切り箔による七宝繋文、その裏に網文、蓮台に垂れる二条の紐には縦線の入った立涌文の截金、更に蓮弁には密に截金の葉脈が走り、宝飾品も箔押しで煌めいている。
立涌文についてはこちら
網文についてはこちら
卍繋文についてはこちら
その上光背も金の切り箔による文様で埋め尽くされている。内側から、菱繋ぎ変り輪違い文、四ツ目菱繋文が2列、外側は茎が二重に表された菊花唐草文、更にその外周を切り箔の葉文様が巡っている。
12世紀中頃に銀箔の截金が登場し、静かな雰囲気になっていったのに、平安時代も末になるとこんなに煌びやかな金の截金だらけの仏画も現れた。

つづく

関連項目
ボストン美術館展8 法華堂根本曼荼羅図4 容貌は日本風?
ボストン美術館展7 法華堂根本曼荼羅図3 霊鷲山説法図か浄土図か
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞
ボストン美術館展5 法華堂根本曼荼羅図1風景
ボストン美術館展4 一字金輪像
ボストン美術館展3 如意輪観音菩薩像
ボストン美術館展1 馬頭観音菩薩像
東寺旧蔵十二天図7 截金6網文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文
東寺旧蔵十二天図3 截金2変わり七宝繋文
東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文
現存最古の仏画の截金は平等院鳳凰堂扉絵九品往生図
釈迦金棺出現図の截金

※参考文献
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK
「ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展図録」 東京国立博物館・京都国立博物館編集 1983年 日本テレビ放送網株式会社 
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥隆 1997年 至文堂
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館