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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/09/22

法隆寺献納宝物の中に木造の仏像


昔々、東京国立博物館に法隆寺宝物館はあったが、水曜だけしか開館していなくて、はるばる東京に行っても見ることができなかった。その次は水曜に合わせて行ったので、見学できたが、もう遠い記憶の向こうにある。
そのずっと後に法隆寺宝物館が谷口吉生氏の設計で生まれ変わったので、機会があれば行ってみたいと思いつつ、その機を逸してきた。
今回やっと東博に行くことができたのだが、新たに建てられた宝物館は、あいにく補修中で休館していた。

本館の平常陳列では、1体の木製の小さな仏像があった。とても良い表情の如来立像だったが、説明を見て驚いた。これが法隆寺献納宝物とは。法隆寺献納宝物の仏像はみな金銅製だと思っていたからだが、今まで見てきた小金銅仏とはかなり趣きの異なる像だった。

N193 如来立像 飛鳥時代白鳳期、7世紀後半 木造漆箔 像高52.6㎝
『法隆寺宝物館』は、法隆寺献納宝物のなかでただ1つの木彫像。頭から台座まで1本のクスノキから作られている。飛鳥・白鳳文化期の木彫像のほとんどはクスノキから作られている。この像は7世紀後半の白鳳文化期の作という。
法隆寺献納宝物の金銅仏と比べると、50㎝を超える像というのは大きい方だ。
なんとなく猫背気味で、仏像には珍しくやや上を向いている。そして、顔に比べて小さな手は、左右逆に施無畏与印になっている。
大衣は両肩左右対称に襞を作り、右手側は胴部で結んだ2本の紐の下に、左手側は右袖の方向へ、それぞれ別の形に衣文線を描く襞が表される。衣文線とはいうものの、両側が盛り上がってその稜を刻線で表すのも珍しいのでは。どこかで見たこともあるような気がするのだが・・・
また、直立不動の姿で表されるのが普通のこの時期の立像だが、本像は右脚の膝がやや出ている。
ピンボケだが、側面から見ると猫背でもないことくらいはわかる。猫背気味に見えたのは、胸部に張りがないからだろう。
右膝が出ているために、腹部からの出っ張りが下の方まで続いているように見える。
同書は、木製の光背やそれを取りつけるための鉄製の支柱も当初のものであるという。
右側面の方はどのようになっているのかよく分からなかったが、大衣の端が左肩にかかり、柔らかなギザギザの衣端線で終わっている。
その下の大衣は、背中の中心から右脇の1点へと襞が寄っていくが、下半身では、その襞と交互になって左腕にかかった大衣の襞が、放物線を描くように、4本出ている。
このように背後の衣文まで克明に表した仏像に出会うと、その像がどのようなところに置かれ、礼拝されていたのだろうと気になってしまう。

この表情がとても良かった。そう感じたのは、仏像には珍しく、上を向き、黒目が見えるからかも知れない。
頭光の蓮弁も1枚1枚が幅広にゆったりとつくり出され、その間に表された覗花弁も花びらとわかる表現となっている。
細長い巻き貝のような螺髪は、一つ一つ取りつけたものが幾つか残っている。
後方から眺めると巻いた表現が分かり易い。

『法隆寺宝物館』には館内の写真が掲載され、それぞれの小金銅仏の名称と位置も図解されていて分かり易い。
いつの日にか、このような空間の中で、静かで豊かな時を過ごしてみたいものだ。
ところで、この木彫の如来立像はこの展示室に展観されるのかな。『法隆寺宝物館』では金銅仏のところに記事があるし。

                      →法隆寺献納宝物 如来立像の着衣さまざま

※参考文献
「法隆寺宝物館」 1999年 東京国立博物館