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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/05/20

アンテミオンはアッシリア?



生命の樹といえばアッシリアの浮彫である。

守護聖霊と聖樹 新アッシリア時代、前875-860年頃 ニムルド北西宮殿I室 石製板17? 縦141.0横95.0厚4.0 大英博物館蔵
『アッシリア大文明展図録』は、幹には3カ所にわたって、水平な継ぎ目があり、その各々から角のような形をした若芽と渦巻が出ており、その頂点には山形の文様が描かれている。アッシュール・ナシルパルⅡ世の治世において、呪術的な彫刻には頻繁に聖樹が描かれた。S・パルポラの説によれば、聖樹はメソポタミアの宗教思想において、高度に秘密的な意義を有していたとされる(Parpola 1993)という。
残念ながら、この浮彫図は生命の樹が半分しか残っていない。
中央のパルメットを飾る組紐でつくられた装飾と思っていたが、中央のパルメットから出たものを表していたのだった。

アッシュルナツィルパル2世と聖樹 新アッシリア時代、前875-860年 イラク、ニムルド、北西宮殿B室出土 アラバスター 大英博物館蔵
パルメットは、両隣ではなく、一つ飛ばしに繋がっているが、それぞれの蔓がくぐったり、越えたりするところまで表現されている。
この生命の樹は、儀式用に組紐でつくった人工のナツメヤシなのか、この時代は生命の樹はこのように表現するものか、どちらなのだろうと以前から疑問だったが、『世界美術大全集東洋編16西アジア』の別の文に、様式化された植物の図像という言葉があった。それはアッシュルナツィルパル2世の時代特有の表現だったのかも。
パルメットから左右に出た蔓は、その両端が小さいながら巻いているのは、ギリシアのアンテミオンへと伝播していったのではないかと思うほど似ている(デルフィ、アポロンの聖域参道脇にあったイオニア式円柱の上端に浅浮彫されたアンテミオン、時代不明)。

アッシリアでは、他にも組紐で構成したパルメットと思えるような作品もある。

パルメットとザクロの壁面装飾板 新アッシリア時代、前875-865年頃 ニムルド、イシュタル・キドムリ神殿出土
『アッシリア大文明展図録』は、四辺が内側に湾曲したこの装飾板の形態は、アッシリアの建物の内装に使われた織物が、壁面に掛けられて内側に反った線を写していると考えられる。
パルメット文やザクロ、同心円やギローシュ(縄編文)、V字連続文などといった文様や、また、黒と白を対称的に配した正方形などは、紀元前9世紀に特有のデザインである。このような文様は魔除けの観念を象徴していたのかもしれない
という。
ギリシアに伝わった生命の樹の、蕾のような、実のようなものは、こんなザクロだったのかな。


このような捻れのあるパルメットの表現は、

スフィンクス 前9-8世紀 ニムルド、シャルマネセルの城塞出土 象牙 縦6.9横7.75 大英博物館蔵
『東洋編16』は、スフィンクスは有翼で、ライオンの身体に人間の頭部を有する。頭には、上・下エジプトを象徴する二重冠を戴き、胸部には蛇形章(コブラ)の装飾が施された前垂れをつけている。口元には「アルカイック・スマイル」と呼ばれる微笑を浮かべている。背景には、パルメット文を伴う蔓性の植物が描かれる。このモティーフはエジプトの影響を強く受けており、フェニキア職人の手による作品であろうと考えられている。繊細な彫刻技術と優美な肉づけに、フェニキア様式の特徴かがよく現れているという。
シャルマネセル3世はアッシュルナツィルパル2世の息子で次王なので、こちらの方が時代は少し下がる。
アッシリアの壁面の浮彫に表された生命の樹の茎に見られる捻れは、フェニキアが先か、アッシリアが先なのか。捩れはあるものの、こちらのパルメットは、生命の樹を取り囲んだパルメットとは萼の表現が異なっている。
しかし、このようなパルメット文を伴う蔓性の植物はエジプトの影響という。エジプトにはナツメヤシはたくさんみかけたが、パルメット文というのはあったかな。

蛇足になるが、アルカイック・スマイルがギリシアのアルカイック期以前に現れているのは興味深い。
スフィンクスとロータスの組み合わせもあるが、これもエジプト製ではないようだ。

スフィンクスとロータス 前9-8世紀 シャコガイの貝殻細工 縦11.0横9.0 大英博物館蔵
『アッシリア大文明展図録』は、装飾に使われているデザインは、ニムルド出土の青銅製皿や象牙細工に関連しているものもあるので、シリアやフェニキアの職人の手でつくられた可能性がある。従って、アッシリアから発見された作例は、西方から輸入されたものであろうという。
右側にロータスの開花したものと蕾が交互に配され、それぞれから2本の茎が左右に出ている。やはり、アッシリアの壁面浮彫りの生命の樹のように、何かを取り囲んで、開花のものどうし、蕾のものどうし、茎で繋がっていたのだろう。
ということは、アッシリアのアッシュルナツィルパル2世期の特殊な生命の樹の図像は、何かの形でフェニキアへと伝播し、エジプトからもたらされたロータスで、生命の樹のようなものを表現したのかな。
また、この貝殻細工のロータスには、エジプトの影響にしろアッシリアの影響にしろ、捻れる茎はない。

捩れはないが、中央の生命の樹から小さなパルメットが出ているという図柄は、もっと以前のアッシリアにあったようだ。

壁画図 中期アッシリア時代、前1244-1208年頃 アッシュル、トゥクルティ・ニヌルタ1世の王宮テラス出土
『東洋編16西アジア』は、この王によってアッシュルのすぐ北の地に造営が始められたカール・トゥクルティ・ニヌルタには、アッシュル神殿、イシュタル神殿とともに王宮が建設された。王宮のテラスからはフレスコ壁画の跡が発見された。使用されている色は白、黒、赤、青の4種類である。壁面を四角いパネル状にいくつかに区切り、パルメット文様を組み合わせた樹やこの樹と動物との組み合わせを、左右対称の原則に基づいて配し、その上部をパルメットや花、不思議な顔などをつないだ装飾で飾っている。パルメット文様を組み合わせた樹はすでに「聖樹」の典型的パターンを見せているという。
左右に生命の樹が大きく表されている。わかりにくいが、大パルメットの周囲は蔓のようなものに囲まれ、そこから小パルメットが9個ついていて、それ自体が花のようだ。幹の下側には上向きのパルメットがあり、その下には左右2枚ずつパルメットがあって、それぞれ蔓で繋がって、蔓は幹の下のパルメットで終わっている。中央下にあるの3つに分かれたものは根だろうか、そのすぐ上の左右に分かれた茎の先には小さなパルメットが一つずつあり、その上の分かれた茎は先ほどの4枚のパルメットにつながっている。

そして、アンテミオンに似た文様帯もすでに見られる。私にはタコのようなに見えていたのは、「不思議な顔」と表現されているが、アンテミオンの下方から左右に出ている蔓の両端が捻れて目のように見えている、のでもなさそう。この「原アンテミオン」(と勝手に呼ぶ)も、下左右のパルメットにも、目のようなものが配置されているが、顔のつもりで描いたのではないだろう。
どこかからもたらされた奢侈品のなかに、このような装飾があり、それをアッシリアで壁画に採用する際に、見よう見まねで描いていて、顔にも見えるものになってしまったのかも。
ちなみに、前13世紀末期には、ギリシアではアンテミオンはなかった。

おまけ
生命の樹はナツメヤシだが、その一種にロータスの樹というのがあるらしい。

生命の樹のある小箱 前9-8世紀 ニムルド、焼失神殿出土 象牙 高6.7径9.5 大英博物館蔵
同書は、双管フルートやツィターやタンバリンを演奏する楽士たちの姿が描写されている。彼らはナツメヤシや「ロータスの樹」(ナツメの一種)の中に立つ。この小箱がシリアないしはフェニキアで制作されたことは確かなようであるという。
タンバリンを鳴らす楽士の前にあるのが小さなナツメヤシだとすると、双管フルートを吹く楽士の前のギザギザしたようなものがロータスの樹だろうか。

ギリシアの生命の樹の起源はアッシリア← →エジプトのロータス


関連項目
生命の樹を遡る
ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)
ウラルトゥの美術3 象牙

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館
「大英博物館 アッシリア大文明展 芸術と帝国図録」 1996年 朝日新聞社