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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/11/25

エルミタージュ美術館2 アジナ・テパ遺跡の仏教美術


アジナ・テパ遺跡では仏像や壁画が出土したが、アラブの侵入時に破壊を受けたため、状態はよくなかった。その中でもましな作品はエルミタージュ美術館に収蔵されている。

跪拝する天部像 7世紀末-8世紀初 第34室出土 粘土 高32.0㎝
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、青色の上衣をまとい、胴部に黄色の帯をつけた半裸の跽杯拝像である。胸には大きな黄色の斑文ないし真珠を連ねた首飾り(おそらく金製)があり、その中央には、ラピスラズリと思われる青色の垂飾がついている。眉毛は弓形にはっきりと形作られている。目の形は杏仁形で、上瞼はやや腫れぼったい。黒色の頭髪は完全には残っていないが、小さな巻毛からなり、すべて型押しされている。
この天部像は第34室の中央の台座上の塑像群中の一つであったが、その背面は壁に接着していた。足に比べて頭部が異様に大きいなど、この作品の各部分の大きさの比率が不自然であるという。 
全体に螺髪というのではなく、額から2列のみで、あとは乱雑に積み上げてあるように見える。

如来頭部 7世紀末-8世紀初 第34室出土 粘土 高8.0㎝
同書は、頭髪の巻毛はほぼ螺髪となっおり、紺色で彩色されている。弧を描く眉毛は目からかなり高い所に配され、鼻梁へとつながっている。目は切れ長で、眼球は隆起し、瞼は半ば閉じている。唇には微笑が漂う。この如来頭部は堆積物に押しつぶされたために変形し、元の姿とやや異なっている。本来は厳格な正面観に作られていた。この頭部は同じ部屋から発見された胴体につながっていたと思われるという。
側面から見た方が美しいが、正面から見た容貌は、フォンドキスタン出土の仏像の系統のよう。

伝菩薩胴体部 7世紀末-8世紀初 粘土 高60.0㎝
これは上の如来の胴体ではなく、菩薩のものだった。腰が締まっているところなど、ソグドの壁画のよう。
腰紐の結び目や垂れた紐の両側にはギザギザの衣端が見られる。跪拝する天部像とは違い、丁寧に作られた像である。

壁画も出土している。

千仏図 7世紀末-8世紀初 壁画断片 200.0X180.0㎝ 第27号室出土
同書は、坐仏を垂直に5列に配した大画面の一部。各列の高さは43㎝。各仏陀(如来)は2種類の色の身光(舟形光背)で荘厳されている。横列は黄色の帯で区別されているが、そこから5弁の白い花をつけた茎が上方に向かって伸びている。仏陀はすべて蓮華座に座しているが、その座は2種類あって、一つは褐色の蓮弁のある白いもので、もう一つは白い6弁の花弁のある赤褐色のものである。この断片に描写された坐仏の手や顔の向きはみな異なっている。衣の着方、その色、頭光の彩色、身光の内部の地の色、などが相異なり、それによって、水平、垂直、斜め方向に特定のリズム感が画面に表されている。画面の地は青色で、白い漆喰の壁の上に彩色されている。
第27、28室(各幅3.4m、長さ16m)の回廊の筒形天井には坐仏が描かれていたが、その側室の天井には5列にわたって坐仏像が配置されていた。各坐仏の寸法(43X34㎝)から、それぞれの側室にはほぼ500体、両室で合計1000体の坐仏が描かれていたと推定することができるという。

供養者像 7世紀末-8世紀初 70.0X50.0㎝ 第31号室出土
同書は、二人の男子の跽拝図。同じ仕立ての白い衣服を着ている。それは高い襟のゆったりした長袖のカフタン(胸の部分が開かない上着)で、頸部で布が束になり、水平の3つの襞が描写されている。踵のない柔らかい靴を履き、右の腰には鞘に入った短剣を佩金具に紐を通して帯から吊している。左の腰には長い剣を吊している。左の男が手に持っているのは円錐形の銀製台付き杯で、その上縁には三角形の切り込みがある。右の男は縦溝のある金製の皿を持っているが、その皿の上縁は厚く縁取りされ、器には多くの花が盛られている。
このような画題は、資料や美術作品によって知られている仏教の儀式である「献花供養」を表している。この供養者は、その衣服から判断すると、トハリスタン(アム川中流域)の名門の一員であろう。おそらく彼らは、ここには残念ながら残ってはいないが、国王などのもっと身分の高い人物に随行したのであろう。この壁画は第31室に通じる通路の側壁に描かれていたので、この伽藍の仏塔に貢ぎ物を持って進む儀式を表したものであろうという。
ということは、トハリスタン(バクトリア)の国王が、アジナ・テパの僧院を献納したことを示しているのかな。
アジナ・テパに残る仏像や千仏の容貌と、供養者のトハラ(トカラ)人のそれとは、あまり似ていないが。

仏塔 7世紀末-8世紀初 第31室出土 粘土 高55.0底径237.0㎝
同書は、仏塔のある中庭には、その四隅に奉献小塔が置かれていた。もっとも保存状態が良好な小塔は中庭の北の隅にあったもので、10分の1の縮尺ながら構造と装飾が仏塔のそれとほぼ一致している。塔院区の北側の部屋のなかにもいくつかの小さな仏塔があった。それらは基壇も形も大きさも同じであるが、その装飾は互いに異なっているという。
タジキスタン民族考古博物館で見たものとよく似ている。


    エルミタージュ美術館1 ペンジケント出土の壁画


参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1998年 小学館