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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/11/17

三曲法の菩薩の起源は


薬師寺の日光・月光菩薩立像は三曲法を採り入れた仏像である。

月光菩薩立像 白鳳時代、7-8世紀 像高315.3㎝ 銅造鍍金 薬師寺金堂
『白鳳展図録』は、薬師寺金堂本尊薬師三尊像の右脇侍である本像は、日本彫刻史上の傑作として名高い。腰をひねって立つバランスのとれた姿勢と、均整のとれたプロポーション、胸や腹に自然な括れを表し、背面にまで配慮の行き届いた、写実性と崇高さを備えた造形は、他の金銅仏と一線を画している。という。
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体型の全く異なる鶴林寺の観音菩薩立像もまた、三曲法を採り入れていた。

観音菩薩立像 白鳳時代、7世紀 像高82.4㎝ 銅造鍍金 兵庫鶴林寺蔵
同書は、腰を右にひねったしなやかなポーズが魅力的だが、左足先を外に開くなどを考慮すれば、独尊像ではなく三尊像の左脇侍であった可能性についても検討すべきだろうという。

三曲法といえば、敦煌莫高窟では、盛唐・開元年間(713-741年)の第45窟の菩薩立像が有名。
上の2体の菩薩立像と比べると、首の傾け方が顕著。

東京国立博物館の東洋館で展示されていた初唐期(618-712)の三尊像にも見られる。

如来三尊像仏龕 唐時代、8世紀初頭 石灰岩 西安宝慶寺伝来 東京国立博物館蔵
『白鳳展図録』が、薬師寺聖観音菩薩立像の解説で、則天武后が長安3年(703)に制作させた中国・西安宝慶寺伝来の石彫群(もと光宅寺七宝台安置)とする仏龕群の一つ。
三尊ともに顔から胸までは肉づきはよいが、腰や脚はまだほっそりとしていて、鶴林寺像と月光菩薩像の中間のような作品。
頭部の振りが両像よりもはっきりしているが、敦煌莫高窟45屈の菩薩像ほどではない。

大唐三蔵聖教序碑七尊像部分 永徽4年(653) 西安大雁塔
『中国の仏教美術』は、本碑は大雁塔南面最下層の左龕内にある。その七尊像は小さいが、隣の「同序記碑むの浮彫と共に貴重である。頭部はやや大きいものの、動きのある自由な肢体表現が注目に値する。如来も菩薩もかなり薄い大衣と裙(下半身の裳)をつけ、布を通して体の輪郭線がくっきりと見える。特に驚くのは、腰を強くひねった左右脇侍菩薩立像の両胸、腹、太腿の膨らみがあらわな点である。5世紀の涼州様式、北斉の一部の彫刻に続いて、中国の仏教美術に再び肉感的な表現があらわれたという。
宝慶寺の三尊像より50年ほど以前に造られた七尊像の両菩薩立像も三曲法が採られている。

また、初唐期618-712年)の敦煌莫高窟第57窟の菩薩立像(壁画)も、わずかながら三曲法により、動きのある表現となっている。

敦煌莫高窟第275窟では、菩薩交脚像の背後壁に描かれた両脇侍立像は、北涼時代(397-439年)すでに三曲法で描かれている。

また、三国時代新羅の菩薩立像にも三曲法は見られる。

軍威三尊石窟 新羅、7世紀中葉 慶尚北道軍威郡
『世界美術大全集10高句麗・百済・新羅・高麗』は、高句麗と百済の王室では、372年と384年に仏教が伝来し、新羅の王室は528年に仏教を公認したと記録にあることから、新羅の仏教受容は遅れたとみる傾向が一般的である。  
大 まかにいえば、三国で本格的な仏教寺院が造営されるのは、6世紀に入ってからと見てよかろう。三国においては、中国の北魏様式、東魏様式、北斉様式、隋様 式を継続的に受容しており、三国の仏像様式の変化は中国の様式変化とほぼ並行している。しかし、民族性と風土性により、独特の様式を確立してもいるという。
腰の振り方は微妙だが、脚が薄い着衣に密着して表されるなど、やはり中国の影響を受けている。

インドではどうだろうか。

菩薩立像 グプタ朝、6世紀 高63.5幅28厚さ13㎝ 砂岩 サールナート出土 ニューデリー国立博物館蔵
『インド・マトゥラー展図録』は、観音像は頭髪を結い(いわゆる髪髻冠)、左肩から聖紐と称される紐を垂らし、首飾りをつけ、下半身にドーティーをまとう姿で、インド特有の身体表現である三曲法(トリバンガ)に忠実な、腰を右につきだしたポーズがすこぶる優雅な印象を与えるという。
三曲法はインド特有だった。

仏立像 グプタ朝、5世紀 高127幅54奥行23㎝ 砂岩 サールナート出土 ニューデリー国立博物館蔵
同書は、通肩にまとった大衣には、まったく衣文が彫出されず、その下の肉体に貼りつくように表現されており、同じグプタ時代のマトゥラー仏とは異なる、サールナート様式を示している。体は正面を向いているが、右足を遊脚として体を軽くひねって、動きを感じさせる。また細かい襞をたたんで体前に垂下する大衣の形も、U字形から逆台形へと変化しているという。
体の捻り方は少ないものの、三曲法で表現されている。

三尊像 3-4世紀 灰色片岩 高さ59㎝幅43㎝ ガンダーラ出土
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、右肩を脱ぐ着衣法(偏袒右肩)、説法を表す手勢(転宝輪印)、蓮華座はインドに由来する。二菩薩を両側に配した三尊形式はガンダーラに始まり、東方へ伝播したという。
両脇侍とも如来側に傾いているが、双方共に外側の脚が遊脚となり、内側の腰に重心を置いて、三曲法で表されている。

仏陀坐像 クシャーン朝、2世紀前半 高71㎝ 砂岩 北インド、カトラー出土 マトゥラー博物館蔵
『インド・マトゥラー展図録』は、初期のマトゥラー仏の典型とされる作品である。中央の仏陀は、目を見開き、厚い唇の口元を強く引き締めた明るい表情であり、胸板は厚く、肘を張って堂々結跏扶坐していて、像高わずか40㎝に過ぎないが、たくましく野性的な力強さに満ちている。
左右に立つ脇侍は、ともに右手に払子を持っていて、両脇侍に図像上の差違は認められないという。
両脇侍はやや背後にいて、踊っているかのようなポーズであるが、やはり外側の脚が遊脚になっているので、三曲法で表されているのだろう。

供養者立像 クシャーン朝、2世紀  高86幅19厚さ15㎝ 欄楯部分 砂岩 マトゥラー、コーター出土 マトゥラー博物館蔵
『インド・マトゥラー彫刻展図録』は、細長い石材に、高い帽子をかぶり、長袖の上着に帯を締め、ズボンをはいた人物が表され、その頭上にはアーチが見られる。胸前に挙げた右手でブドウの房をとり、短剣を持つ左手を腰帯にかけている。ほぼ正面向きに対し、顔はわずかに左前方を向き、体重を左足にかけて右足を遊脚としている。丸首で膝丈の上着と、ズボン、帽子の組み合わから見て、この人物は中央アジアからインドに進出し、広大な地域を支配していたクシャーン族と考えられるという。
同じ頃に、在家の信者像にも三曲法が用いられていた。

三曲法(トリバンガ)はインド起源だった。

関連項目
新羅時代の石仏には驚いた

※参考文献
「開館120年記念特別展 白鳳-花ひらく仏教美術ー展図録」 2015年 奈良国立博物館
「中国の仏教美術」 久野美樹 1999年 東信堂
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」 2000年 小学館
「中国石窟 敦煌莫高窟3」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「敦煌の美と心 シルクロード夢幻」 李最雄他 2000年 雄山閣出版社
「世界美術大全集10 高句麗・百済・新羅・高麗」 1998年 小学館
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録」 2002年 朝日新聞社
「獅子 王権と魔除けのシンボル」 荒俣宏・大村次郷 2000年 集英社