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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/10/29

ギリシア建築7 円形建造物(トロス)



エピダウロス、オリンピア、デルフィと巡った遺跡には円形の建物遺構があった。円形の構築物はギリシアではも含めてトロスと呼ばれている。

その3つのトロスを年代順に並べると、

1 デルフィ、アポロンの神域の13柱ドーリス式円形建造物(現存せず) 前580年頃
大きさは不明だが、後世に建てられた宝庫の大きさ、そして内室に付け柱などの列柱がないことから考えても、それほど大きなものではなかっただろう。
デルフィ考古博物館では、シキュオン人の宝庫のメトープ付近の壁に平面及び立面図が示されていただけだが、そこには「シキュオン人のトロス」と記されている。
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、オーダーを備えた円形神殿はすでに前6世紀初めに確認できるというが、このトロスを指すかどうかは不明。
円周を12で割るよりも13で等分する方が難しいのではないかと思うのだが。

2 エピダウロスのテュメレー 前365-335年(『CORINTHIA-ARGOLIDA』より、『ギリシア美術紀行』は前360-320年) 直径20.45m
『古代ギリシア遺跡事典』は、アスクレピオス神殿の背後(南西)には、神域のもっとも豪華な建築物として知られる円形堂(トロス)の遺構がある。その中心部の基礎は、迷路状の三重の同半円構造からなっており、何らかの特別な儀式に用いられたと考えられている。堂内には14本のコリントス式円柱がめぐらされ、外側にはさらに三重の同心円の基礎があり、外周に沿って26本のドーリス式円柱が立てられていた。大理石の上部構造に精緻な彫刻装飾が施されたこともあって、建築会計碑文からは、円形堂の竣工までには30年近くを要したことが分かっているという。
博物館の壁に掛けてあった想像復元図。
外側にドーリス式円柱が並び、環状の壁があって、内室にはコリント式の円柱が巡っている。
平面図
『ギリシア美術紀行』は、高さ6.74m、下部直径に対する高さの比10倍と非常にすらりとした、コリントス柱14本を円形にめぐらし、白と黒の菱形模様の石板を敷つめた床をもつトロスの内室の用途もよくわかっていないという。

3 オリンピアのフィリペイオン 前334年以前 直径15.25m
『OLYMPIA』は、その名称はマケドニア王、フィリッポスⅡに由来する。彼は前338年カネロイアでの勝利の後トロスを献納した。フィリッポスⅡの死後、その息子アレクサンドロス大王が完成したという。
同書は、 フィリペイオンはゼウスの聖域の中では唯一の円形建物で、古代の建造物で最も優美なものの一つとされている。マケドニアの王家が、ゼウスの聖域の最も開けた場所にこの建物を奉納したのは、ギリシア全土を掌握したことを示すためだったという。
同書は、これは外側に18本のイオニア式円柱、内室に9本のコリントス式柱頭の円柱を持つ直径15.25mの建物である。
内室は、入口の反対側に5体の金と象牙の像が祀られた台座があった。像はアレクサンドロスと両親のフィリッポスⅡとオリンピアス、フィリッポスⅡの両親アミンタスⅢとエウリディケで、有名な彫刻家レオカレスの仕事であるという。


4 デルフィ、アテナ・プロナイアの神域 トロス 前380あるいは前330年頃
『DELPHI』は、前380年頃あるいはおそらく前330年、建築家はフォカイアのテオドロスだった。様々な石材(ペンテリコン産大理石、黒石灰岩、暗い色の大理石)が使われたが、建築的な線や様式も様々だった。トロスは3段の基壇の上に立っていた。外側は12本のドーリス式円柱が列をなし、エンターブラチュアにはメトープとトリグリフがあった。ケラ(内室)の外壁にもトリグリフとメトープがあった。そこにはヘラクレスとテセウスの冒険が浮彫されていた。
内部には黒石灰岩の低い壇の上に10本のコリントス式円柱が立っていた。トロスの床は黒い石灰岩の厚板が敷かれ、その中心には白い輪があった。ケラの屋根は円錐形で、大理石製のタイルが葺かれていたという。
この想像復元図がずんぐりして見えるのは、12本の円柱のうち10本が描かれいてるからだ。
 『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、外側にドーリス式列柱、内側にコリントス式列柱を備え、コリントス式柱頭の意匠、ナオスに接する内側列柱の配置、天井格間の形状などバッサイ・フィガリアのアポロン・エピクリオス神殿の影響がみられるという。
 軒飾りのアカンサス唐草から判断すると、前330年頃に建立というのが妥当だろう。
その後もトロスは造られ続けたようで、ローマ時代の遺構も残っている。

ウェスタ神殿 前1世紀 ペンテリコン産大理石 ローマ、ボアリウム広場
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、凝灰岩の基礎の上に2段のクレピドーマ(階段状の基壇)が置かれ、その上にのる半径4.52mの神室の壁厚は68.8㎝で、その周囲に幅3.32mの回廊が巡り、そこに20本のコリントス式円柱が並んでいる(そのうち北側の1本は欠けており、その礎盤のみが残されている)。柱の下部直径は0.96m、高さは10.4mで、その上にあるエンタブラチュア(水平梁部)は現存しない。神室の外壁は、腰壁部分は平滑で、それよりも上の部分は表面を意図的に粗削りにしたいわゆるルスティカ仕上げにしている。
後15年の洪水後、おそらくティベリウス帝時代(後14-37年)に、9本の円柱と11個の柱頭はカッラーラ産の白大理石による新しい部材に取り替えられた。

材料の取り扱い、細部の意匠などきわめてヘレニズム建築の色合いの濃い建物で、一説にはサラミス出身の建築家ヘルモドロスの作品ではないかという説が提案されている。その確証はないものの、なんらかの形でギリシア・ヘレニズム建築に精通した建築家がかかわっていた可能性はきわめて高いという。
この建物は雨の日にバスの中から見た。円柱の上に傘のような屋根が直接載っているので素朴な印象を受けるが、これはエンタブラチュア(水平梁部)がなくなっているからだった。
何とかカメラに収めたが、窓ガラスが雨で歪み、とても見られる写真ではなかった。
内室に円柱あるいは付け柱の列柱はあるのかな。
ウェスタ神殿 前1世紀初頭 イタリア、ティヴォリ
こちらは屋根はないが、エンタブラチュアが残っている。その文様帯はアカンサス唐草ではなく、花綱と牡牛。
コリントス式柱頭もよく残っている。
その後トロスはどうなるのだろう。ローマ時代や初期キリスト教時代の墓廟には周柱のない円形の建物があるのだが。
初期キリスト教時代のサンタ・コスタンツァ廟はこちら

オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)←  →ギリシア建築8 イオニア式柱頭

関連項目
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン
エピダウロス4 トロス
ミケーネ9 アトレウスの宝庫はトロス墓
9-2 サンタ・コスタンツァ廟(Mausoleo di Santa Costanza)は集中式
エピダウロス3 考古博物館に神殿の上部構造
ギリシア神殿9 デルフィに奉納した鼎は特別

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 HESPEROS EDITIONS
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003 SPYROS MELETZIS