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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/07/08

黄金のアフガニスタン展3 最古の仏陀の姿は紀元前?


「黄金のアフガニスタン展」では数々の黄金の副葬品に混じって、小さなコインのようなものが展示されていた。

インド・メダイヨン 前1世紀第4四半期 金 径1.6㎝ 4.33g ティリヤ・テペ4号墓出土
表面  
同展図録は、右前脚をもちあげるライオンと、その前方にはナンディパダと呼ばれる仏陀のシンボル(三又の鉾を伴った円)が刻まれ、ライオンの上には、カローシュティー文字で「恐怖を滅し去ったライオン」という。
裏面
ライオンの皮をまとったとみられるヘラクレスのような男性が、8本のスポークがある車輪を前方に両手で押して歩く姿を描き、その右方に古代インド文字であるカローシュティー文字で「法輪を転じる者」または「(彼は)法輪を転じる」と解されるという。

同展図録は、法輪を押す姿の概念は、転法輪すなわち、仏陀の説法から来るものである。またライオンの吠える声は皆に法、存在の中心にある真実を気付かせるとされ、ライオンは仏教や仏陀の精神的な力のシンボルといわれる。このことから、裏面の人物は仏陀の姿を表した最古の例とする説が示された。しかしこれには異論もあり、人物は単に法輪を転じる動作を象徴するのみで仏陀ではないとする説もある。
ティリヤ・テペの数ある出土品の中で唯一仏教的な要素をもつものであり、なぜこの遊牧民の王の墓に副葬されていたのか、数々の謎を秘めているという。


法輪という言葉が記されているが、私にはこれが仏陀の姿だとは思えない。

仏陀の入滅後、その教えは広まったが、仏陀の姿は長い間表されることはなかった。仏陀が人間の姿で表されるようになったのは、クシャーン朝時代の後1世紀とされている。

エーラバトラ龍王の訪仏 インド、バールフット欄楯隅柱 シュンガ朝、前2世紀後半 コルカタ・イ
ンド博物館蔵
同書は、前世の宿縁から龍王の姿に生まれたエーラバトラは、ブッダのみが答え得るという偈を唱えつつ、五苦からの離脱を願いブッダの出現を待っていた。時にウッタラという年若の修行者から釈尊の成道を知り、鹿野苑を訪れて釈尊の法を聞いた龍王はついに悔悟し、五苦を離れ、蛇身を逃れることを得た、というのがこの物語の梗概である。
龍王の跪き合掌礼拝する対象がたんに聖樹と宝座ではなく、そこに坐すべき釈尊であるという。
仏陀は聖樹と宝座によって表されている。

ナイランジャナー河の徒渉 サーンチー第1塔東門南柱 初期アーンドラ朝、紀元前後
『図説ブッダ』は、慢心のカーシャパに対し、釈尊は徒歩で河を渉る奇蹟を演じた。水鳥の遊ぶ河中を渉る釈尊は一枚の経行石であらわされ、兄弟は舟でこれを追う。渉り終えた姿は右下に空座で示されるという。 
珍しいことに、経行石というもので表されている。そして右下隅には聖樹と宝座で示される。

三道宝階降下 1世紀 緑色片岩 36X34㎝ パキスタン、スワート、ブトカラⅠ遺跡出土 スワート考古博物館蔵
『ブッダ展図録』は、釈迦は成道後、母に法を説くために忉利天という天上世界に昇り、説法後その天からサンカーシャという地に降り立ったという。その際、釈迦は3つの階梯の中央を降り、左右に梵天(ブラフマー)と帝釈天(インドラ)を従えた。
本浮彫は階梯を斜め向きに表現し、向かって左に髷を結う梵天、右にターバン冠飾をつける帝釈天をそれぞれ合掌する姿で表す。釈迦は中央の階梯の下方に、仏足跡で象徴的に表されているという。
後1世紀後半に仏陀が人間の姿で表されるようになったという。1世紀前半という説も出ているらしいが、ここではまだ仏足跡で表されている。
梵天と帝釈天が登場するようになって、仏伝図として整ってきてはいるが、まだ人間の姿で表すことに抵抗があったのだろう。

円輪光の礼拝 1世紀 片岩 26.7X23.5㎝ パキスタン、ガンダーラ出土 大英博物館蔵
同展図録は、台座の上に鋸歯文をめぐらした円輪光を大きく表し、その左右で梵天・帝釈天が合掌して立つ。円輪光の上には樹葉が生い茂り、上方両脇では飛天が散華する。ブッダを人間として表すことなく、菩提樹・聖壇・法輪などで象徴的に表すことは初期仏教美術では行われた。近年、ガンダーラ浮彫にもブッダの象徴表現の例が知られるようになった。
この浮彫のような円輪光の例が特に目立っており、中インドには見られなかった表現である。おそらく光輝く存在としてのブッダを象徴したものと思われ、成道のブッダと関係するものであろう。ターバン冠飾や装身具をつける帝釈天(向かって右)と、頭髪を結い髭面の梵天(同左)。この浮彫もブッダを象徴的に表した「梵天勧請」の場面かも知れない。ガンダーラ初期の作品と考えられるという。

初転法輪の礼拝 1-2世紀 ガンダーラ出土 片岩 32.5X49.5㎝ 東京国立博物館蔵
同展図録は、3つの法輪を戴き、二童子が支える形の柱を台座上に表し、そこに2頭の鹿が横たわる。この法輪柱の背後には円輪光が表され、向かって左に3人の比丘、右に二比丘と一礼拝者の姿があり、みな合掌作礼する。この浮彫は、釈迦が鹿野苑で最初に5人の比丘に説法したという初転法輪(初説法)を表したものに相違ないが、ブッダは円輪光と法輪柱で暗示的に表現されている。円輪光には鋸歯文をめぐらすが、円輪は単なる円盤ではなく同心円の刻線を二重に加えているという。

金貨 クシャーン朝カニシュカ1世期(2世紀) 1スタテール 7.97g 平山郁夫コレクション
表 左手に三叉の戟を持ち、右手に拝火壇にかざす、焔肩の国王立像
  銘:諸王の王、クシャン族、カニシュカの
裏 頭光、身光のある、右手施無畏印の仏陀立像 
  銘:ブッダ
解説は『ガンダーラとシルクロード展図録』より
カニシュカ1世は仏教に帰依しながらも、ゾロアスター教もまだ信仰していたようだ。
頭光と身光に包まれた仏陀は、左手には何を持っているのだろう?金剛杵?
仏陀の表されたコインは他に知らないが、仏陀が表されるとしたら、このような立像ではないだろうか。

では、ティリヤ・テペ4号墓から出土したメダイヨンの銘にある「法輪を転じる者」とは誰なのだろう。
それは、このメダイヨンの持ち主ではないだろうか。自分の信仰の深さをメダイヨンに表したのでは。
金貨ならば在位中の王が表されるのだが、それがないのでメダイヨンとされているのだろうが、このようなものをつくることができるのは、よほど力を持った人物であったに違いない。
ただ、メダイヨンが前1世紀第4四半期、ティリヤ・テペ4号墓は後1世紀第2四半期なので、遊牧民のリーダーであったという墓主ではない。

      黄金のアフガニスタン展2 ティリヤ・テペ6号墓出土の金冠
                      →黄金のアフガニスタン展4 ヘラクレスは執金剛神に

関連項目
黄金のアフガニスタン展1 粒金のような、粒金状は粒金ではない
黄金のアフガニスタン展5 金箔とガラス容器


※参考文献
「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝展図録」 九州国立博物館・東京国立博物館・産経新聞社 2016年 産経新聞社
「ブッダ展-大いなる旅路 図録」 1998年 NHK
「図説ブッダ」 安田治樹・大村次郷 1996年 河出書房新社
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録」田辺勝美ほか 2002年 朝日新聞社