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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/10/13

サーマーン廟1 入口周りが後の墓廟やメドレセのファサードに


『イスラーム建築の見かた』で深見奈緒子氏は、ゾロアスター教のチャハール・ターク(拝火神殿)を写し取ったような形である。四つのアーチを意味するチャハール・タークとは、聖なる火を祀る拝火壇で、四角い部屋の四方にアーチを開口させ、その上にドームを戴く。
サーマーン王朝時代の文化、つまりペルシアの伝統文化とアラブ・イスラムの文化、それからソグド地方の固有文化の特色をよく具現した貴重な建築物であることはいうまでもないという。
入口は東側だが、ほぼどの面も同じような構成となっているのは、ゾロアスター教の神殿を模していたからだった。

『中央アジアの傑作ブハラ』は、廟の装飾は古代のソグド建築の伝統を使用している。八面体の角の古風な円柱、軒と尖頭アーチギャラリーに沿った真珠のチェーン。アラブ人がブハラに侵入した時、モスクに変えられた月の寺院及び日の寺院を除いて、すべてのゾロアスター教の寺院が破壊された。そして、月の寺院が現在のマゴキ・アッタリ・モスクに、日の寺院は現在のサマニー族の廟になったという。
浅い尖頭アーチのイーワーンに付け柱のある扉口周りは、その上方の2つの三角を繋いだような壁面となり、イーワーンの中にもう一つ尖頭アーチと付け柱を配して開口部となっている。
タンパンには、枠内いっぱいに四弁花文あるいは十字形を置いた七宝繋文がある。

その上部の壁面には2つの正方形の文様があって、サマルカンドで見てきた廟やメドレセの門構えのイーワーンに一対の丸や花形の装飾を配するのに似ていることに気がついた。
ひょっとすると、サーマーン廟の小さなファサードから、あのようなタイル張りの壮大な門構えになっていったのではないだろうか。

それをシャーヒ・ズィンダ廟群で現存する中で最も古いホジャ・アフマド廟から見ていくと、

ホジャ・アフマド廟 14世紀半ば
門構えの左右に付け柱、イーワーンのアーチ下にも付け柱がある。
アーチ上の壁面には丸い装飾がある。
何故門構えという表現をするかというと、四つの壁面が同じ装飾だったサーマーン廟とは異なって、入口の壁面だけにタイル装飾があり、その壁面がドームを隠すくらい高く立派な構えに作られているからだ。
それは、平たい焼成レンガを積み重ねるのと、タイルに施釉して焼成し、それを貼り付けていくという手間がかかり、また費用もかさむ、そしてそれだけの工人を集めたり、育成したりしなくてはならないため、仕方のないことだったのかも知れない。

クトゥルグ・アガ廟 1360-61年
細いながら門構えの両端に付け柱、イーワーンの尖頭アーチ下にも付け柱、上部壁面には一対の丸い装飾。

これらに続いて建てられた廟にもほとんどが付け柱や丸い装飾がある。シャーヒ・ズィンダ廟群では最後の頃に建てられた廟を見ると、

トマン・アガ廟 1405-06年
門構え両端に付け柱はないが、イーワーンの尖頭アーチ下には付け柱、上部壁面には一対の丸い装飾がある。
そして他の壁面は、バンナーイという、焼成レンガと施釉タイルを組み合わせて文様をつくっている。

グル・エミール廟 1404-05年
かなり修復が入っているので、本来の形かどうかわからないが、門両端に付け柱はなく、イーワーンの尖頭アーチ下には付け柱がある。そして、上部壁面には一対の丸い装飾がある。

ティームール朝の建築の中でも、この壁面上部の一対の装飾文様は何を表しているのか、よくわからなかった。

サーマーン廟の正方形の文様について『中央アジアの傑作ブハラ』は、廟の秘密の鍵はアーチの角の「ダイナミックな正方形」のサインであるかもしれない。それは建築構造のレイアウトを反映する。それには、いくつかの正方形とセンターに円がある。円はドームを意味する。1番目と3番目の正方形は廟、2番目の正方形は入り口の位置を表す。40の「真珠」のサインが40のトップアーチに対応している。よく理解できるシンボル、正方形は地球、円は空、羽は天使を意味し、サマニー族の廟のサインをゾロアスター教、仏教、およびイスラム教に普遍的なコスモグラムとして解釈させるという。
ということは、各開口部の上方に、一対の廟の平面図を装飾に置いたことになる。
「天使の羽」と表現されたものは、半パルメットを左右反転させて合わせたようにも見える。
これについて『シルクロード建築考』は、外部四面の四角い文様は、敦煌莫高窟の249窟や259窟にある仏龕の天井彩画と同系である。しかも、それが木造隆穹天井のあり方を意識した作画であったのに相違ない。この霊廟の四角い文様も、あえていえば、まるでこの墓廟のプランそのものではないかという。
こちらの方もサーマーン廟のプランだとするが、一般にドイツ語のラテルネンデッケと呼ばれ、中国では斗四藻井という天井だとする。
ラテルネンデッケは敦煌莫高窟最古の石窟の一つとされる268窟(北涼)の天井にも同様の文様が表されている。
そう言えば、ラテルネンデッケの天井は、このように正方形を回転させながらというか、四方の上に三角形の板を置いていくという方法で、少しずつ高くして中央に丸い明かり取りの穴をあけるというもので、そのような天井の家屋が現在でも中央アジアにあるというが、ウズベキスタンの民家は大抵がトタン葺きの切妻や入母屋だった。そうだ、中央アジアでこんな天井を見たいと思っていたのに、すっかり忘れていた。
どちらにしろ、墓廟の平面が装飾モティーフになっているとは不思議。

また、サーマーン廟の四面の開口部上部には、このような四角い装飾が一対あるが、内部の正方形から八角形への移行部の8つのアーチの上部にも、それぞれ一対の丸い装飾がある。
この一対の丸い装飾は何だろう?

                       →サーマーン廟2 建築の起源は?

関連項目
サーマーン廟3 浮彫タイルの起源?
サーマーン廟4 平たい焼成レンガを重ねた文様
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟2 内部も美しい
ブハラのサーマーン廟
法隆寺金堂天蓋から2 莫高窟の窟頂を探したら

参考文献
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版