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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/08/21

サーサーン朝の王たちの冠


ナクシェ・ロスタムにナクシェ・ラジャブ、そしてビーシャープール郊外のタンゲ・チョウガーン渓谷でサーサーン朝時代の王たちが造らせた王権神授図や戦勝図などの浮彫は、風化が進んでいることや日陰になっていたりして、王の顔や冠がよく分からないものが多かった。
そんな時に銘文があればどの王のものかはっきりするが、『古代イラン世界2』は、各浮彫には原則として、制作を命じた国王に関する銘文はないので、国王の比定は文献的には殆どできないが、王冠の形式を、歴代の国王が発行したコインの表に刻印された王冠のそれと比較して決定しているという。
浮彫とコインを比べてみると、

アルダシール1世 在位224-241年 ドラクマ銀貨 出土地不明 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、224年、アルサケス朝パルティアを倒してササン朝を創始した。アケメネス朝ペルシャの再興をめざして「諸王の王」を名乗り、ゾロアスター教を国教とする中央集権を確立したという。
ナクシェ・ロスタムの王権神授図(騎馬叙任図)で王冠がわかる。
右手で王位の標章であるリボンのついたディアデムをアフラマズダ神から受取り、左手で神に礼拝の仕草をとっている。
アルダシール1世はすでに頭部にリボンのついたディアデムを付けていて、王冠は耳をすっぽり覆った帽子状のものに、膨らんで渦巻いたものが付属している。
ガイドのレザーさんは束ねた長い髪の誇張だと言っていたのだが。
表:球体装飾のついた冠をかぶり、長いひげが特徴の王。
裏:アケメネス朝の獅子足の玉座がついたゾロアスター教の拝火壇。銘アルダシールの火。
コインの方はその膨らみは小さいが、『ペルシャ文明展図録』は球体装飾と表現している。頭部の筋が髪を表したものか、王冠なのかは不明。

シャープール1世 在位241-272年 ドラクマ銀貨 出土地不明 イラン国立博物館蔵
同展図録は、西はローマ帝国の勢力をメソポタミアから排除し、東はクシャン朝を破り領土を拡大した。都市建設や農業用水工事など内政にも手腕を発揮したという。
ナクシェ・ロスタムの戦勝図に3段の城壁冠がよく残っている。上の球体装飾は縦長。
表:球体装飾のついく城壁冠をかぶり、ひげある王の右向き肖像
裏:拝火壇とその両脇に城壁冠をかぶり長い聖杖を持つ王侯像。以後の基本図柄となった。銘はシャープールの聖火であることを示す。
コインではもう少し凝った表現をしていて、丸い球体装飾に襞がある。

バフラーム1世 在位273-276年
タンゲ・チョウガーン渓谷の騎馬叙任式図(王権神授図)より。
『世界美術大全集東洋編16』は、この浮彫りは、国王の頭部の王冠がナルセー王(在位293-303)によって改変されたという。
放射光のように伸びて球体を包む王冠。
コインはない。

バフラーム2世 在位276-293年 
『ペルシャ文明展図録』は、ササン朝はローマにならいディナール金貨も発行した。金貨は戴冠記念などの儀式や戦時に出されたとされる。 
ナクシェ・ロスタムの王とその家臣の王冠には、球体装飾の下に翼のようなものが認められる。
タンゲ・チョウガーン渓谷の騎馬謁見図の王冠は、球体装飾が房のように表され、その下には大きな翼がある。
ディナール金貨
表:シャープール1世の娘である王妃と並んだ王の肖像。向かい合う人物は王子とされる。冠は三者三様で、王は球体装飾のある鷲翼、王妃は鷲(怪鳥シムルグ)、王子は馬の頭部(いずれもゾロアスター教の神のシンボル)。
王の鷲翼はかなり控え目。

ナルセー王 在位293-303年 
ナクシェ・ロスタムの叙任式図から。
エジプト由来で、ペルセポリスの門上の装飾であるカヴェット・パターンを巡らせたような装飾が球体を囲む。
ドラクマ銀貨 イラン国立博物館蔵
表:球体装飾と小枝装飾がつく冠をかぶる王の右向き肖像。
小枝というよりもパルメット文に近い装飾。

ホルムズド2世 在位303-309年
ナクシェ・ロスタムの騎馬戦闘図より。
かなり風化しているが、王冠の翼のようなものがはっきりと残っている。
コインはない。

シャープール2世 在位309-379年
『ペルシャ文明展図録』は、領土回復に務めた長期政権の王。幼少期に王位につくと、70年という長きにわたり統治を行った。クシャン朝に遠征し東方に領土を拡大し、西方ではローマのユリアヌス帝と戦い、和平条約を結んで失地回復に成功した。この頃ゾロアスター教の経典「アヴェスター」の編纂がはじまったという。

ナクシェ・ロスタムの戦闘図より。
コインや胸像のような城壁冠には見えない。鷲翼の冠に近いのでは。
タンゲ・チョウガーン渓谷の戦勝国より。
縮れた長い髪は両側に大きくまとめ、城壁冠ではなくも帽子のようなものを被っている。また、ササン朝では横向きに描写されるのが常であるのに、珍しく正面を向いた像である。
胸像 高50.0幅38.0㎝ ストゥッコ ファールス州ハッジ・アーバード出土
『ペルシャ文明展図録』は、王の正面観をストゥッコで表した胸像。ササン朝の故地であるイラン高原南部のファールス地方で出土した。戴いた冠の形状から、シャープール2世であることがわかるという。
正面向きで無表情な人物表現はパルティア風で、パルミラの人物像にも共通している。
ディナール金貨 イラン国立博物館蔵
表:シャープール1世と同じ城壁冠(ただし頬当てなし)をかぶる王の右向き肖像。
シャープール2世は長い在位期間に冠を変更することもあったのだろうか。それとも浮彫は別の王?

ビーシャープールの謁見の間にドームはあったのか?← →銀製皿に動物を狩る王の図

関連項目
サーサーン朝の王たちの浮彫

※参考文献
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 展図録」 2006年 朝日新聞社・東映
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館