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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/08/30

ギリシア神殿4 上部構造も石造に




木材を雨から守るために多用されたテラコッタのお陰で、ギリシアの神殿は木柱から石柱へと替わり、石柱がかなりの荷重に耐えられることから、上部構造は木造とテラコッタではなく石造になっていたということのようだ。

『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、前6世紀初頭にドーリス式オーダーの神殿形式が成立すると、柱の上に渡したアーキトレーヴ(水平梁)の上の、トリグリフ(束石)と交互に並ぶメトープ(装飾板)と、両傾斜の屋根によって構成される三角形のティンパヌム(破風部)に浮彫りないし丸彫りの彫刻が施されるようになる。また破風の頂点や両隅には、多くは走る、あるいは飛翔する姿の彫像などの装飾(アクロテリオン)が据えつけられる。その設置場所を建築全体から見ると、何れも力学的に荷重を受けない部分、あるいは視覚上要に当たる個所であり、建築構造をよくわきまえた、いかにもドーリス系らしい建築装飾法といえようという。

アルテミス神殿西破風彫刻 前580年頃 コルフ(ケルキラ)島出土 石灰岩 315X2216㎝ ケルキラ考古博物館蔵
これはかなり荷重がかかるのではないだろうか。タンパンあるいはペディメントは正面入口上にある、最も目立つ箇所である。

C神殿メトープ浮彫り ヘラクレスとケルコプスたち 前530-510年頃 セリヌンテ出土 石灰岩 高さ147㎝ イタリア、パレルモ美術館蔵
同書は、ヘラクレス神話に見られる一挿話で、本土ギリシアをはじめこのイタリア地方においても、アルカイック時代の美術に好んで取り上げられた。
浮彫りは四肢の太くて短い、南イタリア・シチリアの典型的な様式を示している。上半身を正面向きに、下半身を側面向きに表して連結させる古い人体の造形法が墨守されている点も、同時代のギリシア本土の芸術に比較していくらか洗練を欠いているといえようという。
メトープの上に彩色の痕跡があり、メアンダー文が描かれていたようだ。
セリヌンテC神殿メトープ 前530-510年頃 セリヌンテ出土 イタリア、パレルモ美術館蔵
(この画像は『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』にあったものではありませんでした。今のところ、どの本から取り込んだものか特定できていません)
ペルセウスのゴルゴン退治の場面が高浮彫されている。
Y神殿メトープ浮彫り エウロペの略奪 前550-530年頃 セリヌンテ出土 砂岩 84X69㎝ パレルモ美術館蔵
同書は、海を渡るゼウスとエウロペの姿を描いている。エウロペは牡牛の背に座り、片手で角につかまっている。牡牛の下には海を暗示する2頭のイルカが表されている。古代ギリシアの彫刻はもともと浮彫り、丸彫りを問わずすべて彩色されていたのだが、エウロペの右手下には牡牛の色斑が薄く造形されており、牡牛のブチが着色されていたことがわかるという。
人物は横向き、牛は正面向きに表現されているが面白い。
メトープ浮彫り 逃げ去る二人の女性 シラリス、ヘラ神殿出土 前500年 砂岩 高さ約85㎝ パエストゥム国立考古博物館蔵
同書は、繊細優美なイオニア地方の作風は構図法だけでなく、浮彫りに表された人物像の様式にも観察することができる。ゆるやかな曲線を形づくる衣文の表現、ほっそりした四肢などには、優美な女性着衣像の表現を得意とした東ギリシア芸術の伝統が明らかに影を落としているという。
衣端のギザギザの折り目は仏像にも見られる。ガンダーラ仏、中国の北魏仏、日本でもそれを踏襲して表現されているはず。それについては後日。
東ギリシアで発達したイオニア式オーダーでは、屋根の上や軒先の装飾が中心となり、アーキトレーヴ上にはトリグリフを介さずに連続した図柄のフリーズ(装飾帯)が載る。建築軀体の構造よりも表面の造形を優先したという点で、東ギリシア=イオニアの彫刻の在り方と相通じる建築装飾法といえようという。

アテナ神殿エンタブラチュア 前540年頃 トルコ、アッソス出土 トルコ、イスタンブール考古博物館蔵
イオニア地方の神殿なのに、フリーズだけでなく、トリグリフとメトープもあってにぎやか。

    ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り← →ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
 

関連項目
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館