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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/04/12

伏見稲荷1 狐の銜えているもの


伏見稲荷は外国人旅行者にパワースポットとして人気があるという。
若い頃は、鳥居がびっしり並んでいるくらいにしか思わず、また、スズメの焼き鳥のお店が並んでいると聞いて敬遠していたが、BS-TBSの『高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり』という番組で、伏見稲荷のことを放送していた。
その時に、稲荷山の頂上にある岩に白い鳥に姿を変えた神が降り立ち、稲の種を落とした。その後稲が育ち、日本で稲作が行われるようになった。山そのものを拝むという、日本の古い信仰だったというような解説をしていた。
それを聞いて、一度行ってみたいなと思っていたところ、

JR京都駅10番ホーム(新幹線のすぐ北側)の奈良線から、ほぼ1時間に4本列車が運行されている。
2駅で稲荷駅。
駅舎の中で、すでに伏見稲荷気分。

上の方の売店で買い求めた絵図(大正14年に大正の広重と呼ばれた吉田初三郎筆)でもわかるように、あれ、この絵図には列車は描いてあるのに、駅舎がない。当時はなかったのかも。
とにかく、駅と大鳥居のある位置はずれている。

大鳥居をくぐる。
「観光地で2年連続日本第一位」という青い幟がやたらと目立つ。
もう一つ鳥居があって、

伏見稲荷大社という扁額の掲げられた楼門。
BS11の「古地図で謎解き」という番組で、伏見稲荷大社の始まりは711年、全国に3万以上あるお稲荷さんの総本宮。
訪れる人を迎える楼門、これを建てたのはかの豊臣秀吉、母親の病平癒を祈願し、それが叶ったので建てたといっていた。710年が平城遷都なので、京の都よりも前からあった神社なのだ。
お寺の山門なら二王が立つ場所には武者がそれぞれ座っているが、これは神社を護る随神なのだそう。
そして楼門の前には、狛犬ではなくキツネがいる。

左のキツネは鍵を銜えている。
同番組で京都感動案内社の小嶋一郎氏は、狐は神さんのお使い、メッセンジャー。
お稲荷さんは元々農耕神ですから、その神の使いであるキツネが米倉の宝鍵を持っていてもおかしくはない
というようなことを言っていた。

そして右のキツネが銜えているのは宝珠とか。宝珠は本来仏教のものではなかったかな。
小嶋氏は、宝珠には神さんの御神徳が詰まっている。教えのエッセンスが詰まっている魔法の珠(たま)であるという。

狐がくわえた鍵と珠について小嶋氏は、江戸時代には特に江戸でお稲荷さんの信仰が非常に盛んになった。このお稲荷さんのにあやかって、屋号に、「珠」あるいは「鍵」と付けたお店があった。
花火を見る時に、よく「たまや~」とか「かぎや~」とか言いますよね。そのたまや・かぎやが、実はお稲荷さんの狐がくわえている「珠」と「鍵」から来ているという説もあるという。

楼門をくぐると、

外拝殿、そして向こうに透けて本殿が。

本殿左のキツネはお稲荷さんの使いらしく稲穂を銜えている。
同番組の解説は、お稲荷さんは五穀豊穣の神様だったが、江戸時代には商売繁盛の御利益があるといわれるようになったという。
一対の狐の間の数段の広い石段を登ると本殿。
全体を写すのを忘れていた。けど、大社の絵地図に描かれているからええか。
本殿は大きな唐破風のある建物だった。2つの蟇股にもそれぞれ白い狐がいる。

本殿から反時計回り進むと神楽殿があったりして。

本殿裏には朱塗りの垣根のようなものがって、鳥居形の絵馬が掛けられている。
近寄ると思ったよりも数が多いし、立体的。白いものは裏を向いいるのかな?

本殿の左側にまた鳥居があって、長い階段が待ち受けていた。
右のキツネは大抵宝珠を銜えているが、左の方はいろいろ変わる。
ここでは巻物。どういう言われがあるのかな。

階段を登りきったところで進路が二つに分かれる。
ここで右に進路をとり、玉山稲荷社を左に見て、また鳥居をくぐる。

ついに鳥居のトンネルが。鳥居の上には黒い屋根が付いている。
どこまでも続く鳥居のトンネル。色の褪せたもの、真新しいもの、そして石製などが混在する。
振り返ると左の柱には寄進者の名前、右の柱には寄進した日付が書き込まれていた。
意外と平成が多く、古くても昭和の後半。雨ざらしなので腐りやすいのかな。

そして、いよいよ一方通行の鳥居のトンネル。

                           →伏見稲荷2 鳥居のトンネル

関連項目
伏見稲荷5 お山する2
伏見稲荷4 お山する1
伏見稲荷3 京都の街を眺める

参考にしたもの
「伏見稲荷全境内名所図繪」 吉田初三郎筆 伏見稲荷大社鳥瞰図(1925年) 稲荷山共栄会発行
BS11の「古地図で謎解き」という番組の伏見稲荷編