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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/03/25

イラクリオン考古博物館4 水晶製のリュトン


かなり以前にテレビ番組で、クレタ島でミノア時代の透明なアンフォラ型容器を見かけた。その時代に透明ガラスがあったのかという疑問と共に、その容器が記憶に残っていた。
その後それが水晶製であること、イラクリオン考古博物館に収蔵されていることなどを知った。
ということで、当考古博物館で私が最も見たかったものの一つは、この水晶製アンフォラだった。

水晶製リュトン 前1500-1450年 クレタ島、ザクロ宮殿西翼の宝庫出土  高さ17.3㎝ イラクリオン考古博物館蔵
クノッソス宮殿の遺跡は大きいとは思わなかったが、このリュトンは思っていたよりも大きかった。
また、色はもっと白っぽかったと思う。照明などの影響で、ローズ・クリスタルのように写ってしまった。
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、灌奠用のリュトン。300点余の断片から復元したもの。長円形で尖底である。一塊の水晶からこれだけの大きさの胴部を彫り出すには非常に高度な技術を必要とするという。
把手部分は水晶を青銅の針金で数珠つなぎにして、優雅な曲線をつくっている。把手の下部の数珠は発掘時にも破損せず、本来の位置についていた。針金の緑色は酸化によって生じた色彩で、本来は鍍金が施されて、透明の水晶を通して金の糸が光り輝いていたと想像されるという。
把手の水晶の数珠も、本来は器体と同じ色だったのか。
頸部は別個の水晶から制作され、後からつなぎ合わされた。また頸部の根元部分は、鍍金された象牙の断片と水晶を組み合わせた可動式の輪状装飾となっているという。 
金の針金だと思っていたこの輪っかは、象牙に金メッキしたものだった。 
それにしても、金メッキ(鍍金)というものが、こんなに古くからあるものだったとは。
リュトンは角状杯とも呼ばれ、液体を注ぐ用途のために、上に液体を入れる口、下に小さな注ぎ口をもつ。下の小さな注ぎ口は指で押さえるか、栓で開閉する。図はリュトンの扱い方の一例を示したものである。宗教的な儀式で、酒や清水、場合によっては動物の血など、さまざまな液体を注ぐための容器であるという。
アンフォラと思っていた容器がリュトンだったとは。

同考古博物館には、石製リュトンもあった。

山上の祠堂のリュトン 前1450年頃 ザクロ宮殿出土 緑泥岩(クロライト) 高さ24㎝ イラクリオン考古博物館蔵
同書は、「山上の祠堂」の情景が浮彫りにされた石製杯。石材の加工技術の卓抜さと、その図像がクレタ宗教特有の「山上の祠堂」を表現することから、きわめて重要な作品である。上部に通称「山上の祠堂」の建物、中段から下方には、岩山と変化に富んだ野生の動物の姿態が表現される。浮彫りはクレタ美術特有の躍動感にあふれている。表層に金箔の残存が見られることも興味深いという。 
ミノア時代の宮殿あるいは祠堂は、どこのものも牡牛の角が並んでいたことが、このようなリュトンや印章指輪の図からうかがうことができる。
で、この積みあげた壁体は日干レンガか切石かだが、『ギリシア美術紀行』はキュクロプス式の巨石を組んだ壁体という。
キュクロプス式の壁の画像はこちら

形としては、水晶製リュトンとよく似ている。肩部の輪っかというものが何を象ったものかはわからないが、重要な部品であることがこの器からもわかる。
その下に穴、ひょっとすると把手が取りつけられていたのかも。
描き起こし図を見ると、起伏の多い岩山の頂に、ミノス美術特有の連続渦巻文様で飾られた建物が現れる。正面入口の上部に4匹の山羊が鎮座する。両脇の小入口下方には供物台が設置され、その下に大型の祭壇が認められるという。
この無人の祠堂こそ、母神の「顕現」が重視されたクレタ宗教の世界観を如実に示している。通常は無人の社に、顕現の時期に合わせて、捧げ物などの準備を行い、場所によっては母神の降臨を祈願する集団舞踊が行われた。母神の降臨する山頂を岩山のモティーフで象徴的に表現した例もあるという。
集団舞踊の場面はこちら

リュトンといえば、牛の角のように曲がったものを想像するが、アンフォラのような形もあれば、真っ直ぐな角坏もある。

ボクサー・リュトン 新宮殿時代、前1500-1450年頃 滑石製 クレタ島、アギア・トリアーダ出土 イラクリオン考古博物館蔵
『HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、献酒用。ボクシング、レスリングそして牛跳びの場面が浮彫りされているという。
牛頭形リュトン 前1500-1450年頃 クノッソス出土 凍石 高さ20.6㎝(角を除く) イラクリオン考古博物館蔵
『世界美術大全集3』は、角の部分は発掘後の復元で、原作では木製で鍍金されていたと推測される。眼は水晶をはめ込み、瞳孔などの細部を着彩、周囲を赤碧玉で囲む。鼻先は貝を象嵌。頭頂部分の体毛は浮彫り、その他は線刻で、細部の正確さを兼ね備えた、生き生きとした造形となっている。頸部後方の上端に小さな穴があり、そこから液体を注ぎ入れ、牡牛の口の部分が開口部、つまり注ぎ口となっていたという。
ミケーネ円形墓域A、Ⅳ墓出土の 牡牛の頭部のリュトン(前1550-1500年頃)とよく似ているが、こちらの方が時代が下がるようだ。

法螺貝形リュトン アラバスター
横向きに置かれていたので、画像としては小さいが、実物は大きかった。
ミノア時代には、様々な材質で、こんなに多様な形のリュトンが作られていたのだった。

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関連項目
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
イラクリオン考古博物館2 女性像
イラクリオン考古博物館6 ミノア時代のファイアンスはすごい
イラクリオン考古博物館7 クレタの陶器にはびっくり
イラクリオン考古博物館8 双斧って何?

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 ANDONIS VASILAKIS ΕΚΔΟΣΕΙΣ ADAM EDITIONS