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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/10/03

平成知新館2・蓮華座12・来迎図1 興福院本阿弥陀聖衆来迎図



時代は下がるが、興福院(こんぶいん)本聖衆来迎図は一番のお気に入りの仏画である。

阿弥陀聖衆来迎図 鎌倉時代前期(1185-1256)  絹本著色 掛幅装 137X82.4㎝ 奈良興福院蔵 重文
実際には、背景も彩色ももっと淡い。

学生時代、この来迎図が京博の平常陳列になかったので、奈良の佐保路にある興福院まで見に出掛けたことがあった。奈良駅からレンタサイクルで足を運んだその小さな尼寺は、当時は拝観も行われておらず、尼さんが門まで出てきて、「京都国立博物館に寄託してますねん」とあっさり。
浄土教美術の展覧会があまり開催されないため、また、1年に一度は平常陳列で展観されていただろうが、その時期に京博に行くことができなかったため、長い間見る機会がなかった。今度展示されたら絶対見に行くぞと、ホームページで調べると、平常陳列の建物である新館が建て替えられることがわかった。
だから、今回、名品ギャラリーとして新しく建てられた平成知新館のオープン記念展「京へのいざない」でこの来迎図が展示されることを心より願っていたのだが、その願いが叶って、第1期(~10月13日)に展観されることとなった。

平成知新館2階西端2F-2が仏画に当てられている。まず目に付くのは、西壁の半分くらいを占めている、華やかな色彩の釈迦金棺出現図。興福院本はどこかと探すと、くっきりとして目立つ早来迎の右側、南壁の山越阿弥陀図の左側に、控えめに掛かっていた。音声ガイドにもないため、足を止めて鑑賞する人は少なかった。
早来迎と山越阿弥陀図については後日

説明文は、12世紀後半に流行した来迎図の型を写したものと見られる。赤・青・緑を基調とするが、白味を帯びたパステルカラーとして広く用いており、その清新な色感から、鎌倉時代ごく初期の作と見られるという。

『日本の美術273来迎図』は、『観無量寿経』の来迎に関する表現の2、3を見ると、例えば上品中生段においては阿弥陀仏、観音、勢至、無量の大衆が来たりて迎接すとあり、しかも一念の頃(あいだ)のごとくにかの国の七宝池中に生まれると説く。また上品下生では阿弥陀仏、観音、勢至は諸眷属とともに来たりてこの人を迎うとあり、世尊の後に随って七宝池中に往生すると説くがごとくである。
源信によって唱導された阿弥陀来迎図がどのようなものであったかは明らかではないが、伝統的な九品往生図が背景に自然景や屋舎を構えて斜めに下降する来迎を表してきたことは、これを本歌とする斜め下降の来迎図が早くあった可能性を推考させる。事実このような斜め来迎図は正面来迎図に伍して平安時代の末ごろから現われ、鎌倉時代には来迎図の主流に躍り出るにいたった。
坐像系の斜め来迎図は鎌倉前期の制作になる奈良・興福院の阿弥陀聖衆来迎図において完成の域に達したといえる。本図には往生者の屋舎はないが、これを想定するように先駆の観音(蓮台をとる)、勢至(合掌)の二菩薩が右下辺に達し、これに来迎印阿弥陀仏と17体の供養・奏楽の菩薩が続き、ほぼ斜め向きに下降する形式をとる。背景には水辺を彩る秋景が添えられ、数体の化仏と散華が点在する美しい画面を作り上げているという。
ここでは鎌倉時代前期の作とされている。知恩院本の早来迎ほどのスピード感はないが、鎌倉時代らしく、来迎する速さを、先が尖り長く尾を引く来迎雲で表しているが、何よりも素晴らしいのは、風を受けて後方に流れる蓮弁の動きである。
しかも、阿弥陀三尊を初め、諸尊の乗る蓮台は、それぞれ、異なった色彩の蓮弁で表し、平安仏画の彩色の美しさが残っている。
この2つの時代の素晴らしさを併せ持つこの来迎図が重文に留まっているのは、保存の状態が良くないからだろうと思っていた。
『日本絵画館4鎌倉』は、各尊の肉身は鉄線描の朱線でくくられ、朱のぼかしが施され、衣は色々の地に華麗な円花文や七宝つなぎがみられ、蓮華座なども種々の色にかき分けられ、総じて色調は温雅で藤原時代の流れを継承しているが、切金は中尊や諸仏の放射光にのみ用いられているにすぎないという。
蓮弁の彩色や動きが素晴らしい仏画であるが、葉脈はそれぞれの蓮弁の色で描かれて、截金は用いられていない。
阿弥陀仏の金箔で表された白毫から2本の光線、頭部から7方向へ3本の放射光が共に截金で、蓮華座に坐す化仏も同じ数の截金の放射光を伴い、共に厳密にはその中心点を定めずに光が出ているのも、平安仏画の名残だろう。
身光と頭光は一番外側だけが截金で表される。

観音菩薩
『日本の美術273来迎図』の九品往生の諸相という表によると、上品上生から上品下生までは、阿弥陀・観音・勢至が諸眷属を率いて来迎する。違いは観音の持つ蓮台で、上生は金剛台、中生は紫金台、下生は金蓮華という。
金剛とは最も硬い金属、紫金とは紫色を帯びた最高の純金というが、興福院本では観音が両手で差し出す蓮台はその内どれに当たるのだろう。
観音の両足が露わで、左足を立て、すでに立ち上がろうとする動きを捉えている。
風に翻る天衣は軽やかで、前述したように、降下する空気抵抗で蓮華座の蓮弁は、前側が押され、後方は流される様子を、優雅に表現している。更に、往生者の乗る蓮台も、後ろ側に靡いて、右腕の外側に描かれている。これでは硬い金属の蓮台にはならないのでは。
これくらい拡大すると、蓮弁の葉脈がはっきりする。截金による葉脈の表現も、白描画の墨線による葉脈も素晴らしいが、彩色による蓮弁の表現には別の華やかさがある。

勢至菩薩
上の拡大図が濃くなってしまったが、本来は勢至の坐す蓮華座の方が、観音のものよりも赤みが強い。
勢至も早く往生者の元に駆けつけようと、正座の姿勢から足を立て、立ち上がろうとしている。

諸菩薩、あるいは聖衆
各々楽器を持ち、音楽を奏でながら来迎する図もあるが、ここではそれぞれ蓮華座に結跏扶坐し、合掌している。一番下の蓮華座は、この画像では阿弥陀のものよりも青いが、実物では同じ色に見えた。

残念だったのは、視力2.0あった若い頃は、それぞれの坐す蓮台の蓮弁の葉脈が見えたのに、還暦を目前にした今回は、観音菩薩の蓮華座だけは葉脈を確認できたが、どう目を凝らしてもその他の蓮華座の葉脈は見えず、単眼鏡を使うと見える範囲が狭まる分だけ暗くなり、あまりよくは見えず、勢至や阿弥陀仏の蓮華座は、前側の蓮弁にかろうじて葉脈が描かれていそうと思う程度だった
次に私がこの来迎図を見る頃には、目はますます老いて、今回よりも良くは見えないだろうな。
ともあれ、この時に見たこの来迎図を脳裡に焼きつけておこう。死ぬ時には、この来迎図と、アヤソフィア後陣のマリアを傍に置きたい(本物でなくても良いのだが)とかねがね思っているので(亭主は変わった信仰やなと呆れている)、死に際して、その記憶にある図を思い出すことにしよう。

京博平成知新館1 ザ・ミューゼスの庭に馬町の十三重石塔
                       →平成知新館3・蓮華座13・来迎図2 斜め来迎図

関連項目
来迎図4 正面向来迎図
平成知新館4・来迎図3 山越阿弥陀図(やまごしあみだず)
観無量寿経変と九品来迎図
當麻曼荼羅3 九品来迎図
現存最古の仏画の截金は平等院鳳凰堂扉絵九品往生図
ボストン美術館展1 馬頭観音菩薩像
雷文繋ぎ文
平成知新館5 南宋時代の水墨画

※参考文献
「日本の美術273 来迎図」 濱田隆 1989年 至文堂
「絵は語る 高野山阿弥陀聖衆来迎図 夢見る力」 須藤弘敏 1994年 平凡社
「日本絵画館4 鎌倉」 奥平英雄他編 1970年 講談社
「太陽仏像仏画シリーズⅠ 奈良」 1978年 平凡社