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2016/09/20

始皇帝と大兵馬俑展5 銅車馬と壁画の馬


秦の始皇帝陵西側で出土した銅車馬は実際の馬車をほぼ半分の大きさに青銅で造ったものだった。

1号銅車馬は先導車
2号銅車馬は轀輬車

そのような4頭立ての馬車が、咸陽宮3号宮殿の壁画に描かれていたという。

壁画の簡単な模写 咸陽宮3号宮殿址出土
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、あくまで推測の域を出ないが、筆者はこの画を宮殿の主人、つまり始皇帝が特殊な馬車の行列を従えて、異形の巨木が存在する神秘の世界へと向かい、また、神秘の世界から出発した別の馬車列に出迎えられることを願って描いたものと解釈した。ここで始皇帝が出会うことを期待しているのは、神秘の世界に住む、永久不滅の存在・仙人であろう。当時の人々は仙人と出会うという奇跡によってのみ、みずからも不滅の存在になりうるものと信じていたという。
始皇帝は、仙人に出会うための準備として、この2台の銅車馬を造っていたのだろうか。
第5間の壁画は、神仙世界というよりも、豪華な宮殿の様子を描いているように思われる。

車馬図 秦(前3世紀) 陝西省咸陽市秦咸陽宮3号宮殿遺址東壁 秦都文物管理委員会蔵
『世界美術大全集東洋編2秦漢』は、第3号遺址は、壁画は廊下の東西壁に描かれていた。損傷がはなはだしかったが、車馬図、儀仗図、建築図、植物図などがあった。現在までに発見された壁画では最古のものであるという。
上図の第4間壁画の中央の馬車の図のことだった。
出土した銅車馬から推測すると、1号馬車は始皇帝の先導車で御者だけが乗り、2号馬車は始皇帝が乗る轀輬車だが、その後ろにもう1台4頭立ての馬車が付く。護衛のためだろうか。

第4間には全部で3輌の馬車が北に向かって馳せ、これは2輌目にあたる。馬車は4頭立てで、車体は不鮮明でわずかに大小の2つの窓が識別できる程度だったが、馬はかなり鮮明であった。4頭がきれいに並んで、脚を前と後ろに伸ばして勢いよく疾駆するさまに描き、馬身は棗紅色で白い面具をつけ、湾曲した短轅も認められた。下方には松とおぼしきやや文様風の2本の樹木が2組配され、遠近感を出すとともに、馳道のような道路上を走っていることを明らかにしていた。始皇帝陵の兵馬俑や銅車馬と同時代の絵画として興味深い資料であるという。 
「龍のような文様」のような黒い輪郭線はないが、模写図のものとは雲泥の差のある壁画だった。

このように前肢と後ろ肢を広げて疾駆する馬は、魏晋時代(220-386年)の狩猟図にも描かれ、唐時代でも描かれている。その初現が秦時代にあったとは。

     始皇帝と大兵馬俑展4 銅車馬と文様
                               →始皇帝と大兵馬俑展6 馬の鞍

関連項目
始皇帝と大兵馬俑展8 陶鍑
始皇帝と大兵馬俑展7 繭形壺
始皇帝と大兵馬俑展3 銅車馬
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会
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※参考文献
「始皇帝と大兵馬俑展図録」 2015年 NHK・朝日新聞社
「世界美術大全集東洋編2 秦漢」 1998年 小学館