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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/04/08

イラクリオン考古博物館8 双斧って何?



クノッソス宮殿東翼大階段より南の屋根のかけられたところに、双斧の礼拝所というものがあった。

『ギリシア都市の歩き方』は、クノッソスの遺跡を、宮殿ではなく「礼拝所複合体」として捉えている。これは、前1375年頃にクノッソスの「礼拝所複合体」が破壊された後で、廃墟となった建築の一部を使って新たに崇拝の場として開かれた、小さな礼拝所(間口1.5mX奥行き1.5m)である。そこにはわずかに祭壇と円形の炉が用意されているだけの小さな礼拝所であるが、祭壇には「奉納の角」と名付けられた聖なる角2基と、小さな凍石製の双斧が発見されたので、その名が付けられたという。
また、東翼大階段の東側にある王の間の続き部屋は双斧の間と呼ばれている。
『クノッソスミノア文明』は、この部屋の西側の明かり採りを形成しているブロック(切り石)に「双斧」のシンボルが刻み込まれていることから、「双斧の間」と呼ばれているという。
王の間越しにしか見ることができなかったので、双斧のシンボルは見えなかった。
この部屋について『ギリシア都市の歩き方』は、クノッソスが「礼拝所複合体」である以上、それらは言うまでもなく礼拝所の4類型の「清めの水殿」型に属していると考えられる。つまり「王妃の間」の浴室が「清めの水殿」型礼拝所の中心で、そこへの出入りを管理し、身体を浄めることに関する儀式が執行された部屋がポリティロンによって3面を仕切られる「双斧の間」であったろうと見なされるという。

イラクリオン考古博物館では、双斧が展示室の隅に置かれていた。
儀式用双斧 新宮殿時代(前1500-1450年頃) 青銅製、柄は現代のもの ニロウ出土 
同館の説明板は、アギア・トリアーダの石棺の捧げ物の場面に同様のものが描かれているという。

彩色石棺 前1400年頃 クレタ、アギア・トリアーダ出土 石灰石 長さ137㎝
聖なる牛の角が4つ並んだ建物の前に、1本の双斧が立てられている。その上には鳥が留まっているようだ。
もう一方の側には、確かに柄の長い双斧が一対で、儀式の捧げ物をおく場所に飾ってある。そして、どちらにも鳥が乗っている。
『HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、女祭司が犠牲の獣の血をクラテルに満たしているもう一人の女祭司は2つのバケツを担いでいる。その背後で楽士がリラを弾いているという。
よく見ると、クラテルの台座は両側の双斧の台座の上にかけてある。双斧そのものが礼拝の対象だったのだろうか。

イラクリオン考古博物館には、小さな双斧も展示されていた。
奉納用双斧 金製 前16世紀 アルカロフォリ洞窟出土
青銅製の双斧も各地で出土している。
宮殿や神殿の軒に並べられた牡牛の角は魔除けだったと思うが、双斧には別の役割があったのではないだろうか。

『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、クレタ特有の宗教的シンボルである「双斧」という。
ひょっとして、「聖なる牛の角」を得るために使った道具が双斧だったのかな。

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関連項目
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
イラクリオン考古博物館2 女性像
イラクリオン考古博物館3 粒金細工
イラクリオン考古博物館4 水晶製のリュトン
イラクリオン考古博物館5 ミノア時代の建物の手がかり
イラクリオン考古博物館6 ミノア時代のファイアンスはすごい

※参考文献
「クノッソス ミノア文明」 ソソ・ロギアードウ・プラトノス I.MATHIOULAKIS
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ギリシア都市の歩き方」 勝又俊雄 2000年 角川書店