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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/04/04

縞大理石をまねる 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より


ポンペイでは、壁面装飾の最初期に、色大理石などで飾った壁面を模倣して、漆喰で仕上げるということが行われた(ポンペイの壁画第1様式)が、それ以前では、前3世紀末、ヘレニズム時代にペラでも発見されており、ポンペイ第1様式の起源がギリシアにあったことがわかった(漆喰画の館)。
壁画最下部の斜めになった縞文様は、きっとアラバスターだろうと思った。
何故なら、「メソポタミア文明展」で見たアラバスターの壺に縞文様があったからだ。

石製容器 ウルク後期(前3500-3100年頃) メソポタミア、テロー出土 ルーヴル美術館蔵
左:アラバスター 高8直径9.7㎝
右:桃色大理石  高5.9直径6.9㎝
『メソポタミア文明展図録』は、ウルク期末の石製容器は数が多い。それらは色のついた大理石や帯縞のアラバスターをカットして入念に磨いたものであり、メソポタミアでは採れない素材、近隣地方からの輸入材で作られた贅沢品だったという。

その後訪れたクノッソス宮殿(前15世紀後半)でも、壁画の下部に似たような文様帯があって、これもアラバスターの薄板を腰壁にしたものを模倣して描いたのだろうと思ったが、今見ると、アラバスターにしては色数が多すぎる。特定の岩石の模様を真似たのでもなかったのかも知れない。

そして今回、「古代ギリシャー時空を超えた旅展」で見たフレスコ画で、このような縞のある模様が、アラバスターではなく、縞大理石をまねたものだということがわかった。

百合と花瓶のフレスコ画 前17世紀 高89.0幅45.0㎝ サントリーニ島アクロティリの集落西の家4室出土 テラ先史博物館蔵
第4室は二階にあったが、床は抜けている。

『古代ギリシャー時空を超えた旅展図録』は、窓の両脇の付け柱を飾っていた同じ主題の2点の壁画のうちの一つ。壁画は水平方向に3つの部分に分けられる。中央のモチーフの下に見えるのは、色鮮やかな縞大理石をまねた縁の部分であり、その上に赤い帯が垂直に伸びて、白い漆喰の地の上に描かれた中心画面を取り囲んでいる。2つの把手がついた優美な花瓶も色大理石をまねたものであり、5本の百合が左右対称に生けられている。
画家の意図が花瓶や植木鉢で飾られた開いた窓のイメージをとらえようとしたことにあったという点で、本作品がエーゲ美術の図像の中でも独特な表現であることは明らかだろうという。
窓の縁も花瓶も縞大理石を真似たものだという。
百合は切り花だったのだろうか。それともこの壺で栽培されたものだろうか。
アクロティリ遺跡の建築複合体デルタに野に咲くユリが描かれ、アテネ国立考古博物館で「春のフレスコ」として展示されている。
テラ島のユリは根元に葉が出る種類のようだ。花瓶のユリには葉がないので、切り花であることは確か。

実際にこのような花瓶があったからこそ描けたのだろうが、茎の長さから、内部はあまり深くは彫っていないと思われる。実際、こんなに縦長の大理石を、土器のような厚さに彫り出すのは、無理だったのでは。

そしてこれが、窓の縁。縞大理石を薄い板に割って、本の見開きのように開くと、このような左右対称の模様となる。イスタンブールのアギア・ソフィアで、様々な色や模様の大理石の板がそんな風に貼り付けてあったが、前17世紀にすでにそのような壁面装飾があったのだ。

しかも、そのような壁面を模倣して、室内の装飾として描いているとは。
でも、こんな風に縞大理石の腰板を真似た壁面は各地で各時代のものを見てきたが、実際に縞大理石の板を張った建物は、アギア・ソフィア以外で見たことがない。
前17世紀、すでに模倣したフレスコ画が存在するということは、当時、あるいはそれ以前に、縞大理石を腰板にするということが行われていたはずである。それを知りたいな。

キュクラデス石偶 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より
              →泣女 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より

関連項目
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
古代マケドニアの遺跡7 ペラ考古博物館1 漆喰画の館
ポンペイの壁画第1様式
サントリーニ10 アクロティリ遺跡4


※参考文献
「古代ギリシャ-時空を超えた旅展図録」 2016年 朝日新聞社・NHK・東映
「四大文明 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK