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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/02/14

再び鍑 ウズベキスタン歴史博物館より


ウズベキスタン歴史博物館は鍑の宝庫だった。
サカの青銅製大鍋 前6-4世紀 フェルガナ渓谷出土
リング状の把手が4つ、その間にオオツノヒツジが1頭ずつ配される。見込みは平たい。
STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN』(以下図録)は、古代のゾロアスター教で必須のもののは死者に敬意を表して行われる食事の準備である。おそらく食事が作られたであろう前4世紀の青銅製大鍋が展示されている。大鍋はルグムベク(Lugumbek)で1939年に大フェルガナ運河の建設の際に考古学的な調査で発見された。3本の足(1本は壊れていた)の上に円筒形の胴がある。口縁には虹のような筋のある4つの輪が縦に付いていて、その間には山羊の像が時計回りの向きについている。早い時期から山羊は太陽の力を体現する「太陽」の動物と見なされてきた。縁に取り付けられた輪もまた太陽のシンボルだった。祭儀の食事を分かち合うことは、季節毎の祭や新年の祭儀に受け継がれているという。
南ロシアでも口縁部に動物がついた鍑が発見されている。やはり祭儀用の特別なものだったのかも。
それについてはこちら

上の展示ケースの右側には小さな鍑などが展示されているが、動物が象られたものはない。
小型の鍑 前6-4世紀 青銅製
上は円錐形の台がついている。
下は大きな持ち手が特徴だが、片方は失われている。半円のような紐あるいは蛇のような浮彫装飾が見られる。そして台も足もない。
中型の鍑 前6-4世紀 青銅製
上は小さな円錐形の台がつく。
下は珍しく浅い鍑で、足はなく把手も小さい。

続きの展示ケースには左端に3つの鍑があった。

鍑 前6-4世紀 青銅 サカ
画面から切れているが大きな鍑。口縁部が外に反っているが破損部もあり、把手も欠けてる様子。足はなかったのかな。半円形の装飾が巡る。
鍑 前6-4世紀 青銅 スキタイ
サカとスキタイは同じイラン系の民族だったはず。
横に張った立派な形なのに、円錐形の台は小さく低い。いや、もっと高かったかも。把手が縦に付いているのも、竹の節のような装飾があるのも珍しい。ブハラのアルク内博物館に展示されていた鍑(サカの大鍋、前4-2世紀)にもこのタイプの把手があり、形状も似ている。
鍑 前6-4世紀 青銅
残念ながらプレートの写真がピンボケだが、同じ展示ケースに入れられているので同じ時代にした。
円錐形の台が付くが、把手が破損していてどんな形だったか不明。口縁部はすっぱりと切ったようなできあがり。

高貴な女性の墓の副葬品 康居(KANGYUI、前2-1世紀) サマルカンド州コクテパ出土
図録は、前3-2世紀、半遊牧民の康居(アヴェスタにはKANGKHA)には、従属する5つの小さな勢力があった。スース(キッシュ・シャフリサブス)、フム(ザラフシャン流域)、ユニ(シャーシュ・タシケント)、ギ(ブハラ)そしてイェガン(ウルゲンチ・ホレズム)という。
鍑 前2-1世紀 青銅 
円錐形の足付きで、口縁部が反っている。

矢印の矢狭間のある城壁裏には鍑が2つ
鍑 前6-4世紀 青銅 サカ
把手は横向きが一対、縦向きも一対付いているらしい。内側り向こう側に歪な形の痕跡があるのが、その縦向きの把手を取り付けた跡ではないだろうか。どうも把手の高さが一定していないような。
口縁部に紐状の出っ張りがあり、胴部には平行でない3本の線が陽刻されている。円錐形の台が付く。
鍑 前6-5世紀 青銅
円錐形の台が付くくらいで、これといった特徴がない。

         →再びオッスアリ ウズベキスタン歴史博物館より

関連項目
マルグシュ遺跡の出土物3 祭祀用土器が鍑(ふく)の起源?
フン以前の鍑(ふく)はサルマタイとスキタイ
ファヤズ・テパ講堂出土の仏三尊像 ウズベキスタン歴史博物館より


参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」 ウズベキスタン歴史博物館図録 2013年 PREMIER PRINT