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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/11/01

ギリシア建築8 イオニア式柱頭



デルフィのアポロンの神域を歩いていると、何時、誰が奉納したのかわからないものの台座などがあちこちにある。その中で最も目を牽くのは、ハロースにあったこのイオニア式柱頭だった。
白い石に何か書いてあるので読んでみると、3ヶ国語で書かれた「触るな」だった。
アバクスが矩形で、浅い卵鏃文になっている。
渦巻の中心に4つの穴があいていて、何かが取り付けられていたようだ。
側面には二重の凸線が6本ある。
2つの渦巻の間のエキヌスの文様も珍しい。
柱の頂部にまで文様が施されているのも特別なものであったことを窺わせる。
制作時期は、このアンテミオンの形をオリンピア遺跡の宝庫群のアンテミオンと比較して、前5世紀中葉以降で、アカンサス唐草ができる前4世紀前半以前辺りかな。

そして、デルフィ考古博物館に展示されているスフィンクス像を載せた台座。

31 ナクソス人のスフィンクス 前570-560年頃 ナクソス大理石
『ギリシア美術紀行』は、ナクソス人が奉納したスフィンクス。44の縦溝をもつイオニア式円柱(11.5m)の上に載っていたという。
スフィンクスについてはこちら
スフィンクス自体は前6世紀のものだが、『DELPHI』は、柱頭は前328-327年のものという。
ハロースの柱頭と比べると簡素とさえ言える。
台座に補修部分があるのでそう感じるだけかも知れないが、卵鏃文ではなく、縦に2本の筋が等間隔で入って円形のクッションのように膨らみのあるエキヌスは台座とは別作りのようだ。
渦巻は四重線で、中心は卍になりそうでなっていない。そして渦巻の付け根には、半ロータス文のような花文がついている。

ギリシアでデルフィ遺跡より前に見たイオニア式柱頭はどうだったのだろう。

フィリペイオン オリンピア 前338-334年
デルフィのスフィンクス像台座よりも以前に造られていた。
アバクスは2枚の薄板を重ねただけになっている。エキヌスは二重のクッションのようだが、渦巻から出た舌状のものがそれを覆っている。
渦巻の中心が飛び出していて目のようだ。
渦巻を横から見ると、巻物を中央できつく結わえたような感じがしないでもない。
巻物といえば、この時代なら羊皮紙かな、それともエジプト産のパピルスだろうか。

プロピュライア エピダウロス 前330年代
オリンピアのフィリペイオンと同時期の柱頭だった。
ここでまた卵鏃文が出てきた。

ではイオニア式柱頭はいつ頃誕生したのだろう。

『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、イオニア式柱頭については、オリエントに起源を求める説が有力であるという。

プロト・イオニア式柱頭 前6世紀前半 ネアンドリア出土 イスタンブール考古博物館蔵
同書は、周廊をもたない矩形の広間の中央に7本の円柱が並んでいたが、これらの柱頭は柱身から垂直に伸びる渦巻きをもち、正面入口に正対する向きに立って天井梁を支えていた。
オリエントで用いられた渦巻形の柱頭彫刻は、渦巻きが下から左右に分かれて生えているのが一般的で、上部で渦巻きのつながっている標準的なイオニア式とは多少異なっていた。小アジア北西岸のアイオリス人の入植地では、このタイプのものが多く発見されており、イオニア式柱頭のプロトタイプの一つと考えられている
という。

同博物館には2度行っているが、この柱頭には気付かなかった。
2つの渦巻に被さっているのもは、やっぱりパルメットだろうか。
このプロト・イオニア式柱頭の起源はプロト・アイオリス式渦巻形柱頭に当たるものだろうが、その画像がない。

有翼グリフィン 象牙細工 前8世紀 アルスラン・タシュ出土 アレッポ国立博物館蔵
『世界の博物館18シリア国立博物館』は、象牙は暖かい色あいと適度な光沢からオリエントでは富の象徴とされ、賞讃されてきたという。
これは箱か家具の一部を飾っていたものであろう。中央の聖樹のデザインはヤシの木から着想をえたもので、しだいに抽象化されてプロト・アイオリス式の渦巻形柱頭に発展してゆくという。
アイオリス人はテーベ(テーバイ)からアナトリア半島西岸へ植民した人達をいう。シリアのアルスラン・タシュとどのような関係があって、この中央のデザイン化された樹木がアイオリス地方の柱頭となったのかは定かではない。
中央の柱頭よりも、両端の柱頭の上部がプロト・イオニア式柱頭に近いのではないだろうか。ちょっと強引に合成してみた。

一方、渦巻きのつながっている柱頭も、そんなに時を隔てずにイオニアに存在していた。

イオニア式柱頭 アルテミス神殿 前560年頃 エフェソス出土 大英博物館蔵
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、渦巻きのつながっている柱頭のプロトタイプは、主にキュクラデス諸島や小アジア西岸で多く使われていたという。
しかし、渦巻は八弁花で見えない。側面は2本の凸線による筋があるらしい。
また、アバクスは卵鏃文に発展していくだろうなという気配を見せており、エキヌスの方は卵鏃文になりきっていない。この辺りが卵鏃文の原型のような気がする。
同書は、アルカイック期にはこれら2つのタイプのイオニア式柱頭が共存していたが、前6世紀半ばから古典的なタイプに移行し、前5世紀になると「アイオリス型」の柱頭は消滅したという。

その後のイオニア地方の神殿を見ると、

アテナ神殿 前350年頃 プリエネ、トルコ
同書は、イオニア式オーダーもまた木造建築の名残をよくとどめている。左右に展開する渦巻きは、梁の方向にうまく合致して持ち送りとしての機能を果たしている。そして、初期のアバクスも確かに横長のプロポーションをしている。3層のフェスキアを重ねたアーキトレーヴの上には、軒を支える垂木の木口が並んでいるが、この部材はやがてデンティル(歯形装飾)という独特の装飾モティーフになるという。

デンティルの画像はこちら
アバクスはエフェソスのアルテミス神殿風、エキヌスは大きな卵鏃文。渦巻は3.5周している。
実際のイオニア式柱頭はというと、神殿全体の写真しかなかった。

同書は、アテナ神殿はプリエネで最も古く重要な建物で、前350年頃、新たに建設された新市街のアゴラ北西の高い石造テラスの上に立っている。
正面6柱、側面11柱の古典的なイオニア式周柱式神殿で、奥行きの深い前室と神室および浅い後室を備えているという。
拡大すると、柱頭は渦巻の側面に2本の凸線による筋がある。

アルテミス神殿 前300年頃 サルディス、トルコ
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、女神アルテミスの神殿は、すでに前5世紀末から存在していた赤色砂岩の祭壇の東側に隣接するように建設された。工事は長い中断期間を含みながら4世紀半ばほどの間続いた。
柱頭まで残っている2本の円柱は、後2世紀に建てられた東側の周柱に相当する。ただし、左側の円柱の柱頭のみは前2世紀のものとされているという。
イオニア式柱頭 前300年頃
同書は、前300年頃の制作とされる周柱のイオニア式柱頭で、クラシック期の作品ながら柱頭部に施された卵舌文や大きめの渦巻装飾(柱頭の幅のほぼ1/3に達する)にアルカイック的な特徴を残しているという。
卵鏃文ではなく卵舌文というのか。その卵舌文を隠すように半パルメット文が渦巻からのびている。卵舌文の上には一輪の花が添えられている。
渦巻には3条の二重凸線が並び、その間にはパルメット文が下方に並んでいる。
どの文献にもこの渦巻が何を表しているのか記述がない。

おまけ

ジェラシュの楕円形広場 ヨルダン、後2世紀頃
このように列柱廊あるいは列柱路のあるのが、小アジアや西アジアのローマ属州の都市の特徴。
列柱も、中央の大円柱もイオニア式柱頭だった。
リボンのような、巻紙を束ねたような、華奢な印象を受けたが、オリンピアのフィリペイオンの流れを汲むものかも。

ギリシア建築7 円形建造物(トロス)← 
                       →ギリシア神殿9 デルフィに奉納した鼎は特別

関連項目
デルフィ5 アポロンの神域4 ハロースに埋められていたもの
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン 
エピダウロス3 考古博物館に神殿の上部構造
エピダウロス1 大劇場
エピダウロスのトロス1 コリント式柱頭
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り


※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1995年 小学館
世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 増田精一・杉村棟 1979年 講談社