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2016/08/09

中国の古鏡展2 「山」の字形


根津美術館で開催されていた「村上コレクション受贈記念 中国の古鏡展」で、その最初に展観されていた鏡に「山」が描かれているということで、じっくり眺めたが、全くわからなかった。
そして、解説を読んで、「山」ではなく、「山字文(さんじもん)」だとわかった。実は、文様を画する無文の帯だと思っていたものが、「山」という文字だったのだ。

『中国の古鏡展図録』は、山字文鏡は前3世紀を中心に大量に製作され、中国の広い範囲で用いられた。幅広の凹面帯であらわされた山字形文は単なる漢字を表したものではなく、鉤連雷文など青銅祭器の文様モチーフの一部を転用したものであろうという。

羽状獣文地五山字文鏡 戦国時代(前3世紀) 径18.7㎝重600g
同書は、円形鈕座のまわりに山字形文様を5個配した五山字スタイルをとる。円形鈕座の外側と山字形文の間とに、太線で結ばれた小葉文を置く。五山字文鏡は、四山字文鏡に次いで多く製作された形式である。四山字文鏡に比べ大型品が多く、鋳上がりも良いという。
「山」の文字は左上から右下への傾きがあり、中央が極端に長く両側の線の3倍くらいある、非常にシャープなデザインだ。
山字文の間には、両側が葉文になったバトンのようなものが5つ配され、鈕座に近い葉文の輪郭線は各山字文に接していて、変則的ながら、後世のイスラーム文様のような10点星のよう。

羽状獣文地四山字文鏡 戦国時代(前3世紀) 径13.6㎝重170g
同書は、山字形文様を4個配した四山字文スタイルで、山字文鏡のなかでは最もポピュラーな形式の鏡である。太線で結ばれた小葉文と四弁花文とを山字形文様の隙間に組み込むタイプで、これまで長江中流域で限定的に確認されているという。
山字形は中央の線が短く、両側の線は共に内側に撥ねている。山字形が小さく、4つになったため、間には葉文と同じ形で四弁花文が入っている。
四角い鈕座の各角にも葉文があり、それを囲む斜線の帯が四弁花文とその両側の山字形へと延びている。

羽状獣文地四山字獣文方鏡 戦国時代(前3世紀) 辺長18.8㎝重1040g
同書は、方形鏡体で各辺上に4個の山字形文を配し、その間の四隅に薄肉彫で4頭の獣をあらわす。4頭のうち2頭が後ろをふりかえる鹿で、対角に同じ方向を向くように配置される。残りの2頭は虎あるいは犬のような獣である。両者で体軀文様を描き分けており、異なる種類の肉食獣をあらわしたのであろう。山字文鏡に獣像を表現する例は珍しいという。
山字形は四山字文円鏡と似ている。四弁花文の代わりに獣が表される。葉文はない。

では、山字形文様の元となった鉤連雷文とはどのような文様だったのだろう。

鉤連雷文ほう(缶+咅) 商後期(前1300-1046年) 通高27.8㎝口縁径25.3㎝重9.2㎞ 泉屋博古館蔵
『泉屋博古 中国古銅器編』は、文様は、肩部に虁文帯、胴部に鉤連雷文帯がめぐる。いずれの文様も上下に連珠帯を付けている。また圏足には目雷文帯がめぐる。これらの文様はすべて平面的な細い線で表現されていて、その隙間に細突線の渦巻文帯が充填されている。同文様のほう(缶+咅)が河南安陽殷墟、遼寧喀左などで出土しているという。
植物の蔓を幾何学的に表した線と見えなくもない。

雷文について同書は、細い線を方形螺旋状に構成した文様。細突線で地文として用いられる他に、やや太めの線で鉤形の雷文を連続させる鉤連雷文、S字形龍文の顔・胴・足などが退化した斜各雷文(三角雷文)、虁文が退化して眼だけが残り胴部と角が2本の平行線として延び、その間を雷文でうめる目雷文などがあるという。
目雷文は「ほう」の圏足にある。
これが「山」字のような独立した文様になったという。その痕跡が、長い中央の線や、内側に撥ねる線などに現れるのかも。

  中国の古鏡展1 唐時代にみごとな粒金細工の鏡
                 →中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ

関連項目
饕餮文は窃曲文に
饕餮は王だったのか
四神11 青龍・白虎・朱雀・玄武の組み合わせは前漢時代
中国の古鏡展5 秦時代の鏡の地文様は繊細
中国の古鏡展4 松皮菱風の文様(杯文)

※参考文献
「村上コレクション受贈記念 中国の古鏡展図録」 根津美術館学芸部編 2011 根津美術館
「泉屋博古 中国古銅器編」 2002年 泉屋博古館