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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/11/28

第66回正倉院展4 鳥毛立女の体型



今回出陳された鳥毛立女屏風4点のうち、第二扇だけが立ち姿だった。頬はふっくらとして、かなりふくよかな体型である。
『第66回正倉院展目録』は、第五扇の下貼には天平勝宝4年(752)付文書の反故紙が用いられており、これにより本品が天平勝宝4年以降、『国家珍宝帳』に記載される天平勝宝8歳(756)までの4年間に製作されたことが決定的となったという。
ブドウの房のような衣裳だが、他の立女たちは襞のある裙(スカート)を着けている。
その房に紛れているが、蓮華のような沓の先が裙の裾から出ている。
第五扇
第5線に限らず、立女、坐女共に縦の線がたくさんある衣裳を着けている。それは裙(スカート)で、しかも襞が等間隔に一周する車襞のようだ。上衣は短く、長い紐を結んでいる。
屏風に登場する女性はみな、蓮華というか花弁が3つ、山の字形になったような先の沓をはいている。

同書は、その豊麗な容姿は盛唐墓から出土する女子俑を想起させ、唐代に流行した美人像を踏襲するものと考えられているという。

紅陶加彩女子 唐(8世紀) 高49.2㎝ 京都国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、加彩の女子俑は、漢時代以来、創り続けられてきたが、その形は時代とともに変化を遂げている。初唐のころの女子俑は、六朝のものに似て、生硬で佇立する形姿のものが好まれていたが、盛唐になるとその造形はより写実性を増して生気に満ちたものとなってくる。なかでも優雅な趣をもつ豊頰の婦人の像は、人々の注目するところとなっている。盛唐期には豊かな肉付きの女性が美しいとされ、こうした風潮は玄宗期(712-756)にその頂点に達した。このころの女子俑もおしなべて比較的豊満な姿に作られる。これはいわゆる「樹下美人にみられる容姿であり、盛唐時代の人々が代表的な美女として心に抱いた姿なのである。
豊かな身体にゆったりとした上衣と長裙(スカート)をつけ、肩に長巾をかけ、両腕に愛玩の子犬を抱いている。端正かつ秀美な顔だちで、豊かな形姿、流れるような衣文のようすなど全体にていねいな作りの俑で、熟練の技は芸術的な魅力にあふれ、唐時代の仕女の姿をまざまざと今日まで伝えているという。
非常に豊満な体型である。
髪は鳥毛立女と異なり、上に結っている。裙は箱襞のようだが、裾は狭まっている。犬のために上衣がどうなっているかわかりにくい。背中に横線が刻まれているので、立女と同じような短いものを着けていたのだろう。首にスカーフを巻いていたらしく、その両端が少し立体的に表されている。
沓は先が上がっているだけの単純な形である。

美女図 唐(8世紀) 縦83.5㎝ 絹本着色 トゥルファン市アスターナ187号墓出土
『シルクロード絹と黄金の道展図録』は、結い上げた髪が、肩越しに長く伸び、薄緑色のブラウスに花文付きのスカートを履いているという。
六曲屏風ではなく、かなり幅広の折りのない屏風仕立ての面に、一人か二人の女性像が描かれたものが複数枚同墓より出土した。
頬の膨らみは鳥毛立女に似ている。剥落箇所が多いが、おそらく体型も鳥毛立女に近いのでは。
髪を後方にまとめるのは鳥毛立女と共通する。
中央の幅のある部分の両側から左右に襞があって、前箱襞と現在では呼ばれるタイプらしい。オーガンジーのように透けるスカーフを複雑に巻きつけている。
先が非常に尖った沓の裏だけが残っている。

仕女図 盛唐、開元天宝年間(713-756) 陝西省長安県韋家墓西壁
『世界美術大全集東洋編四隋・唐』は、ひとりの婦人が持者を連れ、庭園や郊外でのどかに遊んでいる。婦人は拋家髻(ほうかけい、両側の髪で顔を包み込んだもの)をし、短衣をつけ、長裙をはき、悠然とした表情は、盛唐の華やかさと豊かさを表しているという。
立ち姿の女性は、顔はふっくらしているが、鳥毛立女よりも細身で、鮮于庭誨墓出土の女子俑(下図)に似ている。
幅広の襞で、前中央が歩く度に翻るようだが、沓は見えない。

女子俑 唐、開元11年(723) 高45.3㎝ 陝西省西安市鮮于庭誨墓出土 中国国家博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、気品があり、生動感のある、表情豊かな女性俑は類を見ないものである。唐三彩は洛陽周辺でも多数出土するが、8世紀になってからは長安周辺での出土品が中心となっていく。8世紀の唐三彩の特色は動きのある表情にあるという。
頬はふっくらとしているが、体は細身である。盛唐初期の好みはこのような女性だったのだろう。
首に表された何本もの皴が写実的過ぎるのでは。
髪型は鳥毛立女に似ている。縦縞のスカーフは前から後方に巻いている。沓は極端に尖って、立女の花のようなものと似ていない。
広幅の裙は胸の上まである。箱襞を思わせる線が2本ずつある。
素晴らしい出来上がりの俑なのに、上衣の二の腕の部分だけが筒状に張っていて、続く袖部分とは不自然な感じがする。しかし、実際にこのような袖だったのだろう。

舞楽美人図 初唐(618-712) 絹本着色 縦51.5㎝ アスターナ230号墓出土
同書は、濃紫色の綾による枠で区切られた長方形の区画計6扇に舞妓2人と楽妓4人が描かれていた。左手から体を覆っていたショールと右手部分の絵絹の欠失を除けば、大変保存状態のよい舞妓である。高く髻を結い上げ、額には鮮やかな赤い飾り(花鈿)を描き、両頬を中心に広く頬紅を塗っている。赤・青・緑・黄の宝相唐草文を配した短めのベストを、裾をひくほど長い赤のスカートの上から身につけている。青の地に文様を綴織で織りだした左足の靴は、つま先部分が高く反り返っている。初唐期の細身の女性像を代表する作品である。
アスターナ230号墓出土の張礼臣の墓誌によると、礼臣は武周(高宗の皇后則天武后が称した国号で、690-705年)の長安2年(702)に死亡し、翌年に埋葬されたという。
墓室画ではなく、生前死者が日常使っていた屏風が副葬されたもの。
幅広の襞のない部分がやや左に偏った前箱襞の裙を着けている。初唐期は上衣の上から半臂を着けていたのかな。
顔はふっくらとして、首に皴?たるみ?があるが、体は細い。
沓は長く伸びて、その上に先端が尖っている。歩く時に長い裙を踏まない工夫だろうか。

侍女図壁画 唐、神龍2年(706) 高119㎝ 陝西省乾県章懐太子墓甬道東壁出土 陝西歴史博物館蔵
同書は、この壁画墓の被葬者である李賢は、高宗と則天武后の次子であるが、則天武后を批判したため31歳で自殺させられた。被葬者の高い身分に相応しく、墓内は豪華な壁画で飾られ、墓道から墓室に至るまで、出行、客使、儀仗隊、侍者、女官たちが壁一面に描かれている。筒袖の襦に長裙(スカート)をはき、披帛(ショール)を肩から掛けた服装をしているという。
襞は少ないが、複雑な箱襞仕立ての裙と、幅広の披帛を着けた侍女は細身である。頬もふっくらとしていない。披帛はやはり後ろから肩に回している。
沓は少し見えているが、形がわかるほどではない。

女子俑 唐時代(7世紀) アスターナ206号墓(張雄夫婦の墓)出土
『シルクロード絹と黄金の道展図録』は、墓誌によれば、高昌国最後の王・麴文泰の従兄弟にあたり、延寿10年(633)、50歳で死去した。また、その夫人は、張雄の死後、およそ半世紀後の垂拱4年(688)に死去し、翌年張雄と同じ墓に追葬された。
この俑は、頭部が粗造、体部が木製、腕が紙製になる。筒袖の襦の上に錦の袖なしの半臂をまとい、裳を着けて綴の帯をしめる。半臂には、連珠や双鳥など、西方的な文様があしらわれている。裳は、黄と赤の帯状の絹を縫い合わせて縞模様に仕立てるという手の込んだもので、高松塚古墳壁画などに描かれたこの種の服装の実態を示唆している。裳の上には透けるほど薄い裳を重ね着し、肩から腕にかけて、花文が散らされたショールをはおるという。
頬は多少ふっくらしているが、やはり細身で、贅沢な連珠文錦の半臂をつけている。髪は上げて双に結っている。
ショールは章懐太子墓出土の侍女図のものに似ている。
俑なので簡単に裙を作っただけで、本来の裙は襞(プリーツ)があったのではないだろうか。
沓は見えない。

女子群像  高松塚古墳西壁 藤原京期(694-710)に築造された終末期古墳

『日本の美術204飛鳥・奈良絵画』は、思い思いの姿でゆったりと歩む4人の女を描き、東壁の女子群像と対置する。うち二人は円翳と如意を取る。色違いの縦縞文様の裳をひき、さらに衣や帯も各々色を換えるなど構図と配色に工夫が見られる。なお用いられた顔料についてはほぼ法隆寺金堂壁画に用いられた色数とその成分が一致しており、また質の高いものと認められる。
部分によっては塗り重ね、隈取りを行い、最後に描起こしによって仕上げられるなど、絵画技法としては本格的なもので、装飾古墳の原始的な壁画とは本質的に異なっている。法隆寺金堂壁画とも共通する技法で、仏教美術に伴って大陸から日本に伝播し、すでに定着しつつあったことを物語るという。
縦縞の裙を着けた女性も登場する。裙の裾にはいずれもレースのような布が見えている。右の女性の裾が一箇所、緑色?の部分だけ膨らんでいるのは、襞があるからではないだろうか。
それにしても、長い上衣である。中国の女性像には見られない。ひょっとして、これが日本にもともとあった衣裳で、その下に新来の裙を合わせているのかも。その長い上衣に隠れて体型はわからないが、頬はふっくらしている。
沓は見えない。

女侍図 唐、神龍2年(706) 陝西省乾県乾陵陪葬墓、永泰公主墓前室東壁南側 西安市陝西歴史博物館蔵
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、体軀はやや細身で、頭の髪型も颯爽として軽やかで、当時の粋な宮廷の女性たちの服飾の流行のさまが読み取れるという。
顔は丸いがふっくらしているほどでもない。体もかなり細身である。
非常に反った沓の先が3つに分かれている。アスターナ230号墓出土の舞楽美人図の沓と同じタイプのものだ。鳥毛立女たちの履く花の蕾のような沓に一番近いかも。

日本でも、中国の流行を採り入れて、時代とともに美人とされる体型が変わっていったのか、絵画を新来のものに似せて描いただけなのか、よくはわからないが、高松塚古墳の女性像よりも、鳥毛立女の方がふくよかではある。


   第66回正倉院展3 鳥毛立女屏風には坐像もある

関連項目
第66回正倉院展2 奈良時代の経巻に山岳図
第66回正倉院展1 正倉を見に行く

※参考文献
「第66回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2014年 仏教美術協会
「世界美術大全集東洋編4 隋・唐」 1997年 小学館
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寛・出川哲朗監修 2005年 大広
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「日本の美術204 飛鳥・奈良絵画」 百橋明穗編 1983年 至文堂