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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/02/28

古代マケドニア6 粒金細工・金線細工



古代マケドニアはアクシオス川で砂金が豊富に採れたため、豊かだったという。それを物語るものが墓の副葬品の金製品だ。考古博物館では金薄板でつくった花冠やディアデムなど、目を奪われるものは多く、粒金細工もたくさんあった。しかしながら、暗い館内で反射するガラス越しに立体的な作品を写すのは難しく、ほとんどピンボケだった。

粒金細工(granulation)
『THE GOLD OF MACEDON』(以下『GOLD』)は、この装飾技術は前7-6世紀にはかなり人気があった。金の粒が作品の表面に置かれ、ハンダ付けされることによって、装飾モティーフは生まれる。どのように金の粒がつくられたかは定かではないが、最も納得できるのが、熔けた金を水中に落とすというものだ。制作過程の2番目は、表面に金粒を鑞付けすることだ。1933年にH.A.P.リトルデイルが金と銅の合金が熔ける温度(890℃)がそれぞれの金属を別々に溶かす(金の溶融点は1063℃)よりも低いことを実験で確認した。これによって、彼は古代の職人が有機接着剤で金と銅の水酸化合物を混ぜたものを使ったと仮定した。表面を覆うこの粘着性の混合物が粒金を定位置に付けた。作品を熱すると、水酸化銅は金を周囲に纏って合金となり、接合部を鑞付けした。リトルデイルはこの技術を「粒状のしっかりした鑞付け」と呼んだという(専門知識もないので、ええ加減な訳です)。
有機接着剤というのはヤニなどの樹脂かも知れんと、昔化け学をやっていた亭主はいう。
これって、知り合いの爺さんがテレビで見たという金の粉のようなものを粒金とくっつける土台に撒いて、バーナーで熱したら粉だけが熔けて熔着していたという話と同じやん。
その上、温度を高くするのが困難だった時代なので、銅の粉も撒いて、より低温で熔ける合金にしたということか。

首飾り おそらく前475-450年頃 出土地不明
どう見ても壺の形。粒金細工が施されている。特に右端は粒が小さい。
粒金を三角形に並べた鋸歯文が見られる。

壺形飾り 前475-450年頃 ネア・フィラデルフェイアの女性墓出土
『GOLD』は、ペンダントに使われたか首飾りの部品の一つだった。先の尖った壺の形に粒金細工が施されている。このタイプの垂飾は後期アルカイック時代に一般的なもので、類似品がシンドスやヴェルギナ他で発見されているという。
こちらの方が粒金がびっしり並んでいるが、壺の形と粒金を三角形に配置するなど、上の首飾りと共通する特徴が見られるので、上の首飾りも同じような時代だろう。 
その拡大
上側の横枠とそれに隣接した粒金との接合部が見える。これが鑞付けだった。鑞付けの不十分な箇所は粒金が剥落している。

首飾り 前525-500年頃 シンドス48、女性の墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵
『GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE』(以下『GUIDE』)は、斧とアンフォラの形ビーズは、完璧な粒金細工で、シンドスの金細工の最も良い仕事であるという。
四角い砂時計のような形は斧だった。壺といい、斧といい、当時は面白い物の形を高価な装身具にしていたのだなあ。

これも粒金細工かな。ピントが合いきっていないので、粒金細工か金線細工かわからない。
首飾りの垂飾 前7-5世紀 シンドスで制作 中央マケドニアの墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵
同書は、炎とザクロの形の垂飾は粒金細工の比類なき傑作である。土台の表面をに、顕微鏡で見るほどに小さな金の粒を迅速にくっつけること、そして正確な高温の維持が求められるという。
なるほど、砂のように小さな粒の粒金細工だった。

腕輪 前3世紀初頭 古代エウロポス(現地名エウロパイオス)の墓地出土 テッサロニキ考古博物館蔵
金の網で作ったような空洞の腕輪だが、両端にはアイベックスの頭部となっている。
金線の交差部に粒金を一つずつ鑞付けするなど、しゃれたデザインだが、粒金の数は少ない。それとも、こんな線の上に鑞付けするのはかなり高度な技術が要るのかな。

金線細工
中には、粒金細工かと思っていたのに、じっくり観察してみると、粒の一つ一つが独立しておらず、線状につながっているものがある。
これは、たくさんの粒金を並べる手間を省くための工夫ではないだろうか。

装飾的なワイヤの作り方
同書は、金の表面は様々な装飾モティーフを創り出すために曲げられたワイヤで飾られていた。ワイヤはおそらく同じ「粒状のしっかりした鑞付け」で表面に鑞付けしたのだろうという。

金製ピン 前560年頃 シンドス67、女性の墓出土 
『GOLD』は、ピンはペプロスを肩で留めるのに使われた。その凝った頭部は植物のモティーフ、ロゼットや葉を金線細工の技法で装飾しているという。

粒金が並んでいるように見えるタイプと、縄状に捻れたタイプで装飾し、粒金は花心に配置するだけ。

首飾り(部分) 金製 前560年頃 シンドス67、女性の墓出土
同書は、首飾りは、粒金や金線細工が施された様々なタイプの12個のビーズでできていて、中央のものは壺形となっているという。

一番小さなソロバン玉のような形のものは粒金が並んだように見える金線細工。
円錐形の垂飾がついたものも、菱繋文を通す部分は粒金が並んだように見える金線細工だが、円錐部分は粒金だけを鑞付けしてしているように見える。
中央の壺の両側のものはそのままの金線細工。
壺垂飾の拡大
粒金が並んだように見えるタイプと縄状に捻れたタイプの金線細工と、粒金の組み合わせ。

耳輪 前525-500年頃 金製 シンドス48、女性の墓出土
これはまあまあ撮れた。
『GUIDE』は、前で開閉する端にある見事な花というだけで、どのような細工かの説明はない。
大きな花は、打ち出しによる花弁に、やはり打ち出しで反り返った花弁をつけ、その上に金線細工を渦高く巻き上げて、てっぺんに大きな金の粒を載せているように見える。
しかし、留め具の小さな花は、金線細工を巻き上げたにしては粒が揃っていない。しかし、粒金だけを積みあげたのでもないようだ。金の針金を土台にして、それに粒金を鑞付けしていったが、その粒が針金に付かずに、下方に落ちたところで付いたようにも見える。
2つの留め具の間に、数は少ないが、粒金だけを鑞付けしている。
輪っか部分も非常に細工が細かい。金の薄板を透彫にしたのか、中央の組紐文状のものは、金線細工だろうか。

船形耳飾り 前5世紀後半 銅鍍金 古代ピドナ331墓出土 テッサロニキ考古博物館蔵
「船」の上下に粒々が並んでいる。
これは粒銅かな、それとも銅線細工だろうか。

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                   →イラクリオン考古博物館3 粒金細工


関連項目
ギリシアの粒金細工
粒金細工は植民市に住むギリシアの工人が作ったという
ティリヤ・テペの細粒細工は金の粒だけを鑞付け
古代マケドニア4 墓室の壁画にも蔓草文
古代マケドニア3 ベッドにガラス装飾
古代マケドニア2 ペラの唐草文
古代マケドニア1 ヴェルギナの唐草文

※参考文献
「THE GOLD OF MACEDON」 EVANGELIA KYPRAIOU 2010年 HELLENIC MINISTRY OF CULTURE AND TOURISM
「GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE」 JULIAVOKOTOPOULOU 1996年 KAPON EDITIONS