お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/02/10

化粧皿は仏教美術?


タシケントのハムザ記念芸術研究所で、化粧皿を久し振りに見た。

化粧皿 後1世紀 8X0.7㎝ 大理石風石灰岩 浮彫 ダルヴェルジン・テパ遺跡DT-9発掘区、寺院出土
『南ウズベキスタンの遺宝』は、仕切りより上野半分に、ふたまたの尾を少し持ち上げた左向きのヒッポカンポスがいる。その背中には横向きで胸より上の男性(鼻と唇は大きく、ふっくらとし、髪の毛を紐で縛っている)が見えるという。
細かいところがよく彫り出されていない。

『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、クシャン朝時代以前のガンダーラでは、石製浅皿の内面にギリシア神話に由来する物語、神々、怪獣を浮彫りした奇妙なものが多数つくられた。内面を上下2段に分割し、下段を窪みにした例が比較的多く、これらの窪みは女性が化粧のための顔料を溶かすのに用いられたと推定された結果、これら石製浅皿は「化粧皿」と命名された。しかしながら、窪みを調査した結果、顔料らしきものが残存していなかったので、この推定は疑問視されている。そして、図像は様々であるが、それらに共通するテーマは死後、極楽ないし彼岸に必ず生まれるという復活再生の願望であるという。
また、『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録』(以下『東西文明の交流展図録』)も、ガンダーラでは、ギリシャ人の王国(インド・グリーク朝)によってギリシャ文化がもたらされたが、その1つの例証が、タキシラのシルカップ遺跡などで発掘された、石製のいわゆる化粧皿である。
ガンダーラと交渉のあったローマ領エジプトでも類似の石皿が出土し、その内側にギリシャやエジプトの神々が浮き彫りされている。このエジプトの石皿がかつて誤って化粧皿といわれたことも化粧皿という名称に影響している。しかし、化粧皿であった確証はなにもない(解説者は礼拝の容器とみなす)という。
どうやら化粧皿は、何かの信仰に使用されたものだったようだ。小さなものなので、大きな礼拝所ではなく、個人の住居に祀られたものかも。

化粧皿に描かれたモティーフを、できるだけ時代順に並べてみると、

ディオニュソス神と眷属の図の化粧皿 インド・グリーク朝時代(前2世紀) 大理石 径10.3高2.8㎝ ガンダーラ出土 個人蔵
『東西文明の交流展図録』は、二分された内側の主要部分には、ディオニュソス神と花嫁のアリアドネ(中央)、エロス、牧羊神パン(右端)などが描写されている。この図像は恐らく来世(楽園)を暗示し、もし仏教に関係するならば、到彼岸=波羅蜜多=涅槃=極楽の初期的イメージとなろうという。
初期の仏教の信仰は、ギリシア神話の世界が極楽のイメージだったということになるのかな。

男女(ディオニュソスとアリアドネ)の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) 灰色片岩 径13㎝ ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
出来栄えという点で、上の作品とはかなりの開きがある。

エウロペ掠奪の図の化粧皿 インド・グリーク朝時代(前2世紀) 凍石 最大径11.7㎝ ガンダーラ出土 個人蔵
同展図録は、このいわゆる化粧皿は緑がかった柔らかい石で作られているが、下方に地中海の波が描写され、その上に雷霆(ヴァジュラ)を持つ牡牛姿のゼウスに乗ったエウロペが背を正面に向けて描写されている。エウロペは通常、牛の背に横座り(婦人乗り)し、風を孕んだ帆のようなヴェールを手に持っているが、この作品では背中をあらわにし、美しい臀部を見せている点に特色がある。このポーズはヘレニズム期のネレイデスの定型に由来し、ヘレニズム期からローマ時代の作品では、このポーズのエウロペが愛好された。
この図像は単なる娘の掠奪ではなく、通過儀礼であって、それは死から楽園への再生復活、即ち仏教の到彼岸=涅槃を象徴暗示するものとして用いられたと考えられるという。
雷霆は、アイハヌム出土のゼウス神左足断片(前3世紀)にもあった。
牡牛の頭が大きく、動きもぎこちないし、地中海の波というよりも丸太を二重に組んだ橋のよう。 

ウローパの略奪の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、牡牛に化けたゼウス神がレバノンの王女エウローパをさらい、海を渡ってクレタ島へ連れていく光景を表しているが、これは結婚と死、再生を暗示しているという。
高浮彫で牡牛とエウローパを表すが、海の波は形式化されてもおらず、2本の線をうねらせたよう。

エロスを叱るアフロディテ女神の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) 凍石 径11.9高2.4㎝ ガンダーラ出土 大英博物館蔵
『東西文明の交流展図録』は、アフロディテ女神とエロスはローマの石棺美術の代表的モティーフでもあるが、共に海に関係しているので、海の遙か彼方にあるとギリシャ人たちが信じた楽園を象徴する。それゆえ、この図柄も死者の霊魂の再生復活=到彼岸に関係しているとみなすことができようという。
地面と思われる2列のものは、個人蔵のエウロペ掠奪の図像の化粧皿の海の表現に似ている。 
でも、この場面は極楽のイメージには思えない。悪いことをすると地獄に墜ちるよという戒めを表しているのでは。

海獣のトリトーン(雌)の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、海の海獣は、死者の霊魂を海の向こうの「死者の島」(彼岸)に護送する守護神のような存在であるという。
下は八重の花のモティーフ。その重なり具合が蓮華を思わせる。

有翼の怪物の化粧皿 前1-後1世紀 石鹸石 スワート、ブトカラ出土
『SWAT MUSEUM』は、3区に分かれたパレットは、中央に水平の帯、その下は縦に半分に分けている。上は有翼の怪物が表されているという。
狭い箇所に巨大なものをうまく曲げて表しているものだ。

海獣ケトスに乗る海の乙女ネレイドの化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) 灰色片岩 径12㎝ ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
『東西文明の交流展図録』は、ケートスはポセイドン神、アフロディテ女神、ネレイス(海の妖精)などとともにローマの石棺や舗床モザイクに頻繁に描写されているが、本来は鯨、大魚などをモデルとして合成した海獣である。ギリシャの陶器画(前5世紀)では魚などとともに描写されている。海洋民族のギリシャ人はケートスを航海の安全を守る守護者とみなし、その結果、死者の霊魂を西方の果てにあると信じた様々な楽園(エーリュシオン、ヘスペリデスの園など)に無事に連れていってくれる存在と考えていた。仏教的に解釈すれば、それは到彼岸=涅槃=極楽往生であるという。
中国以東では、雲に乗って極楽へ往生するが、ギリシアやローマの神話には雲は登場しない。来迎雲は、古くから雲文や雲気文のあった中国でできたものということになるだろう。

海獣ケートスに乗るエロスの化粧皿 インド・スキタイ朝時代(前1世紀) 片岩 径10.7高2.0㎝ 大英博物館蔵
『東西文明の交流展図録』は、獅子型ケートスとエロスは死者の霊魂の再生復活を象徴している。ヘレニズム・ローマ美術では、ケートスはエロスやネレイスを乗せた姿で描写される例が、それはガンダーラのいわゆる化粧皿でも同様であるという。
上の作品がややぎこちない表現であるのに比べ、本作品はヘレニズム・ローマ美術というにふさわしい。ケートスの尾が下縁の下にはみ出す(実際には切れているが)くらい力強い存在であることが表されている。
下側の斜線は花弁を表しているのだろうか。外縁には幅広の蓮華が表されているようにも思える。

女性胸像(ネレイド?)の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) 灰色片岩 径12.1㎝ ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、一人の女性胸像しか描写されていないので、その意味は判然としないが、或いはネレイドに匹敵する存在を表しているのかも知れないという。
ガンダーラの仏伝図などでは、主場面の上方に2階のバルコニーから眺めている人々が表されているものがあるが、或いはこのような上半身だけの像がそのような場面に採り入れられたのかも。

死者の饗宴の化粧皿 インド・グリーク朝またはインド・スキタイ朝時代(前2-前1世紀) 灰色片岩 径13㎝ ガンダーラ出土 平山郁夫コレクション
『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、長椅子のようなベッドに横たわる死者の饗宴(再生復活)を表すという。
区画となる横帯には蓮弁が並んでいるのでは。

供物の場面の化粧皿 前1-後1世紀 片岩 径12.5㎝ スワート、ブトカラ出土
『GANDHARA SCULPTURES IN THE SWAT MUSEUM』(以下『SWAT MUSEUM』)は、2区に分かれた円形のパレットである。上の供物の場面は楽士たちを伴っている。下は花弁をモティーフにし文様が刻まれる。縁は葉のパターンで飾られているという。
外縁は蓮弁が並んでいるのではないのかな。
供物の場面の化粧皿 前1-後1世紀 片岩 径13.0㎝ スワート、ウデグラム出土
『SWAT MUSEUM』は、2区に分かれる。上は供物と楽士たちの場面。下は花のモティーフが刻まれる。縁は葉のパターンになっているという。
やっぱり外縁は蓮弁ではなく、葉のパターンのようだ。

対の像のある化粧皿 前1-後1世紀 片岩 径13.0㎝ スワート、ウデグラム出土
『SWAT MUSEUM』は、3区に分かれている。上は2頭の馬と男女の胸像が表されているという。
カップルは向かって右を向いて、前の人物の握った手が、右側の馬の手綱を握っているようにも見える。
外縁はやはり葉文なのだろう。

儀式的な祝宴の化粧皿 後2-3世紀 片岩 径16.5㎝ スワート、ウデグラム出土
『SWAT MUSEUM』は、9つの凹んだ区画に分かれている。4つの隅区はロゼット文、別の4区は蓮弁で飾られている。
中央の区画は蓮弁から出てきた3人による饗宴が表されているという。
やっと蓮弁という言葉が出て来たが、あまり蓮華の花弁らしくない。

『パキスタン・ガンダーラ仏教美術展図録』は、ガンダーラ美術の初期相を考える上で重要なのは、マーシャルによるタキシラのシルカップとファッチェーナによるブトカラⅠのそれぞれの発掘成果、および西北インドから多く出土している化粧皿である。化粧皿は現在120点ほどが知られ、約半数がタキシラ出土である。発掘結果や様式・図像から見て、化粧皿は前2-後2世紀頃に制作されたようであるが、その多くはサカ・パルティア時代を中心とした前1-後1世紀のもので、クシャーン朝下の仏教美術の隆盛とともに急速に衰退していく。「化粧皿」と称される石製円盤(直径10-20㎝程度)は、浮彫された図柄から見て、世俗用のものではなく、宗教的な奉納物、もしくは祭儀用の用具ではなかったかと推測される。
化粧皿の図柄には、「ディオニュソスとアリアドネーの結婚」「アフロディテーとエロス」「死者の饗宴」「飲酒の男女像」「海獣に乗る女」などのテーマが見られる。これらの多くは酒と陶酔の神ディオニュソス(バッカス)の神話や信仰に関わるもので、魂の救済、死後の再生に対する願望と結びついた図像である。おそらくインド・グリークの人々がこの地に持ち込み、根づいていった信仰であろうという。
また『ガンダーラとシルクロードの美術展図録』は、このほか、アフロディーテ女神、霊魂の護送者グリフィンやディオスクーロイ、霊魂を天空に運ぶ戦車、死を象徴する獅子や狩猟文など死と再生に関係するテーマが圧倒的に多い。珍しい例として、仏陀座像を描写した例があるので、これらの「化粧皿」の大半は仏教徒の持ち物であった蓋然性も否定できない。なぜならば、仏像はこれら怪獣に代わる霊魂の護送者、そして再生復活を保証する救済者としてガンダーラにおいて誕生したからである。仏像が出現したクシャン朝時代には、このような「化粧皿」が殆ど作られなくなったことが、このような推論を裏付けていようという。
化粧皿は仏教美術そのものではないかも知れないが、仏教徒が信仰のものとして持つもので、やがてその中のモティーフが仏教美術に採用されていくということで良いのかな。

このようにまとめていて、化粧皿がガンダーラ以外の土地で出土するのは珍しいことがわかった。素材や表現の違いから、ガンダーラで制作されたものではなく、ダルヴェルジン・テパ近辺で、真似て作ったものかも。



関連項目
アイ・ハヌム遺跡

参考文献
(創価大学創立20周年記念)「南ウズベキスタンの遺宝 中央アジア・シルクロード」 編集主幹G.A.プガチェンコワ 責任編集加藤九祚 1991年 創価大学出版会・ハムザ記念芸術研究所
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録」 2002年 朝日新聞社
「パキスタン・ガンダーラ仏教美術展図録」 2002年 NHK
「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録」 2003年 NHK
「GANDHARA SCULPTURES IN THE SWAT MUSEUM」 M.ASHRAF KHAN 1993年 SAIDU SHARIF