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2017/06/23

木X仏像展 10世紀の地蔵菩薩立像


書写山円教寺の奥の院として建立された弥勒寺で10世紀の仏像に出会ってから、それまではあまり印象に残らなかった平安中期頃の仏像が気になるようになった。
今春大阪市立美術館で開催された「木X仏像展」でも、10世紀の仏像が数点展示されていたが、目立つのは量感のある地蔵菩薩立像なのだった。

比較のために平安前期の地蔵菩薩立像を挙げると、
地蔵菩薩立像 像高172.7㎝ 奈良・法隆寺
同書は、もと奈良・大神神社神宮寺の大御輪寺に祀られていたことから、本来地蔵菩薩としてではなく、僧形の神像として造立されたと見る説も出されている。奥行きのある堂々とした体形を示し、衣文の彫りも深く鋭いが、その形や各所に見られる翻波には形式化の傾向がうかがえるという。
肩から大腿部にかけて量感あふれる像だが、腹部は出ていない。

では、木X仏像展で展示されていた地蔵菩薩立像を。

地蔵菩薩立像 平安時代(10世紀) 木造(ヒノキ) 95.7㎝ 奈良・薬師寺
同展図録は、左手で宝珠を執り、右手を垂下し掌を正面に向けて与願印とする。一木造、彫眼、彩色。ヒノキとみられる針葉樹材。頭頂より両肩先を含んで地付きまでを一材より彫出し、内刳は施さない。木心を像中央にこめる。右肩口に節を残す。両足の間に枘を造り出す。別材製の両手先・両足先、持物の宝珠、および台座・光背は後補。現状古色を呈するが、袈裟の田相や下地の白土をかろうじて確認することができる。後方へ流れるような耳朶、腹前の衣端の処理、大腿部でY字形を描く衣文の表現など平安初期彫刻に特有の表現を持ちながらも、後世の修理が加えられている可能性はあるが、温和な面相表現、張りのおとなしい大腿部、鎬の立った鋭さが見られない浅い彫りなど、全体に柔和な雰囲気を醸し出している。量感あふれる平安初期彫刻から温和な和様彫刻への過渡期の作と見て、制作年代は10世紀前半を想定したいという。
量感という点では、平安前期の仏像ほどではなく、肩や胸の張りは減少しているが、腹部が出ている。
一方、着衣には衣文線自体が少なく、翻波式衣文はなくなっている。
やっぱり平安中期の仏像の特徴は、平安前期と後期の過渡期ということなのか。

地蔵菩薩立像 平安時代(10世紀) 木造(センダン) 114.5㎝ 大阪・蓮花寺蔵
同展図録は、左手に宝珠、右手に錫杖を執り、雲上の蓮台に立つ地蔵菩薩像。一木造で頭頂から地付まで右肩先を含んで一材より彫出し、体部後方に木心をこめる。左肩先、両手・両足・持物・台座・光背は後補。彫眼とし現在は素地を呈すが、元は彩色を施したかと推察される。材は広葉樹環孔材で、組織が粗く早材(木目の色の薄い部分)の風化の早いことからセンダンとみられる。造像当初は美しく整った像であったことが想像されるが、永年の風喰による損傷は一種近寄りがたい荘厳な雰囲気を醸し出す。
寺伝によれば、応仁の乱に際し寺内の池に沈めて難を逃れたという。伝来不詳ながらも、10世紀に遡る北摂地域屈指の古像であるという。
この像も肩や胸部の張りが減少しているのに、腹部、あるいは大衣の襞が大きく膨らんでいる。
上の薬師寺本では盛り上がってはいなくても、Y字形の衣文線の両側に太腿が感じられたが、本像ではY字形からX字形に変化した衣文線は太腿を表すことさえ忘れられたようである。
後ろ姿は、腰を晴らせて減り張りを付けている。前から見るとあまり感じないが、背後から見るとかなり前屈みである。

地蔵菩薩立像 平安時代(10世紀) ケヤキ 152.2㎝ 大阪三津寺蔵
同展図録は、鼻筋が通り、静かで安らかな雰囲気の地蔵菩薩立像。右手に錫杖を執らず垂下させる。耳の縁が紐状に太いこと、腹部が出ずすっきりとした体型である点が本像の特徴である。構造は頭頂部から底部まで両腕を含めケヤキの一材から彫出する一木造で、内刳は施さない。見た目と同様に重く、像高150㎝にして重量は70㎏を超える。制作年代は平安時代(10世紀)にさかのぼると考えられ、三津寺伝来像のなかで最も古いだけでなく、大阪市内所在の木彫像としても屈指の古仏である。三津寺は大阪随一の繁華街、心斎橋にほど近い御堂筋沿いに所在する。行基開創49院のひとつ摂津国御津の大福院が当寺にあたると伝わるという。
全体に法隆寺本と似た体型であるが、違いはやはり腹部。この像はほかの地蔵菩薩ほどには腹部が出ていない。平安前期の仏像が量感あるいは塊量感と形容されるほど、横幅があるのに、腹部はどれもぎゅっと締まっているのだ。それがなくなってきたのが10世紀ということかも。

地蔵菩薩立像 平安時代(10世紀) ケヤキか 大阪和光寺蔵
同展図録は、かわいらしい顔つきにどっしりとした体格の地蔵菩薩立像。面部は彫り直しが認められ整っているが、体部は木肌がかなり荒れており焼けた痕跡も残っている。構造は頭頂部から底部まで、ケヤキかと思われる一材から彫出する一木造で、内刳りを施さず木心をこめており大きな干割れが生じている。寺伝に拠れば、隠岐国の海辺に流れ着いた仏像で、大阪の豪商鴻池家により奉安され江戸時代安政2年(1855)に開扉供養が執り行われたという。
地蔵菩薩の顔はどれも丸いが、この像は格別である。
そして、後ろ姿は肩から裳裾までほぼ真っ直ぐなくらい材を削っていない。


「木X仏像展」に出展されていた10世紀の地蔵菩薩立像は細身ではない。平安前期の仏像と比べると量感が減少してきてはいるが、全体に寸胴で、丸太を彫り過ぎるのを最小限に留めているようにも感じる。
そして出品された像の中でも、地蔵菩薩立像は着彩などがない、或いは失われているためか、木目がよく見えた。切り出した木を内刳も施さず、最小の削りに留めて、仏像にして木を生かしてきた仏師の思いが叶ったのかも知れない。


今回だけでなく、大阪市立美術館の展観では、四方から作品を見られるようになってきて、一巡してそれぞれの表情が窺えて嬉しい。
これらの地蔵菩薩立像の背面に共通するのは、着衣の表現である。前面では両肩に大衣がかかっているのに、背中側は右肩を覆う着衣が表されていないので偏袒右肩のようだが、右腕には長い大衣の裾がさがっている。左肩へと上がっている大衣の内側になっているかというと、首元に襟状の返りがないのである。

木X仏像展 四天王寺の仏像

関連項目
木X仏像展 東博蔵木造菩薩立像
弥勒寺の弥勒仏三尊像は10世紀
弥勒寺の仏像は円教寺の仏像と同じ安鎮作
平安中期の如来坐像
木X仏像展 法隆寺四天王像に似た小像

※参考文献
「木X仏像展図録」 編集大阪市立美術館 2017年 大阪市立美術館・産経新聞社
「日本の美術457 平安時代前期の彫刻」 岩佐光晴 2004年 至文堂