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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/07/25

卍繋文の最古はアナトリアの青銅器時代



卍繋文の最古のものを探していた前回は、前525年のアテネ、アクロポリスのコレー像よりも古い卍繋文を見付けることができなかった。

アクロポリスのコレー682 盛期アルカイック時代、前525年 高さ1.82m アテネ、アクロポリス美術館蔵
ギリシアで最古期の卍繋文は、卍と正方形の空間あるいは中に模様のある正方形とが交互に配されながら、卍の4本の腕?が別の卍と繋がっている。その正方形の文様を勝手にサイコロ文と呼んでいる。
ヒマティオン(上着)の衣端には小さなサイコロ文4つで一組の文様になっていたようで、左腕には、点描で表されたサイコロ文のある黒枠が並んでいるように見える。
キトンは(内側の長衣)、サイコロ文と卍を交互に配した二段の卍繋文となっている。


ところが、獅子座を探していて、アナトリア(この時代にトルコという地名を使うのはいかがなものか)の青銅器時代のスタンダードに、卍繋文を見付けてしまった。

儀式用スタンダード 青銅器時代前期、前3千年紀後半 アラジャフユック出土 高さ34㎝ 青銅製 アナトリア文明博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アラジャ・ホユックの副葬品のなかで出色なのは、なんといっても「スタンダード」と呼ばれる青銅製品であろう。これらはいずれも基部に柄に差し込めるような形の茎が作り出されており、柄に差し込んで用いられた祭器であったと考えられるという。
正方形を斜めにしたスタンダードは、頂点と左右の角に単独の卍文が矩形に入った形で取りつけられている。単独の卍はすでに前4000年頃にメソポタミアの土器に見られ、前2400年頃にはインダスでも印章に用いられている。
そして、ギリシアの卍繋文のようにサイコロ文を間に入れることもなく、矩形の中に一つずつ入って、4個ずつ縦横に並んでいる。しかも、卍の4本の腕?は、隣接する矩形の卍の腕?と繋がっているのである。

不思議なことだが、このように矩形の中の卍が上下左右の卍と繋がった文様は、他のところでは見付けることができないが、日本では仏像の着衣の文様にある。

多聞天像 裳部分 鎌倉時代、永仁4年(1296) 薬師寺東院堂
截金による卍繋文が縦横に整然と並んでいる。
矩形の中には、アナトリアのスタンダードよりも卍は小さいが、周囲の矩形の卍へと繋がる腕?がもう一度直角に曲がり、長い直線が矩形の線と平行して走り、隣の卍と繋がっている。

日天 平安後期、大治2年(1127) 東寺旧蔵十二天うち 
正方形の区画の中に、卍が截金による曲線で描かれている。中央から出た4本の渦巻のようでもあるが、その渦から離れたそれぞれの腕?は、さらに90度回転して、ほぼ直線となって次の区画に入り、渦巻の中へと吸い込まれていく。その回転がアナトリアのスタンダードに見られる卍繋文との違いだ。


アナトリアと日本という距離と、時代があまりに遠すぎるので、関連はないだろうが、よく似ていて面白い。

おまけ
スタンダードには大きく分けると、動物像と円盤状のものの2つの種類が見られる。動物像としてはまれに驢馬も見られるが、牡牛と牡鹿が中心となっているという。

スタンダード(牡鹿、部分) 前3千年紀後半 トルコ、アラジャ・ホユックB墓出土 青銅、銀 高52.5長26㎝ アンカラ文明博物館蔵 
同書は、アラジャ・ホユックは、背後にアナトリア有数の鉱山地帯を擁す格好の位置にあり、青銅器時代前期の層からは、豊富な副葬品の納められた墓が合計13基発見された。
本体は鋳造による青銅製であるが、この角を含めた頭部は薄い銀の板によって覆われている。胴には銀の象嵌による装飾が顕著に認められ、背中には直線が引かれ、胴の両側には二重の同心円文が7つずつ配され、頸の部分には3本からなるジグザグ文が巡らされている。さらに肩と腰の上部には、十字文が2対2組で配される
という。

銀の象嵌という技術で、動物に幾何学的な文様を施している。
スタンダード(牡鹿と牛) 前3千年紀後半 アラジャ・ホユックB墓出土 青銅 24㎝ アンカラ、アナトリア文明博物館蔵
同書は、円盤形のスタンダードにも、基部附近に牛の角がシンボライズされた形で付加されている例が多く見られるという。
こちらはX字形のある小さな丸い枠が3つ、円盤X字形のある矩形が縦横に並んでいる。
それだけではない。アラジャ・ホユックからは同時代に金冠も出土している。

冠 前3千年紀後半(前2500-2000年) トルコ、アラジャ・ホユックA墓出土 金 高5.4㎝径19.2㎝ アナトリア文明博物館蔵
同書は、透彫りは、三角形の透かしを方向をたがえて四つ組み合わせることで格子目文にX字形文(襷状)が組み合わせた形となっている。それぞれの三角形は、外側から鑿(のみ)状の工具で3回打ってくりぬくことで作り出されているため、微妙に形が異なっている。これが水平方向に4段にわたって全周する。上縁と下縁には内側からの打出しによる点文が認められるという。

上図のスタンダードと同じ幾何学文である。
卍文や卍繋文そしてX字形文といった幾何学文が青銅器時代のアナトリアですでに見られる。アナトリアの幾何学様式の時代とでも呼んで良いのでは。

     卍繋文の最古は?

関連項目
単独卍文の最古は
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
アナトリアの青銅器時代の鹿
打出し列点文も粒金細工から?


※参考文献
「archaic colors」 Dimitrios Pandermalis 2012 Acropolis Museum
「アナトリア文明博物館図録」 アンカラ、アナトリア文明博物館
「日本の美術33 密教画」 石田尚豊 1969年 至文堂
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥高 1997年 至文堂

「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館