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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/12/16

南禅寺境内を通り抜けて


石山寺からバスでJR石山駅に戻って、山科駅で地下鉄東西線に乗り換えた。駅に着くと若い人たちが一目散に走って行くので、私も走って付いて行った。切符を買ってホームに下りていくと列車は上りも下りも発車してしまった。ICOCAなどのICカードなら間に合ったのだが、公共交通機関の発達していないところで生活をしているので、そのようなカードは必要ない。イオンさん、私の持っている唯一のカード、WAONでも使えるようにして下さ~い。

Google Earthより

次の列車で蹴上駅に。
はて、どこから南禅寺境内に入ろうかなと思いながら歩いていると、煉瓦造りのトンネルがあった。「雄観奇想」という石の扁額のある、何か謂われのありそうな。
検索してみると、なんと兵庫県養父市のホームページに、琵琶湖疎水の話という頁があった。
引用すると、
アーチ形に煉瓦を積んだトンネルの上部に、扁額の形で文字が書かれています。文字は、篆書(てんしょ)による「雄観奇想」(ゆうかんきそう)という文字です。琵琶湖疎水が完成した姿を「雄観」という大変すばらしい景色として讃え、電力、水運、上水道に利用する水の多目的な利用を「奇想」という思いで文字に書いたのでしょう。
「雄観奇想」という意味は、辞書などでみると「優れた眺めと思いもよらない考え」という意味になります。琵琶湖から水を引くという疏水事業の完成を祝福して、その思いを感慨深く示したものでしょう。
この疏水事業によって日本で最初の水力発電所が京都市につくられ、日本で最初の電車が京都市を走りました。そしてこの疏水の水は、現在も京都市民の飲料水として生活を潤しているだけでなく、水力発電・農業用水・工業用水、そして防火用水などに利用されています
という。

このトンネルを通っていけばいいのかなと迷っていると、「ねじりまんぽや」と言う声が。
何のことか分からなかったが、中を通っているとヴォールト天井の煉瓦の配列が、本来なら弧を描くアーチ形に並ぶはずなのに、斜めに捻れているのが見えた。
京阪電車の湖都から古都へ 琵琶湖疎水 川の路という頁に、蹴上インクラインの線路の下にあるトンネル(方言でまんぽ)。強度を高めるために、レンガが螺旋状に積まれ、ねじれている様子から「ねじりまんぽ」と呼ばれますという。

トンネルを抜けると元は塔頭だったところが工事中というところが複数あった。曲がり角には立派な門構えが。
「何有荘」という表札はあるものの、扉は閉じられている。
Wikipediaiによると、7代目小川治衛の庭があるという。
立派な庭もいいけれど、この高い生け垣の前の小さな紅葉が可愛い。

また工事車の出入口があり、左手に見えてきたのは低い石垣の上に高い生け垣。その先には「大寧軒」という扁額のある竹を貼った簡素な門。
公開されることもあるらしい。
門の近くは大きな石が組んであるが、その先では小さな石を積んだ石垣となる。その間から小さなシダが生えていて、というよりも植えてあってええ感じ。流れている水はもちろん疎水から。

その先には派手な門が。扁額は東照宮となっていて、傍の説明板には「寛永5年(1628) 徳川家康公の遺嘱により、寛永5年(1628)に造営した権現造りの建物である」とある。
続いて金地院の門があった。左には「東照宮・鶴亀庭園 拝観」という札が。あの東照宮は金地院の境内にあったのだ。
小堀遠州作の枯山水庭園もあるが、今回は別の目的でがあるので通りすぎる。

ずっと先に小さな門が見えてきた。
その近くにある生け垣に楓が使われているとは珍しい。

門をくぐると右手に中門があった。
その先で左折、屏沿いの路を行く。奥の方に紅葉が見える。
山門を写そうとすると、地下鉄の駅で見かけた韓国風の服装を着た人がまたいた。ひょっとして私の目的地と一緒?
高い針葉樹の下に紅葉する落葉樹がある。
ここは南禅寺の境内だが、「鹿ヶ谷通り」という道でもある。山門のある区画の外を回っている。
12月だというのに、ホトトギスが咲いていた。
まだ咲きそうな蕾もある。
真っ赤というよりは黄色っぽい葉もあれば柿色の葉もある。その落ち葉が掃いてしまわれずに残してあるのもええ感じ。
南禅寺北門は車と写したくなかったが、次々に通っていく。

野村美術館も通り過ぎる。
「いとをかし 和もの茶わんの世界展」をこの日まで開催していた。
博物館の北側には疎水と小道を挟んで碧雲荘という野村の別邸がある。
NHKでは南禅寺界隈別荘群などというシリーズの番組が多数つくられ、また何度も再放送されているが、ずーっと昔に、 「秘宝三十六歌仙の流転―絵巻切断」(NHK)で佐竹本三十六歌仙の断簡を野村美術館や泉屋博古館が所蔵していることと共に、その庭園が紹介されたことがあった。それよりも更に前、まだこの界隈に観光客が押し寄せない静かだった頃に、この辺りの小道を歩いたことがある。生け垣の隙間から庭園が垣間見えたりして、楽しかったが、それから40年も経っているのだった。足腰が弱らないうちに、もう一度歩き回ってみたいものだ。
つづいて裏門
そして石垣の上の紅葉。

右側には紅葉の名所として有名になってしまった永観堂。
遊心門は出口専用になっている。
ちょっと覗いてみた。
塀の外にもこぼれ出る楓の真っ赤な紅葉。
それにつられて門の中へ。赤だけでなく、柿色の葉も。
多宝塔を写して出てしまった。

永観堂の白い塀が続いた後は民家が並んでいる。東山の紅葉はなかなか見えない。
哲学の道の始まりというか終わりというか、その道からやっと東山の紅葉が見えた。
次のT字路にある博物館が目的地。
この坂を下りていくと東天王町の交差点。丸太町通りとなる。
右手には泉屋博古館。「高麗仏画 香りたつ装飾美」展を見学に来たのだった。

                  →高麗仏画展1 高麗仏画の白いヴェール

※参考サイト
兵庫県養父市のホームページの琵琶湖疎水の話
京阪電車の湖都から古都へ 琵琶湖疎水 川の路美しい庭園でもてなす京の別邸