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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/06/06

単独卍文の最古は



卍繋文の最古は、今の時点では、アテネ、アクロポリスのコレー682(前525年)の着衣に描かれているものだが、二段に文様が展開して、文様としての完成度が高いので、卍繋文はそれ以前に出現していただろうと思われる。
卍繋文を探していて、どこにも繋がっていない単独の卍文、あるいはそれに類似した文様を目にした。

アッティカ黒像式腹部アンフォラ 前530年頃 ヴルチ出土 ヴァティカーノ美術館蔵
賽を振るアキレウスとアイアスのうちアイアス
二人とも同じような模様の服を着ている。文様帯が上着のあちこちにあって、波頭文のようなものもあれば、メアンダー文もある。
そのような文様帯が縁だけでなく、衣服の横や斜めにも走っている。そのような枠で囲まれた中に、大きな星文や花文に混じって、先が四角く巻いた卍がある。この文様は「組み合わせ卍文」という名称がついている(『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』より)

ロドス島の皿 前600年頃 直径38.5㎝ ロドス島カミロス出土 ロンドン、大英博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、東ギリシアのイオニアの陶器画にはいっそう強くオリエントの影響が及んでいるという。

ここにも組み合わせ卍文があった。オリエントの影響だろうか。

プロト・アッティカ式アンフォラ 前660年頃 ポリュフェモスの画家 高さ142㎝ エレウシス考古博物館蔵
『世界美術大全集3』は、なお幾何学様式の陶器装飾法の名残をとどめるものの、文様自体は花文と葉文が集まって一本の木となり、あるいはロータス、パルメットといった、その後のギリシア文様の基本となる植物文様が登場している。しかし、そうした文様を脇役に押しやって画面の中心に躍り出たのが人物像であるという。

オデュッセウスに目を潰されるポリュフェモスの腕と顔の間に小さな組み合わせ卍文、肩部のライオンの下に比較的大きな組み合わせ卍文がある。

ボイオティア後期幾何学式アンフォラ 前680年頃 テーベ近郊出土 アテネ国立考古博物館蔵
『世界美術大全集3』は、中部ギリシア、ボイオティアでつくられた後期幾何学式最末期(亜幾何学時代)のアンフォラ。この部分図の主題にちなんで、「アルテミス・アンフォラ」とも呼ばれるという。
主題枠内の上から、クジャク、牛の頭と脚、ライオン、そしてアルテミスの脚部に上向きの魚が描かれる。
左の渦巻はライオンの尾で、ライオンの脚の下に描かれた曲面三角形模様はおそらく山の表現で、山頂で獣を従えるその姿はミノス美術にまでさかのぼることができるという。
クジャクの背後と牛の頭の下にX文があるほかは、大小の卍文が鏤められている。先細りの描き方もあるのだろうが、これらの卍文には回転する気配がある。

オルペ(水差) 幾何学様式時代、前730-720年 鈎十字文の工房作 京都ギリシアローマ美術館蔵
『図録ギリシアローマ美術』は、肩の上に帯文があり、四葉文と鈎十字文、その間に陰影線とジグザグ線。この文様から『鈎十字文』の工房の作品と特定されましたという。
組み合わせ卍文は鈎十字文ともいうのか。

アッティカ後期幾何学式オイノコエ 前750年頃 アテネ、ファレロン地区出土 コペンハーゲン国立美術館蔵
『世界美術大全集3』は、重層する菱形文は内部を市松文や組み合わせ卍文で交互に塡められてきらめき、大型の卍文(スワスティカ)は地の部分に描かれたジグザグ文によって動感を与えられるという。
肩部には単独の大きな卍文がある。卍文は日本のものと方向が逆だが、スワスティカという名称があったのだ。

そして、胴中央部の菱形文の文様帯には、今まで見てきた作品にも登場した、組み合わせ卍文が並んでいる。どっちが先かわからない。

エトルリアにも卍文はあった。

女性骨壺 前8世紀 中央イタリア(タルクイニア?) 京都ギリシアローマ美術館蔵
『図録ギリシアローマ美術』は、文様は二又か三又のフォークのような道具で彫刻。鍵文、ジグザグ文、交差線文、カギ十字文が描かれたという。
左右対称の卍文が二重の枠の中にあって、家紋あるいは、墓主にとって重要な着衣などを表していたようにみえる。

『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、前8世紀以来急速に進んだ海上交易と植民活動を通じて、ギリシア文明圏が全地中海域に拡大すると同時に、先進オリエントの文物がギリシアに流入し、エジプト、シリアはもとより遠くアッシリアから伝来した小彫像や粘土浮彫り像が、また貴金属ないし象牙製の装身具・什器類に刻まれた動植物、怪獣、人体像がギリシア人の目に触れ ・・(略)・・ たという。
卍文と組み合わせ卍文の起源はギリシアにあるのだろうか、それともギリシアが強く影響を受けてきたオリエントにあるのだろうか。

金製首飾り 前1千年紀 イラン北西部、ギーラーン州キャルーラズ出土
残念ながら、卍について何を象徴したものかなどの解説がない。また、前1千年紀は、ほぼ前1000-0年の千年間を指すので、ギリシアの卍文より古いのか新しいのかさえわからない。図録の構成から、アケメネス朝以前(前550年以前)と思われるが、この下限もどちらが先かの目安にはならない。

卍文印章 前2400年頃 凍石 パキスタン、ミリ・カラート出土 パキスタン考古局蔵 
『四大文明インダス文明展図録』は、インダス平原で文明の基礎が次第にかたちづくられていた時期、印章や金属器が現れる。文明直前から文明期にかけて、バローチスターン丘陵以西の広い地域で用いられた幾何学文を刻んだ方形の印章という。

まさかと思ったが、インダス文明では、現在わかる範囲では、最も古い亀甲繋文と七宝繋文がつくられている。
それについてはこちら
その上卍文もインダス文明だったとは。

しかし、もっと古い卍文を見付けた。

印章 前2800年頃 アフガニスタン、ムンディガク出土 クロライト 5.5X3㎝ ギメ国立東洋美術館蔵
『アフガニスタン悠久の歴史展図録』は、印章は所有権を明示するためや封泥に押すものであるが、中央アジアでは装身具に用いたり、土器に文様をつけるための道具として使われた。波線や交叉を組み合わせて巧みに模様を創り出しているという。
縦・横・斜めの線を組み合わせて、だれのものであるか見分けるよう工夫している。
上図の右側中段のものが卍に近いように思われる。形としては不完全だが、このように他の人のものと違うものをつくっていて、たまたま卍に近いものができたのだろう。

卍と矢羽十字のある深い鉢 スーサ1期、前4000年頃 彩文土器 高さ8.8㎝直径21㎝ スーサ、アクロポリス出土
『四大文明メソポタミア文明展図録』は、中央の矢羽十字が2つの卍に囲まれている。彩文土器の鉢には、この作品の底に見られるような矢羽十字が描かれているものが多く、それを中央にして4方向から対称的に見える文様が描かれるという。

水平方向にやや高さが異なっているが、3本の線で描かれた卍文である。
何を表していたかだが、空を飛ぶ鳥ではないかと想像する。横向きの顔と尾、片方は羽根の先をあげ、片方はさげる。実際には鳥はそんな飛び方はしないが、大空に舞う大きな鳥を見て、こんな描き方も有りかなと思った。

卍文がメソポタミアにあるからといって、ギリシアの卍文がメソポタミアからきたものだとは限らないだろう。しかし、現在単独の卍文としては、この前4000年頃の土器に描かれたものが最も古いということになる。

             →卍文・卍繋文はどのように日本に伝わったのだろう

関連項目
卍繋文の最古はアナトリアの青銅器時代
ギリシア雷文
メアンダー文を遡る
卍繋文の最古は?
亀甲繋文と七宝繋文の最古はインダス文明?

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」2006年 朝日新聞社、東映
「世界四大文明 インダス文明展図録」 2000年 NHK
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK
「ギリシアローマ美術」 蜷川明 1996年 京都ギリシアローマ美術館
「アフガニスタン 悠久の歴史展図録」 2002年 NHK 東京藝術大学