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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/03/17

テペ・シアルクに日干しレンガの初期のもの


カーシャーン郊外の遺跡テペ・シアルクは、各時代の日干レンガの建物の遺丘である。

『ペルシア建築』は、ペルシアの建築は、少なくとも紀元前5千年頃から今日まで通算6千年以上に及ぶ連綿たる歴史を持つうえに、その影響のもとで生まれたさまざまな実例をも含めると、西はシリアから東はインドの北部や中国の辺境まで、北はコーカサスの山地から南はザンジバルまで、膨大な地域にひろがっている。
建築の基本的な形態は利用できる材料によって支配されてきた。粘土は大抵の場所で容易に得られるので、先ずこれがピゼの発達を促した-つまり、仮枠の内側に泥を詰め、可能なかぎり突き固めたのち、自然に乾燥させるという素朴な土壁であるという。
このピゼ(pisé、仏語)というものは、おそらくタジキスタンのソグド人の町だったペンジケント(現地ガイドの人たちはパンジケントと言っていたが)でも使われていた、日干レンガよりもずっと大きな土塊、パフサと同じようなものではなかっただろうか。
ペンジケントの住居壁面写真

同書は、イラン(イーラーン)つまり「アーリア人の土地」とイラン名称は、この地へ移住してきた部族集団の名に由来するが、そのイラン高原は、そもそも今から1万年もさかのぼるような古い高地定住民たちの生活の舞台であった。先史時代のこうしたペルシアについて、いま判明している最初の住民たちは、まばらに散在する小集落の中に分かれて暮らしていた。いっそう急速な発展を遂げつつあったメソポタミア平原との間には、戦争も繰り返されたが、しだいに実りの多い関係が結ばれていった。建築にとってきわめて重要な意味を持つ宗教思想はたぶん高原で芽生えたものであり、これが低地に伝わり、そこで新しい要素を加えたのち、ふたたび高原のイラン人のもとへ戻って来たらしい。かかる過程を通じて内容が高度化し成熟が進んだのである。農耕集落については、前8000-6000年頃までさかのぼる実例-基礎と壁と土間床に石を用いた小住居の集合-が、ブレイドウッド教授を隊長とするシカゴ大学の調査隊によって発掘されている。このような粗末な住居はとうてい建築と呼べないにせよ、しかし、これこそが建築にとっての必要な祖先であった。
イランの集落や住居について初期の様相が知られているのは、ほとんどが、西部の渓谷地帯においてである。デヘ・ルーラン渓谷のアリー・コーシュで発見された新石器時代初期の集落遺跡はその一例で、前6200-5800年頃と推定できる土層の中に、いくつかの大形住居の跡が残っていた。部屋はたいへん広く(3.0X4.8m)、構造用の材料としては、現地の粘土をおおよそ直方体に切って干した手作りの煉瓦が使われている。
一方、メソポタミアの北部にあるジャルモ(前6500年頃)、ハッスーナ(前6000年頃)、テペ・ガウラ(前4500年頃)などの諸遺跡は、互いに文化の上で共通の様相を示し、それは「東方の山地から」伝播したものとされている。この場合、東方の山地とは、ペルシアでしかあり得ないという。
テペ・ガウラの第8層の神殿図

同書は、その「山地」において発見された建造物で、とりわけ興味深いのは、シアルク遺跡のものであった。この遺跡では、最初の集落が前5千年紀に属しており、明らかに、木の枝で造った小屋だけから成り立っている。次の段階になると、手作りの煉瓦を使った建物が現れる。この煉瓦はいわば楕円形を呈する土塊であり、手で整形し、天日で乾かしたものであったという。
テペ・シアルクは北丘の方が古い。

同書は、ところが、こうした段階においてさえ、構造技術を改善しようという努力が払われており、煉瓦の側面を見ると、親指を押し付けてつくった凹みがありその分だけ深くモルタルが食い込むように工夫されているのである。初歩的な建築装飾として、酸化鉄を果汁に溶かし、室内の壁画をこれによって赤く塗ることも始まっているという。  

同書は、今日ふうの煉瓦-枠を用いて作る各面とも平らな直方体状の煉瓦-は、前4千年紀になると現れてくるが、これもまた明らかにイランの発明であったという。
テペ・シアルクの南丘では前4100年の建物跡が、発掘によって左下の穴から発見されている。
南丘ジグラットの日干レンガと接着剤としての土
現在でも広範囲で日干レンガ材料にした建物は造られ続けている。
自分の家を建てるために日干レンガを作っているところ(キルギスにて)。日干レンガ5つ分の小さな木枠を持っているご主人。地面に木枠を置き、藁を混ぜた土を入れては木枠をずらして置き、という繰り返しの作業。民家を建設するだけでもかなりの量のレンガが要る。

テペ・シアルクでは日干レンガで巨大な建造物が造られていた。それはジッグラト。
その想像復元図

そして展示室にあった復元図は3段になっていた。しかも、日干レンガで造り、被覆材として焼成レンガを貼り付けていたようになっている。焼成レンガも出土しているのだろう。
2段目の側面にアーチ形の刳りがある。これはジッグラトにもあったが、内部への入口というわけでもなかったようだ。

このジッグラトの建設時期について『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、前1000-800年としている。

            →ジッグラトがイラン高原の山だったとは

関連項目
テペ・シアルク(Tepe Sialk)遺跡

※参考文献
「ペルシア建築」SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会