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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/04/05

東寺旧蔵十二天図8 截金7菱繋文または斜格子文



斜格子文というのがどの程度の大きさのものを指すのかわからないが、4本の直線で囲まれた形が菱形になり、それが上下左右に繋がっている文様を菱繋文とする。

3 風天 裳部分
「米」形入り二重菱繋文かな。菱形の中に切り箔で文様が作られているのだが、それぞれが違って見える。
8 帝釈天 条帛部分
条帛部分は保存状態が良いので、はっきりと四ツ目菱入り二重菱繋文であることがわかる。
菱繋文は土器にも見られる文様だ。

菱繋文及び斜格子文 彩文土器皿 フリギュア時代(前8世紀中頃-前7世紀初頭) トルコ、ゴルディオン出土 イスタンブール考古学博物館蔵
フリュギア時代は、「王様の耳はロバの耳」で知られるミダス王のいた国だ。
皿の見込みは様々な幾何学文でびっしりと埋められている。中央に十字文、次の輪に網文・斜格子文と石畳文、その次の輪にも石畳文と菱繋文、一番外側の輪は石畳文・鋸歯文と、Fの字を左右反転させた文様を連ねたメアンダー文。このメアンダー文はギリシアの幾何学様式の陶器と比べて、どちらが古いのだろう。それについてはいつの日にか。
それぞれの輪の間には密な同心円文が引かれている。
2つ目の輪にある大きな菱形の文様は、縦長の菱形が横に並ぶ。斜格子文ではなく、菱繋文と呼んでよいだろう。
この他、前4000年紀の現イランの地出土の土器にも菱繋文は見られ、前4500年前の土器には菱形が鏤められた土器さえ見られるなど、古い文様ではある。
それについてはこちら

しかし、菱繋文は建築の意匠にもちいられることはなく、織物にはずっと時代が下がってからみられるようになる。


菱繋文 毛織帯左側 新疆ウイグル自治区ロプ県サンプラ一号墓地1号墓出土 漢時代(1-3世紀) 
『シルクロード絹と黄金の道展図録』は、多彩な毛の撚り糸を用いて、縦縞文様を表した帯紐である。菱繋風の文様を織り出す。暖色と寒色を巧みに組み合わせた配色が鮮やかであるという。 
横への広がりはないが、縦並びの菱繋文には違いない。
菱文「陽」字錦襪 後漢 新疆ウイグル自治区民豊県北砂漠1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
『中国美術全集6工芸編 染織刺繍Ⅰ』は、絳紅色地に、藍・黄2色で小型菱格文を織り出している。錦の縁には向かい合う「陽」の字と四弁文様を織り出しているという。
これは完成した菱繋文で、しかも絹の織物である。遊牧民が毛織りした菱繋文が後漢には請来されていたということだろうか。
青銅器にも菱繋文は見られる。

刻文簋(き) 銅 漢(前1-後2世紀) 京都、泉屋博古館蔵
『世界美術大全集東洋編2秦・漢』は、鏨による刻文が蓋、身ともに表面全面に施されている。口縁には菱形を連ねた文様帯がある。
この種の銅器の多くは中国南方に分布しており、器形も文様も酷似した陶器が南方から発見されている。また菱形や長三角形などの文様も、中国南方の陶器にしばしば刻まれているという。
画像磚 前漢後期(前1世紀) 河南省新野県樊集24号漢墓出土 鄭州市、河南省博物館蔵
画像磚の上下の文様帯が、菱形内部を4つの菱形に区分けした文様のある二重菱繋文になっている。
ところが、それ以前の菱形は、よく見ると菱形ではなく、松皮菱のような形になってしまう。

画像磚 前漢(前153-126年) 前漢景帝陽陵出土 咸陽、漢陽陵博物館蔵
菱形風だが、どちらかというと松皮菱の中に菱形を配した文様が、虎の四方に配されており、繋文ではない。
この文様は、陽陵では四神の空心磚のうち、玄武にもみられる。

つづく

関連項目
東寺旧蔵十二天図10 截金9円文
東寺旧蔵十二天図9 截金8石畳文
文(松皮菱)の起源は戦国楚
東寺旧蔵十二天図7 截金6網文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文
東寺旧蔵十二天図3 截金2変わり七宝繋文
東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
アナトリアにはミダス王の木槨墓
四神10 前漢景帝の礼制施設に四神の空心磚
土器に格子文を探すと

※参考文献
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥高 1997年 至文堂
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 東京国立博物館・NHK
「世界の文様2 オリエントの文様」 1992年 小学館
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館